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――花京院典明には誰にも見えない友人が居るらしい

 そういうちょっと『痛いヤツ』扱いをする噂がまことしやかに囁かれるようになったのは、彼が人を寄せ付けない独特のオーラを放っていたからだろう。放課後の教室で一人呟いていただとか、何かに触れるように手を伸ばしていただとか、悪意に脚色されたであろう目撃情報を介して噂はあっという間に広がりをみせた。
 出どころには男子の僻みも含まれていたに違いない。なぜなら花京院は持ち前の長身に甘いマスクで――こういう表現はどこか古臭くて好かないのだが、他に合致しそうな言葉を知らない――女の子たちの間では密かに人気だったからだ。それでも、彼のことを最初こそ「格好いいよね」と騒いでいたクラスメイトたちの輪も、噂が一人歩きするにつれザッと波が引くように離れていった。
 本当ならばそんなやっかみから生まれた噂なんて一笑に付されて次第に鎮火していくか、もしくは良き理解者がいれば丁寧に否定してくれたことだろうと思う。でも花京院の場合、彼を心から理解しようとする人もいなかった。学校生活へのストレスの体のいい捌け口に扱われた部分も少なからずあったのだろう、今になって考えてみれば。
 新学期を迎えた最初こそ、本人は本音と建前を上手く使い分けているつもりだったのだろうが、拒絶というものは包み隠したところで次第に漏れ伝わるものだ。私たちはそんな表層だけを知っていたからこそ、彼の噂を鵜呑みにした。花京院が否定すらしなかったのも話を助長した起因の一つだ。
 閉鎖的になりがちな学校社会で生きるには、彼はひどく不器用で、そして純粋すぎたのだ。
 そんな彼は周囲の人間をどう見ていたのだろう。
 傍観していただけの無責任な立場から言わせてもらうならば、花京院は私たちを見下していたのだと思う。少なくとも私はそう感じていた。愛想笑いを浮かべてみせる彼の顔を見るたびに「君たちと僕は違うから、お互いに解り合えない。さようなら」と辛辣な台詞を聞いていた気がするのは、私が彼を嫌いだったからなのか、彼が私を嫌いだったからなのか。
 甘ったるく綺麗でありながら誰も踏み込ませようとしない、彼の事がきらいだった。


 期末テスト一週間前に突入したので部活動は運動部、文化部問わず休止している。担任教師のさほど興味も持てない雑談混じる朝礼をろくすっぽ聞かない、優等生とは程遠い私はそれをすっかり失念して美術室の戸を引いた。もちろん、当たり前のように施錠された戸は中の金具に引っかかってガタガタと揺れたのみだ。
 テスト期間でも生徒が質問しに来るかもしれないだろ、開けとけよな。そうひとりごちる私には、本当に質問がある生徒なら真っ直ぐ職員室に向かうだろうことは鼻から頭にない。
 小さく舌打ちをした私に背後から「あの、」と呼びかけたのはよく澄んだ声。授業で指された時にしか聞いたことのない声だったが、誰なのかは直ぐにわかった。
 振り仰ぐと案の定、花京院典明が私の方へ長い影を落としていた。
「きみ、たしか美術部員だったよね」
 そう言って人の良さそうな笑みを口元に浮かべてみせる。苛々としていた私は笑顔に笑顔で応えるようなことはせず、単に頷いた。他人と歩を合わせる気がさらさらない私なのに花京院も上っ面の微笑みを崩さない。
「久谷先生が『テスト期間にまで美術室に入り浸るのはやめてほしい』って言ってたよ」
「…毎回言われるから知ってる」
 クタニというのは美術部の顧問だ。うちの学校は外から臨時の美術職員を雇っているので、美術の授業がある火・水以外は先生が居ない。そのせいでなぜか野球部の副顧問であるクタニが美術部の顧問を兼ねている。本職というのもおかしいが、本腰を入れている野球部以外に時間を割かれるのをことごとく嫌っている節があった。ああだこうだと教師たらしい詭弁を並べ立てて美術部の活動を広げさせてくれない。私はクタニのことも嫌いだったが、まだこちらを煙たがっているのがわかりやすい分、花京院よりかは好感が持てる。
「クタニが関係ないあんたに、ぼやいてたの?」
「いや。さっき美術部に籍を変えたいと申告に行ったら、そういう流れになったんだ。わざわざテスト期間に言いに来ることじゃあないだろうってね。そうしたら…」
「待って。何、入部? 花京院が美術部に?」
 私が言葉を遮ると、花京院は頷いた。
 美術部には部員が私を含め20名ほどいる。とはいえ美術展が近くない限り、ほとんど人が集まることはない。何かしらの部活動に入るのを義務付けられているこの高校の美術部は、パソコン部や科学部に次ぐ帰宅部として扱われている。
「帰宅部狙いなら他の部をあたってよ」
 これ以上幽霊部員が増えては、実質一人で部を回している私に負担が多くなってしまう。ろくに活動する気もないのに入部されるのも癪だ。
「描きたいと言っても駄目なのかい」
「描くものによる。漫画絵や鉛筆画、版画や写真を御所望なら教えられる人いないから」
 体躯を生かしてスポーツでもやればいいのに。とりあえず関わり合いになるのは出来るだけ避けたい。
「油絵をやりたいんだ。ええと、たしか久谷先生の話だと きみがやるのも油なんだってね」
 私は花京院を見据えたまま固まりかけた。
 クタニの馬鹿野郎。


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