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02:アンチヒーロー

 最初の印象と違って名前はくるくると表情を変えてよく笑うやつだった。
というのも、俺がはじめてみた名前の姿が丘の上で夕日に照らされながら呆けているものだったから、というのが大きい。
 向こうは俺がクレイジー・ダイヤモンドで自転車と名前の怪我を治したあの時が初対面だと思っているようだが、俺にしてみれば何度と名前をあの丘のふもとで見かけていたのだ。まぁ、だとしても初対面であるのには変わりない。
 見かける名前は急な坂のはずなのに何かジンクスでもあんのか、絶対に自転車から降りずに根性で駆け登っては日が沈むのを見計らって全速力で降りてくる。たまにスピードを出しすぎては道を外れて草むらの中に突っ込んでヒヤヒヤさせることもあったんで、そっちの意味で気になって気になってしょうがなくなっていた。
 そのときは何とも思ってなかったが、今思うと俺ってやべーくらいおせっかい焼きなのかもしれねぇ。

 そんなことだからある時、ふと口が滑って億泰に「女が夕焼けみてたそがれてるのって何がしてーんだと思う」てふっちまった日にはひどく後悔した。普段から女心どころか男心すらわかってるかしれないくせに、どうでもいいことにカンの働くところのある億泰は「気になるヤツでもいンのかァ!?」なんてウゼェくらいしっつこく聞いてくるもんだから、俺はついつい白状してしまったのだ。誰かにこの薄らぼんやりとした心の内を吐露してしまって楽になりたかったのもあるにはあったとはいえ、正直なところ億泰に背負わせるのは間違いだったかもしれない。
 その日から億泰との間で名前が話題にのぼる時には「たそがれちゃん」なんて暗号で交わすようにさえなってしまっていた。いつまでも「オーソンそばの丘でたそがれてる子」では決まりが悪かったのだとそこいらじゅう回ってでも弁解させてほしいところだ。
 名前が俺のことを「ヒロさん」だとかなんとか、夢見る女子のような呼称をしていたように、今の俺にとっちゃ黒歴史でしかない。

***

 今日は雲ひとつなく清々しいくらいの晴天だ。

「億泰くんのお弁当、冷凍食品ばっかり」

 そう呟いたのは名前だった。
 いつの間にやらあっという間に名前と意気投合するようになった俺たちは三人で昼食を囲むのが常になっている。場所は雨さえ降ってさえいなければ、いつだって屋上だ。
 億泰の弁当を覗きこむと、たしかに冷凍食品の定番のピラフ、グラタン、唐揚げに申し訳程度の手づくりと思しき玉子焼きとプチトマトがつまっていた。おふくろも忙しい時はたまにこんな感じの弁当を寄こすが、億泰はいま親父と二人暮らしだ。ということはつまりはこれを億泰が毎朝作っているというわけであって、こいつが台所で一人電子レンジや包丁を使っているのを思うとなんだかフクザツな気分になった。

「億泰のことだからどうせコンビニ弁当か惣菜でつないでんのかと思ってたぜ」
「おれもよォ、最初のうちはメンドクセーと思ってそーしてたんだがよォ、やっぱ将来のことも考えて金ためとかねとよ〜ッ」
「将来ィ〜ッ!? マジかよ億泰、大学でも行く気か?!」
「仗助くん、頑張ってる人のことバカにするのよくないよ!」

 俺が思わず声を張り上げると、不機嫌な目が俺を睨みつけた。
 そーゆーつもりはなかったんだが。だってお前、昨日の小テストで億泰の野郎が何点取ったか知らないだろ。
 軽くへこんでいる俺の横で、むっとしたままの名前は自分の弁当から手作りと思しき煮物を億泰の弁当に移した。目を輝かせる億泰を横目に、弁当だけでは足りないからと売店で買ってきたヤキソバパンを頬張るしかない。

「でも冷凍食品もけっこういい値段するのに。せめて1、2種類だけに留めるとかさ」
 名前が箸の先を唇に当てながらもごもごと言う。
「ご飯もちゃんと食べなきゃだめだよ」
 いやに母親のように背伸びをしている名前。しゅんとする億泰。
 こんな風に名前が説教臭くなるのは俺にとってよろしくない展開が起こる前触れと言っていい。背中を冷や汗が伝っていくのが分かる。

