バトル

シルバーと小夜が中庭で唇を重ねてから部屋に戻ると、怪しげににやにやするポケモンたちに迎えられた。
それに苛立ったシルバーは修行だと言い張った。
小夜やそのポケモンたちを連れて、一階のベランダを通って庭の開けた場所までやってきたのだ。
ベランダから出るとすぐに芝生があり、其処を抜けると雑草が生い茂る平地となっている。
その開けた平地から木の密集する森までは距離があり、バトル場一つ分程度離れている。
シルバーは以前オーキド研究所を訪れた際も、その平地でポケモンたちの修行をしていた。
手入れの行き届いている芝生に傷を付ける訳にはいかない。
そして今この時、シルバーのポケモンたちが修行する筈が、スキルアップに努めているのは何故かバクフーンだった。
しかもその相手は――小夜だ。
小夜はバクフーンに向かって高く跳び、素手で殴り掛かった。


―――ガッ!!


バクフーンが間一髪でそれを回避すると、足場にしていた地表に数cmの亀裂が入った。
瞬間移動にも見える小夜の攻撃を回避し、時には此方から何らかの攻撃を仕掛ける。
それが今日の修行内容であり、特に動体視力と素早さが鍛えられる。
バクフーンから攻撃を繰り出そうとしても、小夜がその隙を一切与えない。

過酷な修行を立ったまま傍観しているシルバーは、腕を組んで顔を顰めていた。
ロケット団から解放されて以降、小夜はシルバーが眠っている深夜、バクフーンの修行に付き合う事がある。
シルバーにとって、今日がその初見だ。
シルバーのポケモンたちは以前からバクフーンの手を借りて修行する事が殆どだが、その時からバクフーンをやたらとすばしっこいポケモンだとは思っていた。
此方の攻撃が命中しないのだ。
素早さの種族値が優秀なニューラとゴルバットでさえ、命中させられない。
その理由が小夜との修行だった。
シルバーのポケモンたちとスイクンが驚きの目で見守る一方で、エーフィとボーマンダは何食わぬ顔をしている。
小夜がポケモンを鍛えるのを見たことがなかったスイクンが、エーフィとボーマンダに問い掛けた。

“何時もこうなのか。”

六年間もあの修行に付き合っていた二匹は頷いた。
エーフィは追い回されているバクフーンを見ながら苦笑した。

“あの笑顔で殴り掛かられる恐怖と言ったらもう…。”

思い出すだけでエーフィは身震いした。
確かに、容赦なくバクフーンに攻撃を振りかざす小夜は柔和に微笑んでいる。
必死に集中しながら回避するバクフーンとは対照的だ。
エーフィは続けて説明した。

“小夜は優しいから、私たちに怪我をさせるような事は勿論しないよ。

でも私たちが避けられる限界すれすれの速さで攻撃してくるから、気を抜けばすぐ気付かれる。”

小夜が此処に匿って貰っていた間にも、深夜に極秘で修行する事は多々あった。
その時は防音となる小夜の結界の中、物理攻撃だけでなく波導弾やシャドーボールが付加されて飛んでくる。

“私とボーマンダは最近あれをやってないけど、君は如何かな?”

エーフィににやりとした笑みを向けられ、スイクンは冷や汗を掻いた。
小夜が今後スイクンと何らかの修行をする可能性はあり得る。
すると、バクフーンに動きがあった。
何かを横に切断するような小夜の物理的攻撃をしゃがんで回避した瞬間、炎を身体全体に纏った。
そのまま思い切り地を蹴り、至近距離からの攻撃を試みた。

「火炎ぐるまか…!」

シルバーには攻撃が当たったように見えたが、バクフーンが攻撃したのは小夜の残像だった。
バクフーンは前のめりに転倒しそうになるのを踏ん張って堪えると、身体の炎を消して小夜の姿を探した。
だが、いない。

『下よ。』

バクフーンがはっとした時には、小夜が拳を握りながら目の前に低くしゃがんでいた。
バクフーンは咄嗟に後方に跳び退くが、小夜の体勢の方が明らかに優位だった。


―――トンッ


小夜がバクフーンに身体をぶつけたが、その衝撃音は見た目に反して優しいものだった。
バクフーンが踏み止まろうとした影響で砂の粉塵が舞う中、小夜は温かい身体に顔を埋め、ぎゅっと腕を回していた。
バクフーンは転倒せずに何とか踏み止まると、小夜が顔を上げた。

『……お疲れ様。』

ふわりとした笑みに疲労が癒される心地がしたバクフーンは目を潤ませると、自分より一回り小さい主人の身体をぎゅうっと抱き締めた。
五分も費やさない短時間の修行だが、されど五分。
とてつもなく長く感じるのだ。

“うぅ…小夜ー!”

『よしよし。』

感無量のバクフーンは小夜をぎゅうぎゅうと抱き締めて離そうとしない。
小夜に背を擦って貰っていると、上気していた呼吸も徐々に整ってくる。
小夜の頭に頬をすりすりと寄せていると、スイクンとばっちり目が合った。
バクフーンは怪しく笑い、冷や汗を掻いたスイクンに向かってビシッと指を差した。

“次は君だよ、スイクン!”

『待って。』

腕の中の小夜が静かにそう言ったのを聴いたバクフーンは目を瞬かせ、小夜の身体を離した。

『シルバー。』

「何だ。」

『相手をしてくれる?』

暫く無表情で傍観していたシルバーだが、小夜の言葉の意味がよく分からなかった。

「相手?」

『バトルしよう。』

「俺とお前が?」

『そう。』

シルバーは再度顔を顰めた。
小夜と出逢った当時、ワニノコだったオーダイルとヒノアラシだったバクフーンとでバトルをして以来、二人は一度もバトルをした事がなかった。
シルバーは小夜が対人戦をしているのを片手で数えられる程度しか見た事がない。
遭遇したトレーナーとのバトルは、基本的にシルバーが対処していたからだ。
小夜がバトルに誘ってくるなど、予想だにしなかった。
昔は小夜との再戦を密かに希望していたが、今はそうではない。
エーフィとボーマンダは恐ろしく強いし、バクフーンにも修行中に勝てた例がない。

『スイクンの実力を確かめたいの。』

シルバーがスイクンを一瞥すると、同じ赤色の目と視線が合った。
ジョウト地方に伝わる三聖獣の一匹、スイクン。
これは伝説のポケモンとバトルをする貴重な機会だ。

「いいだろう。

受けて立つ。」

シルバーは淡々と返事をしたが、小夜とバトルをするという緊張と闘争心が胸に湧き上がった。
スイクンがバクフーンと場所を交代し、小夜の元に歩み寄った。
バクフーンとすれ違う際、バクフーンはにこやかに頷いてくれた。
小夜がスイクンの頬を撫でると、スイクンは薄い紐のような尾で小夜の頬に触れた。
小夜は自分がエスパータイプ気質であるせいか、スイクンの実力は大体勘で把握していた。
シルバーはそれを分かっていた。
小夜がバトルを希望するのは、他に理由があるのだろう。

「オーダイル、お前に決める。」

オーダイルは何も言わないまま力強く頷き、シルバーの前に出て小夜とスイクンと対峙した。
スイクンも前に出ると、一瞬にして空気が張り詰めた。
小夜は一度無表情になり、数秒間だけ瞳を閉じた。
対人戦は久方振りだし、相手はシルバーだ。
小夜は透き通った瞳をシルバーに向けると、好戦的に微笑んだ。

『容赦はしない!』

「望むところだ!」





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