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01:マイディアヒーロー

夕暮れ時の杜王町はすごくきれいだと思う。とくに陽が沈みかけの時分に郊外にある小高い丘の上から眺めるこの町の姿がすきで、いつも部活帰りには遠回りをしてここへやってくる。緩やかとはいえ自転車をこいで丘をのぼるのは労力がいるし、友達には「若いうちから感傷的だと一気に老けるわよォ」と呆れられた。自分でもすこ〜しは「夕焼けをキレイと感じられる自分カッコイイ」思想があるんじゃあないだろうかって過ぎったこともあったのだけれど、でもやっぱりこの丘から大好きな町を眺めるたびに純粋に生きてて良かったなァとも思うし、ごちゃごちゃ細かいことは考えずにそれだけで十分だと思う。それに私は夕焼けだけじゃなくって、陽が沈んだ中を丘の上から自転車で勢いよく下るのもまた好きなのだ。それは、丘をのぼってきたときにやんわりとかいた汗が、風に冷やされていってそりゃもうすっごくスカッとして晴れ晴れとした気持ちになるから。あまり人が行きかうような場所でもないし、たまに車が通るくらいだから気兼ねなくその習慣を続けることができていた。
今日も今日とてきれいに日が沈んでいく。この前みたく間違って草むらに突っ込んだりしないよう、日が落ちきる前に帰らなければ。助走をつけて自転車にまたがり、一気に狭い坂道を滑り降りた。いつもと同じ風が凪いでゆく。
と、ふもとの方に黒い人影を発見する。おっと、と独り言を言ってブレーキに手をかけた。前方とはいえ、かなりの距離があったから、つんのめらないようにゆっくりとブレーキをかけはじめたはずだった。のに、握り締めても軽い手ごたえしかない。

「え うそ、こわれ」

何度ブレーキを握り締めても反応がない。不測の事態に心臓がきゅっと縮みあがる。足で自転車を止めようとして、踵を地面にこすりつけてはみたけれど安物の薄手の靴から伝わる摩擦がいたい。頼りない代行ブレーキにも、全くスピードが収束する気配がなかった。ひと三人分ほどが並列できるかできないかくらいに狭まった道幅、完全に避けきれる自信がなかった。

「危ない! どいてーッ!」

叫びは届いたはずの距離なのに、影の人は避けるどころかこっちへ体を真正面に向けて、両手を広げて待ち構えているみたいにみえた。え、なに、受け止めるつもりなんだろうか。そんな、スピードだって、当たったら大怪我させちゃうくらい増してるっていうのに。
こうなったらもう、ぶつかってしまう前に私が横に転ぶしかない。
わざとバランスを崩して倒れ込み、腕で頭をかばった。身体の側面と硬い地面とがこすれて痛くて目をつむって――

――いたくない。

「大丈夫ッスか? わりと飛ばしてたみたいッスけど……」

目を開けると私は倒れてなんかいなくって、手の中にハンドルもないのに顔の前で拳を固く握りしめていた。間抜けなことに棒立ちで猫のポーズだった。ぱちくりと事態が飲みこめないまま呆けている私を心配げに見つめているのは、歳のそう変わらないリーゼントスタイルの男の子だった。なんだか声をかけてもらったようだったけれど、何が起こったのか理解できていないのと、目の前に『不良』のお手本のような人がいるのとでびっくりして全く耳に入らなかった。

「日頃からメンテしておいた方がいいッスよ」

言ってその子は、私のそばに倒れていた自転車を起こしてくれた。軽いパニックのせいで蛇に睨まれたみたいに動かなくなった私を不審がったようだけど、次にはくしゃりと気のいい笑顔を見せ、照れたかのように「そんじゃ」と颯爽と立ち去って行った。
日が沈んでいく。
ハッとして体が動くようになったのは、彼の姿がはす向かいのオーソン向こうへ消えた後だった。とはいえ頭がまだまともに働いていなかったので、とりあえず行動を起こそうと自転車のハンドルに手をかけた。

「あ、あれ重い……」

何気なくブレーキごと握り締めたハンドルが固かった。手で自転車を押しながらブレーキを引いて確かめてみると、今度はちゃんと効くようになっている。冷静になって考えてみればブレーキ代わりに打ちつけたはずの足や腕も全然痛くなくて、擦りつけた靴も傷一つついてない。勢いよく倒れたはずの自転車も変形一つしていなかった。これはどう考えてもおかしい。

