‖薬 「兄上はそう、わらわに言うたのだな」 お腹を擦りながら続けた。 「兄上はお前が今持っている薬を渡し赤子を殺せと言うたのだな」 「…はい。」 わらわに遣う侍女は目を合わさずに答えた。 ―やはり、愛されてなかったのだ。 むしろ巫女の身であるわらわはその様な禁忌を犯してはならぬのだった。 たった一度。 初めて会った兄上はわらわの指先に口付けをしながら呟いた。 お前は大事なたった一人の巫女だと。 わたしのただ一人の女性だと。 だから許した。 この身を。 しかし、 子を身籠った今、兄上は怯えこの屋敷にも訪れずわらわの侍女に薬を持って来させるとは。 「百襲姫様、どうぞお許し下さい。」 何を許せと? 兄上はわらわの何を許せと言うのか。 とくん、と脈を打つ。 生きているこの子を、生命を殺めろとそう言うのか。 一生護ると言うたのは 一生愛すると言うたのは全て偽りだったのだ。 「ふふ」 悲しみと憎しみが皮肉にも笑いとして込み上げてくる。 「はは、あはは」 わらわが甲高く笑ったのに驚き、侍女がびくっと身を震わせる。 笑っている筈なのに涙が零れ落ちる。 全てを信じ、兄上に身を委ねたわらわは愚かな生き物なのだ。 「…殺しは、せぬ」 わらわの体内で息付いているこの子を殺しはせぬ。 兄上と犯した罪をここで終わらせるわけにはいかぬ。 「兄上に伝えろ。死産したとそう伝えろ」 侍女は頭を上げた。 目は大きく見開かれ、額からは汗が流れ落ちる。 「百襲姫様、しかし、この薬を飲んでおりませぬ。その様な偽りをお伝えすることなど出来ませぬ!」 「ではお前も兄上と同罪だな」 「え?」 青ざめた顔をしながら侍女はわらわの瞳をじっと見つめる。 「この体内に息付いている生命を殺めろとお前も言うのだな」 「百襲姫様…」 「わらわは一生斎の宮として生きねばならぬ。お前のように誰かの妻にも母にもなれぬ。 それなのに、やっと手にした赤子を、体内に息付いているこの子を兄上もお前も取り上げるのだな」 「わ、わたくしは…」 「この腹の子は神の子だ。 神から授かった赤子だ。お前はその神の子を殺めると言うのだな」 侍女は驚きを隠せず涙を目に一杯ためながらわらわを見つめる。 「少しでもわらわの身を思うてくれてるならその薬を何処かに捨て、もうすぐ生まれる神の子の出産を手伝ってくれぬか。」 わらわは侍女の手を包み込みはらはら零れ落ちる涙を拭かずに続けた。 「そして、生まれたこの子を川に流してくれぬか。葦の葉をたくさんつめてこの子が死なぬように温かくして小舟に乗せてくれぬか…」 「百襲姫様」 風がふたりの頬を掠める。 さらさら、さらさらと音を立てながら。 ―兄上、後で思い知るがよい。 わらわに偽りを言うたことを。 この子を殺めろと言うたことを。 きっと必ずこの子はわらわの元に戻ってくる。 そうしてわらわの怒りを、無念を晴らしてくれよう。 それまで、ひっそりとこの屋敷で待つとしよう。 わらわの運命を赤子に託しながら。 †百襲姫† [*前] [次#] |