「夕食作りに億泰くんち行ってもいい?」
「!? ホントかよォーッ!」
「マジかよ」

 ぼろりと思わず漏らしたのを拾われたらしい。訝しげな瞳とかちあって、たぶん目が泳いでしまった。

「お…餌付けばっかすんのもどうかと思ってよ…台所散らかしても億泰が困る…だけだぜ」

 本人はさっぱりとしたものだが、億泰の家庭環境がいわゆる「普通」でないことは俺も知っている。兄貴がいなくなってから親父と二人きりの生活になり、学校だけでなく家の仕事もほとんど一人でこなさなくてはならないこと。俺と億泰は名前とより付き合いは長いが、面突き合わせて「大丈夫かよ」と深刻にやる間柄ではない。たぶんきっと億泰もそうしたことは望んでいない、と思っている。俺の家も億泰と形は違えど一般に選別されるだろう「普通」とは違っているから、同じような立ち位置としては余計な心配をする必要も、される必要もないのを我が身で知っている。
 だからどんな形であれ、俺には出来ない億泰の負担の軽減を進み出てくれる名前の気持ちは有り難いと思うし、素直に「良いヤツが現れて良かったよなァ、億泰」という気持ちもある。
 …ある。だのにどうして俺は名前が絡むとこうやって悪態しかつけねぇんだ。

「じゃあ仗助くんは来なくていーよっ」

 不機嫌のオーラが纏わりついて見える。
 もちろん億泰を蔑ろにしたかったわけではないし、食べたことのない名前の料理を貶めるつもりもなかった。言い方がまずかったのだ。
 どす黒くなったオーラを漂わせながら弁当がかっこまれていく。「ごちそうさまでした!」こんな時でさえ律儀に合掌すると、名前は素早く弁当を包んで階段口に消えた。
 いつの間にやら日の陰ってうすら寒くなった屋上。取り残されたのは男二人。貧相な弁当と食いかけのヤキソバパン。
 億泰は階段口を見、それから俺を見て、

「長引かせると仲直りしにくいからよォ〜…早めに謝ったほうがいいと思うぜ。分かんねぇけどよォ」
「おう…そーだよなァ…わっかんねーよなァ〜ッ」

 屋上吹きっさらしのコンクリの上に寝転がると背中がチクチクと痛んだ。
 億泰は解答こそ間違えるが、言うことは正しい。

***

「なあに、じゃあアンタ拗ねちゃってそのまますごすごと帰ってきたってわけ」
「ンだよ、わりーかよ」
「悪くないけど。フーン、そーお」

 別に俺から洗いざらい吐いたわけではない。帰って顔を突き合わせるなり開口一番に心配され質問攻めを受けただけだ。普段の俺ならこんなちっせーことまで吐露なんかしなかっただろうが、おふくろの言う通りダメージが大きかったのかもしれない。顔に出るほど。
 おふくろは最初こそ具合でも悪いのかと心配気だったものの、今では面白そうにニヤニヤと俺の顔を四方八方から眺めている。吐いたのは今日の出来事くらいなものだったが、勘の良いところも手伝って察したのかもしれなかった。

「なんだよこれ」
 一度台所に引っ込んだと思っていたおふくろが、何やら持って戻って来た。
「持ってって億泰くんとこ合流しなさいって言ってんのよ、ホラ!」
 おかずの入ったタッパーが包まれている。呆けている俺の横で、良い所まで進んでいた格ゲーの電源を盛大に切られた。
「ちゃあんと彼女の手料理食べてくるまで帰ってくるんじゃあないわよ」
 データは綺麗に全部すっ飛んでいったが、そんなものは半ばどうでもよくなっていた。


「おお〜ッ!スゲーッ!!」
 喜ぶ億泰を見てダシにしたことにちょいと罪悪感がわく。後ろでは名前が決まりわるそうに眉を八の字にして、肩をすぼめていた。
「ちょうど準備できたとこでよォ、ちょうどよかったぜェ〜! なっ、名前」
「う、うん。でも億泰くんすっごく手際いいから、途中からほとんど任せちゃった。慣れたらすごく料理上手くなりそう。びっくり」

 名前は億泰と会話をしながらも俺のことを気遣ってくれているようだった。恐る恐るといった様子でこちらをちらちらと盗み見ている。

「おれも……食ってっていいかよ、飯」

 視線を逸らしながら尋ねると、億泰も名前も示し合わせていたようににっこり頷いた。

 持参したおかずと二人の作ったおかずは合わせると量も種類も多く、食べきれなかった分は名前が上手く立ち回って冷蔵出来るものなんかを上手く分けてくれた。億泰もこっそり、親父さんと美味いもの囲めると上機嫌になっていたし、俺は俺でここに来るまで漠然と不安にしていたのがまるきり要らない心配だったのだと感じていた。
 今回は俺が妙な口を挟んだせいで変な空気になってしまったが、名前が提案してくれなければそれとない億泰への心配すら出来なかった。
 俺ばかりでなく名前はどんどん、億泰にも近しい所に立場を預け始めている。


