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ex:策士策に溺れる

ひろゆきは不満だった。
大学生活は良好だし、友人付き合いだってそれなり上手いことやっている。アパートからほど近い場所に見つけた雀荘へ足を運ぶようになってからも調子よく勝ち続けている。強いて言えば天からのいつだって出戻ってきていいぞ、とのちょっかいが多すぎることが気に入らない。いまさらあんなインディアン保護区に舞い戻れるわけがないだろう。しかしこれはひろゆきが適当にあしらっておけば済むことで、本当の問題は別のところにあった。
付き合いはじめて間もないはずの彼女の淡白さ。
どうしてこんなことで苛立ちを覚えなければならないのだと、ひろゆきは眉根をひそめた。
たしかに彼女はベタベタするタイプでもないし積極的に甘えるような人でもない。それにしても付き合いだしの頃なのだから少しくらい…なんというべきか、こう…甘い雰囲気があっても構わないのではないのだろうか?
だがひろゆきだけでこの問題を解決するには場数が圧倒的に少ない。弱みを見せるようで嫌だったが、しかたなく学内で昼食をとっているときにそれとなく友人に相談してみた。
「リア充乙」
「真面目に聞いてる」
予想はしていたが、余すことなく一蹴された。
「よくわからんが、とにかく彼女とイチャコラしたいと」
「まあいいよそれで。で?」
含められた強い語気に、それまで箸を休めることなくラーメンを啜っていた友人も呆れた様子で顔を上げる。
「で? とはなんだ、で、とは」
どうやら教えを請う立場のひろゆきのでかい態度が気に入らないらしい。話が一向に進まない。
「井川おまえ、色恋沙汰になるとらしくないくらい余裕なくなるんだな」
「……」
「いや、普段の井川ってコンピュータ人間っぽいし、人間味のある部分が見られて面白いからいいけど」
口をつぐんだのを察されたか、フォローされた。本音なのか上辺なのか。とりあえずは本心ではあるのだろう。この状況を心底楽しそうにしている。
「そうだな、とりあえず浮気でもしてみたらどうだ」
「…は?」
的外れとも思われる解に、ひろゆきは非難の声を浴びせた。
「何も本当にしろって言ってるわけじゃない」
そんな甲斐性ねーだろーが、と友人は続ける。
「他の女のニオイをそれとなく匂わせろって言ってるんだ」
友人曰く、それで大概の女は焦って戻ってくるのだという。もちろん対応を違えれば相手も激昂しかねないが、浮気をしているのではないかという疑惑の時点で「実は君の気持ちを確かめたくて…」とでも言えば途端に嬉しがるらしい。阿呆らしいとひろゆきは思ったが、案外そういうものなのだ、割り切れとも友人は言った。友人の言っている状況とひろゆきの場合とでは条件は多少異なるものの、上手くいけば応用は効きそうだ。上手くいけば。
「井川その彼女に相当惚れてんだな。きめえ」
「放っとけ」
ひろゆきは財布から札を取り出して机に叩きつけた。

***

まずは部屋の掃除。男の部屋が小奇麗に整頓された状態は疑われ易いらしい。男友達の間ではきれい好きというかそれなり気を遣う方だが、雑然と床の上に重ねられた本や出しっぱなしになっている服を改めて眺めると、やはり男の部屋という感じがする。棚を整理してクローゼットに服をしまっているうちに妙なやる気が湧き出て来たので、カーペットを日干ししてフローリングを磨いた。部屋の隅から隅まで雑巾がけをすませ、そういえば台所のシンクの汚れもだいぶ掃除してないなと思い立ち、大昔に買った重層を探しはじめたあたりでやっと我に返った。いけない、いつのまにか目的がすり替わっている。
窓の外を見ると既にとっぷりと日が暮れていた。カーペットを取り込んで元に戻した。ただの掃除と思われては意味がない。伝授された小道具を洗面台の脇に置いた。よく見る簡素な黒い髪留めピンだがそんなもの、ひろゆきが使うはずもなく、誰かの出入りをにおわせるには十分だ。だがこれに彼女が気づくのかどうか、ひろゆきにとっては疑問だった。かといってあんまり分かりやすく置くのも査定マイナスポイント(友人談)とのこと。さりげなくしのばせておくのがベストらしい。さりげなくってなんだよ。
やっておいて否定するのもなんだが、どうもこれで上手く事が運ぶとは思えない。だが思い返してみればこうして彼女へ向けて先手を打って出たのは初めてのことで、時にはこういった駆け引きも必要なのかもしれないと思えてきた。付き合いに不慣れなせいもあるが、今までずっと同じ立場で探り合いをしながら手を進めるのでいっぱいいっぱいだった。麻雀がなんて分かりやすい駆け引きに思えることか。同じ舞台に持ち出して比較できるものでもないけれど。
(そもそも浮気していると疑われたら俺の方がショックかもしれない)
大変今更な考えが浮かんだところでひろゆきの思考は遮断された。呼び鈴が鳴っている。時計を見ると大学の最後の講義が終わってまもない時間帯だった。
玄関へ向かい扉を開けると、ほんのり頬を上気させた彼女が立っていた。

