変わったこと おれは虐められていた、と思う。実際そうなのかわからなかったし、おれ自身嫌だったけど断ることもできなかったのでおれにも虐められる原因はあったのだと思う。たとえばこの長ったらしい前髪、とか。偶然目を見た人たちが顔色を変えて仲良くしてこようとするのが怖くて、なかなか目を晒すことができずにいたらこんな面倒なことに巻き込まれてしまっている。 昨日の五十嵐会長もおれの目を見たら顔色を変えるのかなあなどと思うと、何故か残念だという感情が湧き上がってきた。いままでしかたないことだと思っていたから、そんなことはなかったのだけれど。 「おい、裏庭行こうぜ」 数人の生徒に囲まれて裏庭へと連れていかれる。あそこは人が少ないから絶好の場所だと思ったのだろう。だけれど、あそこのベンチでは会長が眠っているかもしれないのに。 「嫌、です」 なるべく相手を挑発しないようにきっぱりと断ったつもりだったが、思わぬ反抗に腹を立てたらしい彼らは半ばおれを引き摺り裏庭へと連れて行った。そこのベンチに会長が眠っていないのを見て、ひどく安堵する。会長にだけはこんな姿を見せたくなかった。昨日は気に入ったと言ってくれたけれど、こんな姿を見たらきっと呆れて嫌われてしまうだろう。 「てめえら、おれの所有物に何してやがる」 だからこそ、蹴られて倒れた瞬間に心底怒りを感じているような声音で助け舟を出してくれた彼がおれにとって騎士のように素晴らしい人に見えた。 あの日からおれは呼び出しをされていない。 晴美さんの影響力は思っていたよりもずっと大きかったらしく、不思議なことに一切ちょっかいをかけられていなかった。物もなくならないし、壊れたりもしない。ぶつかられもしないし殴られも蹴られもしないのだから本当に不思議なものだ。それほどまでに晴美さんの影響が大きかったのだと改めて感心した。 「なあ、今度メアド教えろよ」 携帯電話で時間を確認した晴美さんが思い出したようにそう言ってきたのに、「もちろんです」と答えて頷く。いますぐにでも教えてあげたいところだったけれど、自分のメアドを誰かに教えるということがあまりないためアドレスを覚えていなかったし、携帯電話も教室のバッグに入れっぱなしだったため教えられなかった。 彼のおかげで変わったことは少なくない。彼の前でだけ前髪を会計さんから貰ったヘアピンで留めるようになり、彼はおれの顔によく触れてくるようになった。おれが笑えば、晴美さんも嬉しそうに笑うのが好きだ。 「おまえさ、前髪、切らねえの」 晴美さんが首を傾げつつおれの前髪を引っ張り訊いてくる。前髪を伸ばしていたのは自分の顔が嫌いだったからだけれども、晴美さんが鬱陶しいというのなら切ってもいいと思う。顔のせいで変なふうに行動を勘違いされたりするのが、何よりも嫌いだったから顔を隠していた。 晴美さんはおれの顔を好きだと言ってくれるから隠さないけれど、前髪が邪魔だと言うなら喜んで切ろう。誰にどう見られたって勘違いされたっていいい、おれは、晴美さんにベストだと言ってもらえる状態で常にいたいから。 「今度散髪にでも行くか?」 「はい」 寮のフロアの一角に散髪してくれる場所があるというからそこで髪を切ってもらうという話になった。晴美さんはおれの髪をつまんだり引っ張ったりしている。髪の毛が日の光を反射するのが眩しいのか、髪と同じ真っ黒な目を細めていた。 おれの生まれつき明るい茶髪とは違う黒く艶やかな髪。健康的に白く肌理の細かい肌と、肩幅が広くしなやかな長躯。切れ長の黒い目は日本人らしさも外国人のような彫りの深さも同時に持ち合わせていた。指の長い節くれだった手で頬を撫でられるのが好きだ。薄いくちびるにキスをするのが好きだ。 「晴美さん、好きです」 そう言って晴美さんの腕をやんわりと掴んでくちびるを頬に寄せる。ふにっとした感触がくちびるに伝わり微笑めば、晴美さんは僅かに頬を上気させてくちびるにキスをし直してくる。 「キスはくちびるにしろ、馬鹿」 変わってしまったのはオレだけではないということを実感しつつ、こんな幸せな時間がずっと続けばいいのにと思った。 >> index (C)siwasu 2012.03.21 |