帰り道



参加者の多いこの宴会は、鬼灯様によって一区切りつけられた。

明日も仕事があるから、そしてこれ以上は閻魔様の話が長くなって帰れなくなるかららしい。

こうなるのはいつものことらしく、誰も文句のひとつなく家路についていた。
酔いがまわって眠ったり、テンションが上がった人達は例外として。

思ったよりも速く仕事が終わった私もまた、家路につく者のひとり。

花街は夜中であってもまだまだ明るく賑やかで、昼とはまた違った風景がある。
道行く人は皆おしゃれをして、お酒に街に異性に酔いしれる、夜の景色。

華やかではあるけれど、怖い顔も持つ街。

それが私の住み慣れた場所なのだ。


「春月さん?」


特に何を考えるわけではなく、ただ歩いていた私の名を後ろから呼ぶ声が聞こえた。
さっきまで近くで聞いていた声が。


『鬼灯、様…?』
「やはり貴女でしたか。今からまた仕事ですか?」
『いいえ。今日はもう。調度帰ろうと思っていたところです』


そうでしたかと呟く彼は、全く酔った様子はなかった。
お酒は飲んでいたと思うのだけれど。


『鬼灯様も今お帰りですか?』
「ええ。ようやく酔った部下たちをタクシーに詰め込み終わったので」
『そうですか。お疲れ様です』


こんな時でも彼は忙しいらしい。

宴会での彼しか私は知らないけれど、部下の皆に慕われているとことは簡単にわかった。
酔った彼らは鬼灯様の話題になると、仕事がはやいとかいつも冷静だとか、そんなことを言っていた。

それに、彼はとても仕事のできる人なのだと閻魔様も言っていた。
とても誇らしそうだったけれど、少し暴力的な所もあるとぼやいていて、それを聞いていた鬼灯様は、その原因は貴方にあるのですとすかさず反論していた。


『こんな時間までここにいて、明日は大丈夫なのですか?』
「ええ、まあ。なれていますので」

『私などが口出しするようなことではありませんが、どうぞお体をお大事になさってください。
睡眠不足はお体にさわりますよ』

「そうですね、気を付けます。
ですが、貴女のその言葉、そのまま貴女にお返ししますよ」
『え?』

「稽古は毎日欠かさずやっているのでしょう?
そうでなければあのように舞うことは出来ないし、楽器を弾くことも出来ません」

『ええ、もちろん稽古をしない日はありません。
ですが、よくお分かりになりましたね』


私は隠していたのだ。
稽古の影を見せないように。

宴会は華やかな場所で、お昼の嫌なことも辛いことも忘れられる場所。

稽古のようなものは夜の宴には必要ない。
日常感が出てしまっては、楽しい宴会に水をさしてしまう。

そう思っていたのだけれど、鬼灯様には見破られてしまった。
部下の皆が言うように、彼は冷静にものを考えられるらしい。


『私もまだまだということでしょうね。
まだ課題は沢山ありますし』

「そういうストイックな所は賞賛しますが、ほどほどにするべきですよ。
貴女が倒れたら心配する人は多くいるのですから」

『ありがとうございます、鬼灯様。肝に命じますね』


心配してもらえるのが何だか嬉しくて、ついふふっと声に出して小さく笑ってしまった。
会ったばかりの人とこんな風に話したことなんて今までで初めてだったから。


「凉葉」


体が固まったように、一瞬時が止まったように感じた。
いきなりのその声に驚き、少し胸が痛む。

声の方を振り向くと案の定彼がいる。
彼は私を見て、隣にいる鬼灯様を睨んだ後、また私を見た。

私は正直、彼には会いたくなかった。


『 あ、』
「帰りが遅いから探していたんだ。その人は?」
『彼とはさっき会って、少し世間話していただけですから』
「そうか?それにしては随分と親しげだったな」


彼の目が怖かった。
嫉妬深い彼とはもう縁を切りたいのに、彼は縁を切ってくれはしないらしい。


『貴方にはもう、関係無いことではありませんか』


自然と声が小さくなっていく。


「関係ない?凉葉、お前には俺が必要だろう?
お前を守ってやれるのは俺だけだ。
俺ならお前のために、金も居場所も欲しいものもなんだって手に入れてやれる。
さあ、帰るぞ」

