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01:彼女と真夜中

ひろゆきが名前に出会ったのは大学に入学してまもないころだった。確か5月半ば。それは彼自身はっきりと覚えている。
落ち着いた理知的な性格のせいもあってか、同級生や先輩らからよく年相応ではないと言われていたひろゆきは、自分自身としてもこの大人びた考え方を自負していた。
だからはじめて彼女と話をしたとき余計にああいう風に思ってしまったのかもしれなかった。

新入生歓迎会と題した馬鹿騒ぎ、もとい飲み会で、ひろゆきは高揚した場の空気になじむことが出来ずに目の前の酒とつまみをぼそぼそと消費していた。
ちょうど隣に座っていた人のグラスが空になっていたので、飲みますか、と声をかける。それが名前だった。これをきっかけにぽつぽつと、それでも途絶えることなく会話が続いた。傍から見れば一見して大人しく時間の隙間を埋めるような会話だったかもしれないが、そう見えるとすればそれはここが飲み会のまっただ中だからで、二人のいつものテンションで楽しんでいることに変わりはない。
はじめ、この飲み会をただのつまらない時間つぶしだと高をくくっていたひろゆきは、密かにこの時間が続くのを願っていた。
「井川くん」
はにかむような笑顔を見せ彼女は覗きこむようにひろゆきを見る。
反射的に、ぐっと喉元を鳴らすように肩が引いてしまう。

「なんでしょう」
「敬語じゃなくていいのに」
「いやでも先輩ですし…」
そこまで言いかけ口をつぐんだ。
向き合う彼女の表情がはじめて固まったのだ。一瞬の事で見ていなければ気付かないよな反応だったが。
「同い年だよ」
「え」

何が面白かったのだろう。目の前のその人は楽しそうにからからと笑うのだ。
「やだなもう! 何年生だと思ってたわけ私のこと」
「…や、てっきり3、4年生かと思ってました」
自分より大人びた女性に見えたもので。
「だから敬語やめてよー」
背中を軽く叩かれて、勘違いの恥ずかしさからか、アルコールがようやく回りつつあるのか、顔がほんのり上気するのを感じた。


それからなんとなく顔を合わせるうちにお互いの名前を気兼ねなく呼べるようになった、そんな折。
人数合わせに呼ばれた飲み会(というかあれは確実に合コンだったのだと思う)からの帰り道に見覚えのある人影を見た。深夜でしかも街灯の少ない道でそれが名前だと分かったのは煌々と光を放つ自販機の前に彼女が立っていたからだった。名前はいかにも部屋着といった感じのTシャツと短パンを着ていた。外気にさらされた肌がいつもよりいっそう白く映えるのは自販機のライトと暗闇のせいだけだ。きっと。
しかし。
この道がいかに人通りが少ないとはいえ、いや少ないからこそもう少し自分の性別を考えるべきなのではないかと考えがめぐる。

「襲われるぞ」
「!?」

取り出し口から飲み物を取り出したその体勢のまま名前はこちらを見た。一瞬見えた驚きや恐怖の表情が消え、安堵を見せたと思えばみるみるうちに複雑なものに変わっていく。
「な…なんだ…ひろくんか…」
「変質者だと思いました?」
「うん」
きっぱりと言い切られた言葉に苦笑しつつ歩み寄る。
「こんな時間に危ないだろ、出歩くの」
「…提出課題終わらなくて。栄養ドリンクのお世話になろうと思いまして」
そういって突き出される茶色のビン。
「家、どこ? 送ってこうか」
「え!? いや、いいよ、すぐそこだもん」
自分でも驚くほどあっさりと口をついて出た提案だったというのに、間髪いれず彼女は首を振った。道路挟んで向かいのアパートを指差す。
「ね? すごい近いでしょ、だから大丈夫」
そう言って笑う彼女の顔はどこかいつもより硬い。
「大丈夫とか言ってるわりに怖がってましたけど」
「だってびっくりしたし」
さっきと同じように硬く口元を歪めている。どうしてか、その表情にひどく苛立ちを覚えた。なぜだろう。

「そういえば今日合コンだったんでしょ」
「え、ああ…」
「まちこさんが…友達がひろくんのこと気になるって言ってたけど、どうだった?」
たしか、やけに体を密着させてきた女の名前がそうだったような気もする。帰り際も一緒にとしつこかったので振り払って帰ってきた。正直悪い印象しかない。
「強引な人だったかな」
「つきあう?」

どうしてこの回答から付き合いが始まるだなんて思うんだよ、と胸中で呟いた。栄養ドリンクを手にしながらやや俯きがちのこの人はひょっとすると俺の話を聞いていないのかもしれない。

「付き合いませんよ」
「どうして」
「興味ないから」
きっぱりと俺が答えると「そうなんだー」と名前は口をとがらせた。
「なんか不満なわけ」
「不満っていうよりは…彼女作らないでほしいなぁと思って」
ぶっ。
空気の塊が勢いよく口から飛び出た。とっさに右手で口元を押さえる。名前はそんな俺の様子に気づいてはいないようで、ぼんやりとした目で自販機の明かりを見つめていた。
彼女の言った言葉の意味を探りたい、知りたいと思うものの頭が回らない。
つまり…どういうことだ?

「あっ」
「?」
「ごめん、課題さっさとやりたいから私帰るね」
肝心の会話はぶつ切りである。それだけ言ってさっと身を翻して道路を横切っていく。
「名前、」
続きの台詞を聞かずとも期待していたからか思わず呼びとめてしまう。彼女を引きとめることは出来たものの、その身体はまっすぐ進行方向を向いたままだ。なんだか自分を軽く扱われているような、自分でもよく分からない嫌な気持ちがふつふつと湧き上がる。

「その、なんだ」

「あんまり夜中に外、出歩かないでくださいよ」
きょとんとした表情が何の疑いもなく朗らかな笑みへと移り変わる。
「うんわかったー」
…本当にわかっているのか、この人は。

背を向けてアパートの中へ消えて行ったその姿を見届けて、帰路を歩く。

自分より大人だと思っていた彼女はどこまでも少女のように無垢すぎた。それはここ数カ月の付き合いからなんとなく感じていたことだった。
彼女の言葉や態度には何の他意もないのかもしれない。
寧ろ他意がないからこそ問題なのであった。


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