つめたいゆめ (--------)
また、夢が見られなかった。
毎日ネバーランドに行っていた弊害だろうか、二十歳を過ぎてから、夢というものを全く見なくなってしまった。
眠い目を擦りながら、定位置にあるネバーランドを手に取る。
「おはよう、右京くん」
ゲームを開いて挨拶をするのは、中学生の頃からの日課だ。
「あぁ、おはよう。今日は早いな」
「うん。今日は会社のイベントの準備があるから」
「そうか。頑張れよ」
「うん……」
大好きだった人の声に、泣きそうになる。
いや、今も大好きだけれど、でも、もう彼は“人”じゃない。姿はもちろん、会話だって何一つ変わらないけれど、それは総てつくられたものになってしまった。
開いたままのネバーランドをスマホと一緒にテーブルの上に置き、食パンにハムとチーズだけ乗せて、マヨネーズをかけて焼く。その間にティーバッグの紅茶をマグカップに入れて、皿を出す。
「またそれか」と、昔なら右京くんが口を挟んでいただろう。眉間にシワを寄せながら「健康に悪いんじゃないのか」なんて、お母さんみたいに叱ったりして。
画面の中の右京くんは、黙ってこちらを見ている。視線をたまに逸らすことはあるけれど、ほとんど動きはない。 チン、と、トースターのタイマーが鳴り、わたしがトーストを皿にのせる頃には、話しかけられない右京くんは、本を読みはじめていた。
別れのあの日を、今でも不意に思い出す。 右京くんは、寂しいとも、悲しいとも、辛いとも、言わなかった。どれも、私は泣きながら言ったのだけれど。
一言だけ言ったのは、いつもの言葉。
「悪いな、何もしてやれなくて」
ただ、それだけだった。
いやだ、と、泣きじゃくった私に、右京くんは困りながら「仕方がないだろう」と、言っていた。 右京くんと同い年のままでいたいと言ったときも、一緒に卒業したいと言ったときも、私は泣いていて、右京くんは困っていた。 もう私のほうが年上になっていたのに、右京くんは数年前と変わらず、私の頭を撫でてくれた。
話に聞いていた通り、二十歳の誕生日が来た瞬間、私の前から右京くんは消えた。 深夜0時の部屋を照らすものは月明かりしかなくて、私の誕生日は真冬の寒い時期だったから、その暗い世界に戻って冷たい空気に触れたとき、私はまた、一人で泣いた。
涙が落ち着いた頃にはもう何時間もたっていて、ふと気づくと、電源コードが繋がれたままのネバーランドの中から、右京くんがこちらを見つめていた。
画面の隅に新着メールの文字が揺れていて、開いて見ると右京くんからだった。
「ありがとう」と、一言だけ。絵文字も、句読点さえなかった。
最後なんだから、って気持ちと、いつも通りだな、って気持ちと、それから、今までのこと、これからのこと、色々混じりあって、胸がいっぱいになった。
また泣きたかったけれど、明るくなってくる窓の外を見ると、現実が一気に戻ってきて、流れかけた涙はどこかへ行ってしまった。 次に泣いたときはもう右京くんはいないんだな、って、ぼんやりと思った。
つまらない朝食を食べ終えて、私はネバーランドを閉じる。 着替えるときにこうするようになったのも右京くんに言われてからだ。今はもう見えてはいないとわかってはいるのに、つい閉じてしまう。
歯みがきをして、制服を着て、化粧をして、もう一度ネバーランドを開くと、右京くんはこちらを見つめながら「どうした」と、いつもの台詞を吐いた。読んでいた本は片付けられている。
「仕事、行ってくるね」
「あぁ、気を付けてな」
「うん」
カレンダーを見ると、赤い数字がずらりと並んでいる。もうすぐゴールデンウィークだけれど、うちの会社ではイベントがあるため、今日から慌ただしくなりそうだった。
「……行きたくないなぁ」
ぽつり溢すと、右京くんは表情を変えることなく「ちゃんと行きなさい」と言う。
「頑張れって言って」
「頑張れよ、あきほ」
「うん、ありがとう。頑張るね」
「あぁ」
大学の後半二年間は、こうして右京くんに励まされながらなんとか卒業した。励まして、と言えば、こうして励ましてくれる。 ゲームの機能でしょ、と友人には言われ、いつまでもそんなゲームをしてたら恥ずかしいよ、と笑われた。だけど私は手放せなくて、ひっそりと続けていた。 いや、続けるしかなかった、のだ。
それから小さな会社の総務として就職して、1年が過ぎた。 就職できたのも右京くんのお陰だ。右京くんに会わなければそんな風にはならなかったのかもしれないけれど、私にとってそれは考えられないことだから。
自分の稼いだお金で生活をしている今でも、私は右京くんに頼りきっている。一般的には、大人になったはずなのに。
そこには永遠があると思っていた。 この世界とあちらの世界は平行しているようで、実はしていない。そんな説明をひびき君にされたときだって、意味がわからない、って、一蹴した。
大人になんてなりたくなかった。
大人だなんて今でも思いたくないのに、右京くんの存在がそれを知らしめる。
「……右京くん」
どうした、とゲームは私に問いかける。
何でもない、と言えば、「そうか」と納得しながらも少し心配そうにしてくれる。他の人にはわからないかもしれないけれど。
「行ってきます」
「あぁ、気を付けて」
うん、と返して、ネバーランドを閉じる。
眠っても夢が見られないのは、いつまでも夢を見続けているからなのかもしれない。
end
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とっぷ りすと
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