『ひ、必要ないと言ったはずです。
私はもう、ひとりでやっていけます』

「ひとりで?
無理だ、お前には俺が必要なんだ。何回言ったら分かる?
ほら、もう行くぞ」

『は、離し、て』


こうやって、強引に手を引いて歩き出そうとするところとか、私の意見なんて聞く耳持たずに自分の意見を押し付けてくるところとか、もう嫌だ。

彼は声を荒らげたりしない。
しないけれど、威圧感があって怖い。

私がこうして怯えてしまうから、彼のこの態度がエスカレートしてしまうことは分かっている。
分かっていても、彼を前にすると怯んでしまう。


「その手を離して下さい。彼女が嫌がっています」
「は?」
『え?』

「そんな強引にしては女性に嫌われてしまいますよ?」


私の手を掴む彼の手首を、鬼灯様が掴んでいた。

彼は眉をひそめて鬼灯様を睨み付けると、不機嫌そうな声を出した。
私の手を掴む力が強くなって少し痛い。


『…っ』

「いっ…」


私が痛みで顔を歪めてすぐ、彼の手が私の手を離した。
鬼灯様が彼の手首を明らかに強く握っている。
私はまだ少しだけ痛みが残る手をさすった。


「すみません、彼女が痛がっていましたので、つい。
今日の所はこれで引き上げたらいかがです?」

「アンタには関係の無いことだろう!
これは俺と凉葉の問題だ。口出ししないで貰おう」

「嫌がる女性を強引に連れて行こうとするなど、誘拐でもしているようにしか見えませんよ」
「知り合いなんだから誘拐にはならないだろう!!」


いきなり怒鳴り声をあげた彼の手首を鬼灯様は一度離し、一瞬彼は油断したらしい。

鬼灯様は、口角を少しだけつり上げた彼の手首を今度はさっきとは違うように掴み、肘を曲げさせながら彼の背中にその手の甲をつけた。


「いっ!!ぐっ、あ、クソっ、てめぇ…」
「知り合いであっても誘拐は成り立ちます。
このまま、警察に引き渡してもいいんですが、どうします?」

「わ、分かったよ…」
「そうですか。では、行ってください」


鬼灯様はぱっと手を離すと彼を見下した。
身長の差があるせいか、そう言うのがぴったりだった。

彼の姿が見えなくなると鬼灯様は私の方を見た。


「大丈夫ですか?」
『はい。ありがとうございます、鬼灯様。
とても、助かりました』

「いえ、もう少しはやく介入するべきでした。
手の方は大丈夫ですか?」
『ええ、お陰様で。もう痛みもなくなりました』


今鬼灯様がいてくださって、本当に良かった。
ひとりだったらどんなに抵抗しようとも、最後にはいつもと同じようになってしまっていただろう。


「今日は送りましょう」
『ありがとうございます』

「おや、以外と素直に受け入れるのですね」
『鬼灯様は先程のことを聞かないのですね』


普通ならあんなことがあったら気まずくなってしまうか、またはすぐに事情を聞いてくるかするのではないだろうか。

私も話さなければと思っていた。
助けていただいたのだから、鬼灯様には聞く権利がある、そう思った。

けれど鬼灯様はそんなことは聞かず、私を送ると、そういってくださったのだ。

正直あの人がまたどこかで待ち伏せしているのではないかとか、私の家まで来てしまってるのではないかとか、そんな不安があったのだ。

だからその申し出はとても嬉しかった。
断る理由なんて無かったのだ。


「聞かれたくないことは誰にでもあることでしょうから、無理には聞きません」

『鬼灯様はお優しいのですね。
では、ここからは私の一人言です。聞き流して下さって構いません。
道すがらの暇潰しとでもお思い下さいませ』


何となく、鬼灯様には聞いていただきたいと思ってしまった。
だから、ほんの少しだけ、暴露話をしようと思う。

私の今までの人生の中で多分1番の面倒事の話。



『もう何年も前の話です。この仕事が軌道に乗り始めた頃でした』


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