「ひ、ヒーロー だ」

だってそれしか言いようがない。その例えようがいちばんしっくりきた。戦隊モノの好きそうな、子どもじみた発想だけれど、私は本日どうやら杜王町の学生ヒーローを見つけてしまったようだ。大好きな町の大好きな夕陽を背負った、めちゃくちゃかっこいいヒーロー。
私の心は一発で彼にイカレてしまった。

※ ※ ※

彼とどうこうなりたいわけでもなかった。かといって全く下心がないというのも嘘だったけど、人としてなんとしても彼にお礼を述べたい。あやふやな記憶の彼の姿をたどる。たぶんおそらく同じ学校の生徒だ。同級か上か下かはわからなくても、彼がこの学校のどこかにいるという結論に感動すらおぼえる。
謎のヒーローこと『ヒロさん』を見つけるため、事件の翌朝登校した私は、友達に詰めよって覚えている限りの彼の特徴を列挙した。

「ええーッ、あの有名人を知らないわけ!?」

私の気迫に若干ひきつつあった友人は、呆れながらも彼のことを知っているようなそぶりをみせる。だけどなぜだかどうして口を割ってくれない。私の焦りようを中々に面白がっているようにみえて、隠さず不愉快な顔になる。彼女の口ぶりから言ってヒロさんは中々に顔を知られているみたいだ。どうしてだろう、やっぱり不良だからだろうか。もしかしたら相当の問題児なのかもしれない。

「それにしても ひ、ヒロさん、て。ふっ」

名前すら知らないのだから仕方ないじゃないか、仮の名前です、仮の。自分でも恥ずかしいことをしているのは承知している。けれど便宜上、彼の姿に名前をつけておかないと、ただでさえぼんやりとした記憶が消えてしまうような気がして怖かったのだ。
友人の妙なツボにはまったらしく、その日一日はずっとそれで小馬鹿にされてしまった。ご丁寧にヒロさんのことを私に口外しないよう周囲にまで根回ししやがった。ちくしょう、その代償でもいいからヒロさんの名前くらい教えてくれればいいものを…ッ


放課後。また夕方がやって来た。今日はどうしようかと考えて、やっぱりいつものように丘へ向かおうと決めて正面玄関を出る。ひょっとするとまた彼に出くわすかもしれない、わずかな期待。ブレーキが効くのを自転車置き場で確認してから手押しで校門を抜けた。
どこからか「あっ」と男の子の声があがる。

「あれが"たそがれちゃん"かァ〜!」

よくわからないフレーズに振り向くと、ダブついた改造制服を着た、見覚えのない男子生徒が私を指差していた。普通、知らない人にそんなことをされていい気はしないのだけど、屈託のない笑顔も一緒に向けられていて微笑み返してしまいそうだと思った。
でも、それ以上に私をハッとさせる人が彼の横にいて。

「お おいッ 億泰! 声がでけーぞ」

億泰、と呼ばれた男の子の指を、探し人が慌てた様子で掴む。
あれは……ひ、

「ヒロさん!」

嬉しくて思わず心の呼び名を口に出してしまう。あ、とハンドルを握っていない方の手で口を押さえても、もう遅かった。

「へッ? ……オレ?」

私の目線の先を追って『ヒロさん』を一瞬探した彼と、ばっちりと目が合ってしまう。しまった、はずかしい。きえてしまいたい! いまここに隕石が局地的に降ってこないだろうか。
ぽかんとしている彼の顔を見ているのが辛くて恥ずかしくって、この際言いそびれた感謝だけ伝えるだけ伝えて、この場から逃げようと決めた。

「あ、あの 昨日はどうもありがとうございましたッ! それじゃ!」

ああもう明日から学校行くの憂鬱になっちゃうなあ、でも今まで会うこともなかったんだし、普通に生活するぶんには巡り会う可能性もないかなあ。それはそれですっごくかなしい。
自転車に乗って勢いよく逃げ出そうとして、なぜか前につんのめった。気のせいか荷台が引っ張られたような。
もう一度後ろを確認すれば、荷台のそばにヒロさんがいた。でも、近いとはいえ荷台を引っ張れるくらいに間は詰められていない。ますますわけがわからなくて、見据える視線を振り払えなかった。

「おれも、」


「あんたのこと"たそがれちゃん"って呼んでたっつー……」


グレート、そっちの方がネーミングセンスいいッスね、何をもってヒロなんスか、おれは……と何を焦ってか、まくし立てる彼に昨日の夕陽を思い出してしまって。
世界中ちかちかと星々が瞬いているようにまぶしい。
きっと沈みかけの夕陽のせいだ。そうにちがいない。


ヒーローさんの名前を、きかなくちゃ。


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