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「まだ誰も来てないのか」

 扉の開かない風紀委員室の前で、俺はため息を吐いて書類を見つめた。生徒会と違って毎朝ミーティングがある為、普段なら一人ぐらいは来ているはずなのだが、どこかで内輪の会議でも行っているのだろうか。
 途中経過でも早めに渡しておいたほうが、あちらも捗るだろうと考えて動いたが、どうやら無駄足になったらしい。
 この分だと次の訪問は昼になるな、と踵を返したところで、足を向けた先から賑やかな声が聞こえてきた。曲がり角から現れたのは、風紀委員たちだ。

「あれ、生徒会長。おはようございます」
「よぉ。何かあったのか?」

 真っ先に目の合った委員が駆け寄ってきたので、書類を渡しながら後ろの屈強な顔ぶれに視線を向ければ、委員が頬を膨らませて俺に詰め寄ってきた。

「聞いてくださいよ! 寮の裏庭の、あの大きな木。昨夜、雷が直撃したとかで半分焼けちゃったんですよ。幸い豪雨の中だったので火事にはならなかったみたいですけど、下の階では倒れてきた枝が窓を叩き割ったり、裏庭が落ち葉や枝だらけの大惨事だったので、明け方から風紀委員会総出で出来る限りの片付けをしてたんです」
「と、いってもある程度なので、残りは後日業者が来て処理してくれるらしいですけど」
「そう、だったのか」

 俺の部屋も楠側に面しているが、雷が落ちたことなんて気付きもしなかった。
 そんな状況でゴリラは何事もなく無事帰れたのだろうか。不安が胸を燻る。俺は意識を逸らすように愚痴を交わしながら、入室し始めた委員たちをぼんやり眺めていると、隣に気配がして顔を向けた。
 ら、いつの間にか佐藤が立っていて驚きに肩が揺れる。

「お、お前、いるなら声かけろよ!」
「おはよう」
「……おう」

 俺に一度視線を向けて挨拶を交わすが、すぐに遠くを眺める佐藤にため息をつきながら、顔に当ててあるガーゼに気付いて首を傾げる。しかも何故ガムテープ。いや俺も昨夜似たような治療をしたので人のこと言えないが。

「僕達が来るのを待てばいいのに、委員長ったら先に片付け始めてたんですよ。怪我なんかして、副委員長も発狂してたじゃないですか」
「そういえば根子の奴いねえな」
「ガーゼにガムテープなんか衛生的によくありませんとか言って、今保健室で救急セットもらってきてます」

 うるさい奴がいないおかげで落ち着いて風紀委員室前で会話出来ているが、その話だとそろそろ現れる頃だろう。
 ぷりぷりと怒る委員に、バツが悪いのかしょんぼりと項垂れる佐藤が小さく呟く。

「あのままだと、周りの花が可哀想だったから……」
「雑草ね、雑草! あのあたりも業者が片す予定なんで、置いておきたい分は庭園に移動させてくださいね! 言っとくけど俺は手伝いませんよ!」

 その会話から、おそらく草花を優先させるあまり風紀委員達の邪魔をしていたんだろうと予想できる。昔から変わらない佐藤に思わず笑うと、佐藤は気まずそうに頬をかいた。
 その時、ふと視界に入った包帯に、俺は咄嗟に佐藤の腕を掴むと、手の甲を凝視する。

「お前、これ……」

 持ち上げた掌には、包帯が乱雑に巻かれてあった。巻き方がわからなかったのか、最後ガムテープで止めた隅は少し剥がれかけている。よく考えれば顔の傷にも既視感があった。

「あんまり痛くないよ」
「いや、そういうこと聞いてるんじゃなくて――っ」

 見覚えのある、顔と左手の傷。男子高校生なんだから雑な治療は珍しくないとは思うが、全く同じ場所に全く同じ治療跡は偶然と呼んでいいのだろうか。
 俺はどう声をかけていいのか分からないまま、口を開閉させながら眉間に皺を寄せる。

「……仮にも風紀委員長が、目に見えるような怪我するんじゃねーよ」

 結局、言いたいことと全く違う言葉が口をついてしまった。佐藤は乱暴に腕を振りほどいて言う。

「悪かった。気をつける」

 俺を見て眉を寄せ、いつものように遠くを見て返事をすると、話は終わりだと言わんばかりに苛々した様子で入室していく。

「委員長、朝から皆に裏庭のお花を引っこ抜かれて、気が立ってるんですよ」
「あ、あぁ。その書類、残りは放課後までに提出するから、悪いがこの分だけでも確認しておいてくれ」

 取り残されて呆然としている俺は、委員がフォローするように耳打ちしてくれる言葉に適当な相槌を打つ。そして我ながら情けない声で用件を伝えると、逃げるようにその場を立ち去った。
 いつもぼんやりして何を考えているのか分からない佐藤の苛立った姿を見るのは、初めてだった。
 無駄に心臓が早鐘を打つ。自分の言動を振り返って後悔して、それでも平常心が収まらないので適当な空き教室に入って落ち着くまで座り込んだ。

 馬鹿か、俺は。

 勝手に冷たく当たっているくせに、返ってくるものが全て優しさで満ちているとでも思っていたのだろうか。
 自分のしてきたことが当然のように返ってきただけのことだ。むしろ、今まであいつが怒らなかったことの方が奇跡だろう。元々あまり怒らない性格ではあるが。
 傲慢だ。驕りだ。俺なんか一層嫌われて、期待なんて持つ隙がないほど突き放されればいいのに。

 自分を責めているとようやく落ち着いてきて、小さく鼻をすする。
 もうすぐ予鈴の時間だ。これでは職員室に寄る暇はないだろう。
 諦めて教室に向かうか、と立ち上がったところで、俺は思い出したように手の甲に触れる。
 あいつの怪我は、昨夜、俺がゴリラに手当てした場所と同じだった。

「……まさかな」

 だからなんだと言うのだ。妙な妄想をして、馬鹿馬鹿しい。
 しかし楠が焼けたという情報は少し気になる。
 次にゴリラが来る時、怪我をせずに無事登れるだろうか。焼けたところから木片が突き出ていては大変だ。

「帰り、見ておくか」

 ゴリラとの真夜中の逢瀬を楽しみにしている俺は、小さく呟いて空き教室を後にした。


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(C)siwasu 2012.03.21


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