前に来た時よりきれいに片付いてるね。
部屋にあげた彼女の第一声がそれで、ひろゆきは釣り針に大物が引っかかったかのごとく構えたが、それっきり彼女は部屋には一切触れず、荷物を置くといつものように夕食を作りに流し台へ向かっていってしまった。
肩すかしをくらってすごすごと腰を下ろす。やっぱり失敗した。やるんじゃなかった。とんだ骨折り損だ。自覚してしまうと途端に労した時間と労力が一層馬鹿馬鹿しさをまとって襲いかかってきて、軽い自己嫌悪に陥る。
彼女が台所に立っている間はなにもすることがなく暇なので借りていた本を膝の上に広げた。
「勉強?」
顔を上げるとこちらを覗きこむ彼女と目がかち合った。咄嗟に本を閉じ、テーブルの上に置かれたマグカップを掴んでしまった。
「べつに隠さなくたっていいのに」
苦笑すると彼女はまた台所へ戻っていった。どうやら試そうとした手前、妙な罪悪感が芽生えてしまったらしくやけに緊張してしまう。自分に問いたい。どれだけへたれてるのかと。
長い溜息をつくことで、心を落ちつけたかった。

***

寒さに身を捩った。肩口からぱさ、と何かが落ちる。薄く目を開けて確認すると落ちたのは毛布だと分かった。毛布か。心地よかったのでそのままもう一度目を閉じようとして、飛び起きた。部屋の中は暗く、電気が消えている。彼女は帰ってしまったのだろうか。テーブルにはラップのかけられた食事が置かれている。寝起きのだるい体を無理に起こして電気をつけると同時に脳もはっきりしてきたようで、それまで耳に入っていなかった水の音が聞こえてきた。
予想通り風呂場の方へ行くと電気がついていた。曇った擦りガラスの戸ごしに声をかける。
「名前さんすみません、寝てました。着替えあるんですか?」
「あ、うん。着替え一応あるよ。お風呂勝手に借りちゃった」
それは構わないんですが。呆れて帰ったかと思いました。
とは言えず、洗面所を探す。
「ご飯まだ食べないでね。わたしもまだなの、もうちょっとであがるから」
はあ、と生返事をしてバスタオルを取り出して洗濯機の上に置く。居間へ戻ってもう一度テーブルの上を見やると、箸が二膳、テーブルのこちら側と向かいにご丁寧にも箸置きに置かれている。時計を見るともう夕食を食べるような時間をとっくに過ぎている時分で、ひろゆきは申し訳なく思えた。やはり慣れないことをすると疲れるものだし、彼女との間の距離がなかなかに縮まらないのにやきもきしてはいたがいっそこのままでも十分な気さえしてくる。
とりあえずはすっかり温くなってしまった魚の煮付けをレンジに放り込み、あさりの味噌汁を火にかけた。温まったそれらを盆に乗せて運ぼうと居間へもどろうとしたとき、ミニタオルで髪をたばねたラフな格好に姿を変えた彼女と出くわした。
「ね、ね、ひろさんこういうの好きでしょう。お父さんが食べるようなご飯」
「おとうさ…う、うーん…好きですけど…」
にこにこと微笑みながらお盆を持っていった彼女に半ば困惑させられつつ。自分も居間へ行こうとして気がついた。
脱衣所、もとい洗面所への戸が開いたままになっている。いやな予感がして洗面所の上を覗いた。やはりというべきか、蛇口そばに置いておいた黒いピンがなくなっている。
「あの、名前さん」
ん? と振り返って微笑みを投げかけてくる彼女の姿が胸に突き刺さる。
「洗面所に置いてあったピンなんですけど」
「ああ! なんか知らないうちに忘れちゃってたみたい。ちゃんとしまっておいたよ」
そう言って化粧道具やらが入っていると思しきポーチを叩いた。あろうことか彼女は他の女性の存在を疑うばかりか、自分の物忘れの所為にしてしまっているらしい。髪留めを片付けるのをすっかり忘れていた自分もうっかりしているが、彼女も果たして騙されすぎなのではないだろうか。
いや、騙されているのではなく、愚直に信じてくれていると言うべきだ。
ひろゆきはまたしても情けなくなった。


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