●りぷ来た子(綾)がりぷ来た子(ひびき)を水に沈める 夏のお話! エリーは葵ちゃんちより。
水瀬って苗字の癖に泳げないんだねひびき君って (水瀬ひびき)
お前って水だめなんだっけ? という吉崎先輩の問いかけを無視して持っていた参考書のページをめくった瞬間、頭上から大量の水が降ってきた。 髪の毛どころかジャージまで水浸しである。もちろん、目の前の参考書も。
「……あの」
「あー、本は後で買ってやるから」
「そうではなくて」
「クリーニング代でも取る気?」
「そうではなくて……っ!」
怒りに声が震えるのを堪えながら「何が目的ですか?」と静かに問うと、先輩からは「変身とかするんかと思って」などという、明らかにふざけた答えが返ってきた。
「多所先輩が使いそうな言い訳ですが、貴方はそういったことを信じるような人間ではありませんよね?」
「アマもさすがに信じねぇだろ、それは」
「それ以上のつまらない冗談は結構ですので」
外した眼鏡を机に置き、濡れた衣服を脱ごうと立ち上がる。
すると、おもむろに僕の眼鏡を手にした吉崎先輩は、何故かそれを顔の辺りまで持ち上げてみせ、それから……手を離した。
当然眼鏡は落下する。そんなことをされるとは思ってもいない僕は、反射的に眼鏡に手を伸ばす。 机の影になって見えなかったのだが、床には何故か満水の水槽が準備されている。
眼鏡はちゃぽんと音をたててその中に落ちていったのだが、追いかけて拾おうとした僕の頭を、吉崎先輩が押さえつけた。
「えり…………っ」
咄嗟に呼びかけた名前の主はここにはいない。というか、吉崎先輩以外にこの部屋にはいない。だからこそ今、僕を押さえつけているのが彼であるとわかるのだから。
などと、冷静に考えていたわけではなかった。最後まで呼べなかったのは、水中に入ったせいで声が出せなくなっただけである。
余りに突然で、何がなんだかわからないうちに水中に押し込められ、そして気付くと吉崎先輩の笑い声が聞こえてきた。 その間の記憶がないわけではない。ただ、思い出したくもないし、説明するような楽しいことでもないので、詳細は省かせてもらう。
再び呼吸ができるようになっても、髪の毛から流れ落ちる水が邪魔をして目を開くことができない。 しかも、僕が散々暴れたせいで辺りには大量の水が溢れているらしく、座り込んでしまった僕はズボンまで濡らすはめになってしまった。
「なんなんですかこれは!」
「水槽だな」
「それはわかっています! どうしてこんなところにあるんですか!」
「今朝、人形を沈めて遊んだから。ほら、窒息するとしまるし」
聞かなければよかった。そんなことに使ったものに顔を浸けただなんて気持ちが悪い。顔を濡らす水を両手で拭ったが、飲み込んでしまった水をここに吐くわけにはいかない。
「何が目的ですか、僕を殺しでもしたいのですか?!」
「っちゅーかお前、そんなに大きい声出せたんだなぁ」
「関係ないところに感心しないで下さい!」
「っていうか、エリって誰?」
「は?!」
名前を口にしてしまったことは問題ではない。そのとき、しまった、というのを表情に出してしまったのがまずかった。 彼が適当な返事をするのはいつものことであるため、苛々しながら返していたのは確かだが、これを誘っていたのだろうか。そこまで推測していたとしても、彼ならば驚きはしない。
「だーあーれ?」
途端に吉崎先輩の目尻が下がったのが腹立たしい。こうして彼が喜ぶ事柄は、大概他人にとっては、少なくとも僕にとってはろくでもないことである。
僕を苛立たせるその口調も、わざとだろう。彼をこれ以上喜ばせるのは癪なので、一度深呼吸をして怒りを鎮める。 正確にはエリー、と呼ぼうとしていた。父親同士が友人関係であったために知り合った、イギリスの友人だ。
「……友人です」
「友人って?」
「友人は友人です」
「学校の?」
「違いますけど」
「じゃあ、幼馴染みとか?」
「さぁ、頻繁に会う仲ではありませんので、そう呼べるのかはわかりませんね」
「でも、助けを呼ぶ程度には親しいんだよなぁ?」
「淳ちゃんが貴方を相手にできるわけがないことは明白なので」
「お前にそんな友達がいるなんて知らんかったわ」
「部活の先輩でしかない貴方に友人関係を把握していただかなくて結構ですから」
できる限り冷静に、なるべく少ない情報を、そして相手を特定できないように返していたが、さっきの件でわかるとおり、僕は残念ながら気が長い方ではない。
「それで、エリちゃんはかわいいん?」
この一言でいい加減うんざりしていた僕は「もういいでしょう?!」と再び声を荒げてしまった。
ちなみに、かわいいかと問われれば答えはノーだ。確かに外見は美しいとは思うが、僕が口にしかけたエリーは、男性なのだから。
しかし、吉崎先輩もさほど他人への興味は薄い人間である。エリーのことをそれ以上追求することはなかった。
「そういやお前、さっき何がしたいかって聞いたよな」
「えぇ、そうですね」
「面白いこと、それだけだよ。知っとるだろ?」
立ち上がってスマートフォンを動かしながら、彼は言う。
「最近6秒動画って流行っとるの知っとる?」
「知りませんけど、まさかそれを出そうということではないですよね?」
「大丈夫大丈夫、顔は見えんから」
「そういう問題ではなく、勝手に載せないでください」
「はいはい。それよりはよ着替えたら? その格好、華凛に見つかったら喰われそうだぜ」
「誰のせいだと……」
と、僕がまた文句を口にしようとしたとき、バタバタと煩い足音をたてながら、多所先輩達が入ってきた。
「何なに? なんでひびき濡れてんの? プールにでも飛び込んだのかよ」
「僕がそんなことをするわけがないでしょう?」
顔をしかめて返したが、びしょ濡れの僕を見た多所先輩は、さも名案を思い付いたかのように、こう言った。
「そうだ、今日の部活、着衣水泳にしようぜ!」
「それ、ひびきが死にますよ」
一緒に入ってきた淳ちゃんが言うと、隣にいた二ノ宮先輩が頷くが、多所先輩は「泳げねぇほうが死ぬだろ」などと意味不明なことを言っている。
「そりゃまぁ死ぬっちゃー死にますけど……」
「普通、泳げなかったら海になんていかねぇだろ」
「何言ってんだよ、船に乗ってる最中に海に投げ出されたときとか困るだろ」
「そんな風になることも滅多にないけどな」
「ですよねー」
「でも走るよりもプールのほうがいいだろ?」
「そうだな」
「ですね」
僕が殺されかけたというのに、吉崎先輩が犯人だと言うだけであっさりとスルーされる。そしてあろうことか陸上部が部活中に水泳を始めるという。
この部活は絶対におかしいと改めて思った。
おわり。
このあとひびきは死ぬ(精神的に)
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とっぷ りすと
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