03


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 大きなあくびを一つ付けば、目の前の視線が手元から俺に移った。

「悪い、基本的に就寝は早い方なんで深夜に慣れてないんだ」

 ゴリラ相手に気を使う必要もないだろうと素直に言えば、気にしているのかいないのか。よく分からない表情で、また食事に集中し始めた。
 買ってきたゼリーは、こいつに小さすぎたようだ。器用に小さなスプーンを使用しているが、何度も落としそうになっている。
 食べづらいならと下げようとしたが怒られたので、気に入ってはいるのだろう。今度はもう少し食べやすいよう工夫してやるか。

 ゴリラが部屋を訪れるようになって一ヶ月が過ぎた。
 絶滅危惧種動物であるゴリラが何故この学園にいるのか、何故人間のような立ち振舞いが出来るのか、何故携帯電話を持っているのか。
 分からないことはまだ解決されていないが、俺はこのゴリラと過ごす深夜の時間を割と気に入っている。
 緊張が解けてきたのか、零時を過ぎると眠くなってくるし、食べる時はよく食べるので食費は痛いが(今日みたいにゼリーだけの日もある)普通に生きていれば絶対に味わえない体験と珍しさに、子供のような高揚感を覚えていた。
 最初は若干恐怖もあったが、ゴリラの誠実な人柄――いや、ゴリラ柄に今ではすっかり絆されている。

 ようやく平らげたのか、手を合わせて頭をあげたゴリラに、俺はテーブルの上を片付けていく。
 余り物は明日食べるつもりだが、訪問によって空腹加減が違うのは自炊で頑張ってる俺としては少し財布に悪い。食べきれない分はクラスメイトに話しかけて一緒に消化しているが、生徒会長様直々の……とか言われながら涙して手料理を食べられるのも複雑な気分だ。勿体無いので仕方ないが。

「グウゥム」

 嬉しそうに鳴き声を上げるゴリラに思わず笑みが溢れる。最近ではゴリラの気持ちが少し分かるようになってきた。
 今の鳴き声は、挨拶する時や自分が落ち着いている時に知らせてくれるものらしい。他にも「コホッコホッ」と咳をするように息を吐きだしている時は、相手を責める時だ。さっき別のものを用意するからとゼリーを下げた時に鳴かれた。
 他にも身振りや表情、仕草のバリエーションが豊富で、子供のように拗ねている時なんかは、人間と同じように口を尖らせたりもする。

 勉強するまでゴリラなんて胸を叩いてウホウホ言ってる程度のイメージしかなかった。
 世間一般のゴリラのイメージなんてそんなものだ。

 食事を終えて、いつものように我が物顔でソファーに寝転びだすゴリラ。俺も後を追って、ソファーの下に敷いたクッションの上に座ると、大きな腹をゆっくり撫でる。
 こうすると嬉しいのか気持ちよさそうに笑うし、俺も柔らかい毛触りが楽しいので日課になっていた。
 先日、流石に部屋中へ毛を落とされるのが辛抱できず、軽く散髪したおかげで、ちょうどいい長さに切り揃えられた毛並みは、清潔感があって気持ちいい。
 ゴリラもまんざらではない様子なので、また伸びたら切り揃えてやろう。

「そういえば、季節外れの台風が来るらしいから気をつけろよ」

 ふと、窓の外から揺れる楠の枝が目に止まって、佐藤が昼間話していた言葉を思い出した。
 ないと思うが、台風で飛ばされているゴリラなんて図は見たくないし、他の生徒に見つかりでもすれば大変だ。

 ゴリラは夢の世界に落ちかけながら、聞いているのかいないのか分からないような曖昧な頷きを返す。
 それにため息を吐きながら、俺はふと気になってゴリラの体に顔を近づけてみた。
 特に咎められることもないので、遠慮無く抱きしめるように胸元に飛びつくと、何かいい香りが漂ってくる。

「なんだこの香り……花?」

 花にはあまり詳しくないのでわからないが、佐藤に抱きしめられたことを思い出して、頬が赤らんだ。
 あいつが言っていた花の匂いは、ゴリラから移ったのだろう。
 しかし、花の匂いがするということは、普段は庭園にでもいるのだろうか。まさか佐藤がゴリラを飼って――いや、流石にそれはないと思いたい。

「でも……いい香りだな」

 そのまま花の香りと毛並みの気持ちよさにうっとりしていると、我慢していた睡魔がどっと押し寄せ、俺はゴリラを抱きしめたまま眠ってしまった。
 翌朝はちゃんとベッドで目覚めたのだが、おそらくゴリラが寝室まで運んでくれたのだろう。
 もしかして最初の時も――と、考えるとその優しさに思わず笑みが漏れる。

 次はいつ来るのだろうと思いながら、俺は携帯電話を開いてディスプレイに映る電話番号をそっと撫でた。
 もしあのゴリラが人間だったら、きっと、もっといい友人になれていただろう。


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(C)siwasu 2012.03.21


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