アリシアの行方01



 俺が先生に初めて出会ったのは高校二年生の冬。人通りも少ない路地裏。夕焼けの赤に触発された様な真っ黒な影の中。
 壁に向かってしゃがみこむ、怪しい人影。

「そろそろ勘弁してくれないか。な?機嫌直して…」

 寒そうな和服を着た、変な男がいる。俺は声に釣られて一瞥して…確認して、足を早めた。
 こういう変な人には興味を示して関わりを持てば厄介だ。

「って、あ、アリシア!」

 そういえば明日は祝日だな、なんて思っていたら突然後ろから聞こえた大きな声に一瞬気をとられた。そして突然背中に沈む不自然な重力に驚いて足をもつれさせてしまい、

「う、わっ」

 そのまま派手に転ぶ…ことはなかった。誰かが俺の二の腕を掴んでくれていたからだ。

「あ、すみま、」

 俺は条件反射で礼を言いながら掴んでくれた人を見て言葉を止める。やばい、さっき路地裏にいた変な和装の男だ。他の通行人も何事かと見ているので、俺は慌ててその手を振り払う。

「こ、…こちらこそ、すみません。うちの猫が飛びかかってしまって…」

 彼にそう言われて未だ離れない背中の重みに気がついた。どうやら猫がくっついているらしい。ということはこの人が路地裏で話していた相手は猫だったのか。

「ほら、アリシア。やめなさい。…そんなに帰りたくないのか?」

 後ろで起こっている出来事なのであまり詳しくは分からないが、どうやら和装の男はアリシアという名の猫を俺から離すべく引っ張っているらしい。
 通行人の目もあるし、俺は早くこの面倒事を終わらせて帰りたいと思っている為彼の行動には黙っているのだが、如何せん嫌な予感がする。何故なら猫が彼に抵抗しているのか、俺の体に爪を力強くたてているのだ。
 そう、俺の制服どころか皮膚にまでも易々と食い込む鋭い武器が既に肉に到達しているような、チクリとした痛みが。

「アリ、シア。…いい加減にしなさい!」

 痺れを切らしたのか、和装の男が怒気をはらみながら猫の体を自分の方へと強く引き寄せた。その瞬間、それまで黙っているつもりだった俺はやばいと思って制止をかける。

「待っ…」

 が、間に合わなかった。
 ビリバリッという嫌な音と、時間が止まったかのような一瞬の白い世界と、背中に感じる鋭い痛みと、出そうになる悲鳴。

「ぃっ!!!…っ、」

 …は、流石に奥歯を噛んで我慢した。

「あっ、え、あ…。す、すすすすすすみません!い、今の、せ、背中…!」

 痛すぎてしゃがみ込む俺の後ろで、和装の男はうろたえているらしく謝りながら俺の様子を伺おうと顔を覗き込んでくる。うっかり目尻に涙が浮かんでしまったが、俺のプライドも流石に許してくれるだろう。
 目が合い彼の瞳に映る自分の情けない姿に溜息をつきたい気持ちを抑え、顔を逸らすと「大丈夫です」と立ち上がった。早く去ってしまおう。これ以上関わりたくない。
 けれど、何故か立ち去ろうと一歩踏み出す俺の腕を掴む和装の男。痛みで苛立ちが抑えきれない俺は遠慮なく彼を睨み付けた。治療費とかそういうのはいいから帰らせてくれ。そんな思いを目に込めて訴える。

「いや、…はい。何が言いたいのか分かるんですが、…その、」
「…なんですか」

 あからさまな溜息を吐きながら続きを促せば、男は歯切れ悪く俺の背中を指さしながら困ったように頭をかいた。

「あの、………アリシアが、…まだ、君の背中に…」

 その言葉に俺は痛みって猫の体重も忘れるのか、とそんな呑気なことを思ってしまった。

 それ以来彼がベストセラー小説家の志木暦(しき こよみ)であることを知り、更に出版社に勤めてる親父が担当している相手だと知れば交流が深くなるのは、成り行き上よくあることだと思いたい。



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(C)siwasu 2012.03.21


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