「綺麗に染まったなぁ」

 名前は外に出るなりしみじみと呟いた。陽と一緒くたに道路に落ちた色濃い影を眺める横顔。特別なものを見ようとする視線を追って、俺は自分の表情が堅くなるのを感じた。

「もう遅いし送ってくぜ」
「自転車かっ飛ばすからどうってことないよ」
「一緒に帰ろうっつってんだよ。途中まで方向同じだろ」
「あ、う…うん」

 かたんと軽い音を立てて自転車のタイヤが回り出す。サドル挟んですぐ横に名前がいる。
 戸惑いと気恥かしさを見せてはにかまれている。億泰と並ぶこの分かりやすさにはいつも救われる。あまりに目に見えて伝わってくるのでどうしてかこっちまで頬をかいてしまう。むず痒い。

「昼間はごめんね」
「あれは俺が悪かった」
「まぁ、そーだけど」
「そうってなぁ…そーなんだけどよォ」
「ねぇ夕飯おいしかった?」
「億泰が腐るほど言ったろ」
「仗助くんからは、聞いてないし」
「うあー……うまかった」

 ちらりと覗いてみる。
 案の定こちらを戸惑いがちに見上げていた顔が、誇らしげにニッと定まった。

「ちょっとはお礼になったかな」
「お礼?」
「あの時ありがとうって言えなかったから」

 あの時っていつのことだ。まるで心当たりがない。
 首を傾げかけると、すかさず言葉を次がれた。

「自転車とか怪我とか治してくれたでしょ」

 ああ、と合点がいった。名前には悪いが今更な気がしないでもない。今更なうえに、これまでにも何度かそれとなく感謝の気持ちを述べられたことはあったし、いつものらりくらりと交わしてきていたのだ。

「まだ疑ってるみてーだけどなぁ。あのとき俺はぶつかっただけだぜ」

 承太郎さんに「一般人にスタンドの存在をむやみに明かすのは危険だ」と、釘をさされてた俺はなるべく悟られまいとそれらしい理由を持って否定し続けている。なのにどうしてかこいつは頑として聞く耳を持たない。ここまで来るとどうにも、俺としても妙な意地が芽生えていた。

「たまたま無傷だっただけの話だろ」
「嘘だ。絶対に仗助くん助けてくれた。私知ってるんだから」
「名前お前…どうしてそんなとこ、こだわるんだよ」

 夕焼けが互いの半身をすっかり染めていた。その所為か俯き加減になった名前の顔が泣きそうなくらいに真っ赤に映った。
 ぽつりと呟く、こいつの体はこうやって時々とても小さくなる。

「馬鹿なことって言うだろうけど」

 顔を上げた名前の顔はやっぱり泣きそうなくらい眩しくて、笑っていた。
 初めて見た「丘の上の名前」が重なる。
 他愛もない表情ひとつにわけのわからない感情を掻っ攫われた野郎がいるなんて知る由もないのだろう。

「私にとって仗助くんはヒーローなんだよ」

 笑みについた言葉に俺はずきりと胸の奥が痛んだ。上っ面だけ取り繕って「そうかよ」と、馬鹿を言う友人を諦めたように呟いてはみたが、それ以上何も口に出せなかった。
 名前はといえば照れくさそうに頬をいっそう赤くして、

「じゃあ…"ヒロさん"! また明日ね」

 挨拶もそこそこに弾かれたように自転車に飛び乗る。そのまま、ろくに顔も見せずに小さい背中をさらに小さくして遠ざかって行った。小さくなった影が内なる心を抑えきれないかのように自転車の上で立ち上がる。落ち着きなく天を仰いでは忙しない立ち漕ぎで消えて行った。
 俺もなんとなく見習って、大きく息を吸い込んで吐き出した。頭上高い夕焼け空を烏が悠々と羽を広げては飛び立っていく。毎日のように目に映る光景。しかしこれも、あいつにしてみれば毎日毎時同じ景色に映ってはいないのだろう。どこにでもあるような風景をさも特別のように扱える。その感性が羨ましいと思う反面、疎ましくてならなかった。

「……ホントのヒーローは女一人に心ん中引っかき回されたりしねえ」

 「ヒロさん」はきっと、こうやってくしゃくしゃに格好悪く顔を歪めたりはしない。
 俺は格好良くも気の利いたことも言えない。寧ろいつだって困らせてばかりで。スタンドを除けば普通の高校生で、到底ヒーローなんかとは程遠い。
 名前もまた、ちゃんと知っているはずだ。名前がこうやって時たま茶化したノリで特別扱いしても、俺はもう「たそがれちゃん」なんて呼んでないってことを。

 帰り道になんでもないはずの橙の雲と空の境を追いながら、俺は目の奥がつんと熱くなるのを感じていた。

リクエスト「仗助でマイディアヒーローの続編若しくは甘」


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