Living will

まるで、夢のようだった。

あの言葉さえ嘘であれば、私は今、夢から覚めている事だろう。

頭の中で反芻されるのは、脳内に刻み込まれた、最期の言葉。

耳元で囁かれた愛の言葉は、間違いなく彼の声。

貴方の手で壊されて、貴方に抱かれたまま崩れたい。

それが叶うのであれば、俺は本望だ。

そういったのはアキヒコ自身で。

それを叶えたのは、当然私だ。



「先に逝ってもいいですか?」


尋ねるアキヒコに「やめて」と返すと、アキヒコは笑いながら、目じりにキスをした。


「先輩の泣き顔が見られないのは、残念ですけどね」

「アキヒコ、私と離れたいの?」

「気持ちは離れないですよ」


ヘリクツなのか慰めなのか、アキヒコはそんなことを呟いた。

あの時笑顔を浮かべたアキヒコが、今更ながらに妬ましく思える。


「早く俺を、刺して下さい」


私に握らせた包丁の先を自らの胸にあてがいながら、アキヒコはせかした。

私が躊躇っていると、アキヒコはポツリと呟いた。


「先輩は、赤い色が似合うと思いますよ」


私の両手を握っていた手を離して、私の頬にそっと寄せる。

冷え切ったその手に、私は思わず体をこわばらせる。


「それが見れないってのも、残念だなぁ……」


その言葉を聴きながら、目を細めるアキヒコを、自分の視界から消し去った。

目を閉じて俯いたまま包丁を握り締めていると、アキヒコがまた「早く」と私をせかした。


「先輩だけが俺の生きがいだ、っていったでしょ?」


優しく問いかけるアキヒコに、私はただ黙って頷く。


「だからね、先輩しか俺を殺せないんですよ」


よく分からない理屈だった。

それを聞いても直動けず居る私に、アキヒコは仕方なさそうにため息をついた。

そして、片手を私の手に添えたまま、私を抱きしめるように包丁を突き刺した。

硬いような柔らかいような奇妙な感覚が、電気のように全身に伝わる。


「っ……ゥう……っ」

「ひっ……ぁ、あ……」


うめき声を上げるアキヒコに、私は思わず握っていた包丁から手を離す。

掌は既に、赤く染まっていた。

動けなくてその場に座り込んで震えていると、アキヒコも一緒に、その場に膝を落とした。

私に向かって倒れこむようにして、ゆっくり力をなくしていくアキヒコの体を、私は支えるように抱きしめた。


「愛して、ます」


最期に耳元で囁かれたのは、いつもと変わらない、陳腐な愛の言葉。

それなのに、いつもより何倍も重さを増した、愛の言葉。

そして私に残されたのは、その瞬間の彼の総てを記憶した脳と、彼の血に濡れた自分の体だけだった。


あの感触が消えなくて、何度この腕を傷つけたか知れない。

痛みの中から再び生まれる、むずがゆさのような悪寒。

ソレをかき消すように傷ついた両腕を氷水に浸して、両目を静かに閉じた。

冷たさが傷口から侵入して、体全体を冷やしていくような気がする。

この前、この腕を前にしていった、友人の言葉が脳裏を掠めていく。


「んなことばっかしてっと、マジで死んじまうぞ」


私を止めるためにはいたであろうそのセリフに、私は思わず笑みをこぼした。

このまま死ねたら、私は本望だ。

アキヒコを壊したこの腕を壊して、彼の元へ逝けるのなら。

現実的には、これくらいじゃ死ねそうにないんだけど。

思い出し笑いしながら眼を開くと、そこには赤い水に浸された自分の腕があった。

赤が似合うといったアキヒコの言葉を思い出し、私はまた、口元に笑みを浮かべた。


そうだ、私も最期に残しておこう。友人に、頼んでみよう。

私の死体が見つかったら、アキヒコと同じ場所に埋めてください。

言い残した言葉を胸に、私は氷水から麻痺しきった腕を引き抜いた。

センを引き抜くと、赤い水はゆらゆらと揺れながら、排水溝へ渦となって流れて逝った。


END



[*前] | [次#]

とっぷ りすと
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -