バトル-2
シルバーは浴槽の湯に顔全体を浸け、ぶくぶくと息を吐いた。
下を向いたまま湯から顔を出すと、視界一杯を湯気が覆った。
異様に広い浴槽は縦横に三mずつはあるのではないだろうか。
まるで温泉のような広さで、小柄なポケモンなら泳げる。
今日は小夜が入浴剤を入れていて、湯はほんのり甘い香りのする乳白色だった。
浸かっている身体が全く見えなくなる濃さだ。
シルバーは何時もなら一番風呂に小夜とエーフィを入れてやるのだが、疲労を訴えたオーダイルの為に先に入っていた。
スイクンと戦ったオーダイルは小夜に癒しの波導で治療して貰った後、すぐに風呂に入りたがった。
「疲れたな…。」
シルバーが小声でそう言うと、オーダイルとバクフーンが深々と頷いた。
結果的に、スイクンに勝つ事は出来なかった。
オーダイルは物理攻撃タイプであり、対するスイクンは特殊攻撃タイプだ。
更に神通力という厄介な技を持ち合わせていて、接近戦に持ち込むのが難しかった。
小夜は殆ど対人戦をしないにも関わらず、命令のタイミングも技の選択も優秀で、抜群のバトルスキルを窺わせた。
エスパータイプ気質のせいか、此方の繰り出す技を簡単に予測してしまうのだ。
“オーダイル、如何?”
“ふー、いい感じ。”
オーダイルの広い背をポケモン用スポンジでごしごしと洗っているのはバクフーンだ。
ニューラとコイルは湯に背を浸けたままぷかぷかと浮いて遊んでいる。
コイルの鋼の身体は沈み易く、時々U字磁石をばたつかせたりニューラに支えて貰ったりしていた。
ゴルバットは浴槽の縁に両兄で掴まり、オーダイルに洗って貰うのを待っている。
シルバーは以前入浴中に小夜からポケモンたちを風呂場に乱入させられて以来、ポケモンたちと一緒に風呂に入るのが完全に定着していた。
先ず最初にシルバーが風呂場に入り、髪や身体を洗う。
一通り終えてから湯に浸かると、その間にポケモンたちが入ってくる。
ポケモンたちが出てから、シルバーは最後に出る。
それが恒例のパターンだった。
ポケモンセンターの風呂場が狭い場合は別々に入るが、大体が一緒だ。
今となっては、別々に入る方が違和感がある。
“暑くなってきた…。”
顔が火照っているニューラが浴槽の縁に上半身を乗り上げた。
沈みそうになったコイルが慌てて湯船から出て浮遊した。
“ちょっと冷たい水を出して貰っていい?”
氷タイプのニューラにとって、湯の温度は厳しい。
冷水のシャワーを希望され、高温が好みのバクフーンは焦った。
高温とはいえ水は水であり、苦手に変わりはない。
“や、やだよ。
君はもう身体を洗ったんだからもう出なよ。
外は涼しいし。”
“ちょっとだけ!”
身体を洗ったゴルバットをシャワーで流してやっていたオーダイルは、嫌な予感がした。
ニューラはオーダイルの前に立つと、水栓の温度調節ハンドルで温度を勢いよく下げた。
オーダイルが持っていたシャワーホースから、冷水が一気に放水された。
“冷たいー!!”
至近距離で冷水を被ったゴルバットは口から超音波のような高音を発し、全員が耳を塞いだ。
翼をばたつかせ、体当たりで風呂場の扉を開けると、その場から出ていった。
冷水が瞬く間に飛び散り、バクフーンは半泣きになった。
“うわあああ!!”
絶叫したバクフーンが慌てて温度を高温に調節し、今度は熱湯が放水された。
バクフーンにシャワーホースを奪われたオーダイルは素早く脇に寄って熱湯を回避し、嫌な汗を掻き始めた。
シルバーの怒りのボルテージが上がっていく。
“にゃあああ!!”
バクフーンが持つシャワーホースから放出される熱湯に触ってしまったニューラは、ニャースのように鳴くと、思い切りじたばたした。
その身体に掛かった熱湯があちこちに弾け飛ぶ。
コイルはシルバーの隣でおろおろしたかと思うと、見るに見兼ねて風呂場から飛び出した。
すると、シャワーの放水がぴたりと止まった。
それを止めた本人であるシルバーに、全員の視線が集まった。
腰に白いタオルを巻いているシルバーは浴槽の中に立ち、口元を引き攣らせてわなわなと震えていた。
「てめぇら……いい加減にしやがれ!!!!」
我慢の限界を突破したシルバーが不満を爆発させて怒鳴り、それに跳び上がったニューラが騒々しく出ていった。
シルバーがぜぇぜぇと息を荒くする声だけが風呂場に残った。
バクフーンとオーダイルは目を合わせ、控え目に笑った。
「…余計に疲れた。
風呂場は騒ぐ場所じゃねぇだろ。」
シルバーは腕を組み、湯船に浸かり直した。
二匹は頭を掻いて申し訳なさそうにしたかと思うと、同じく浴槽に入った。
この浴槽は本当に広く、スペースにはまだまだ余裕がある。
ボーマンダには狭いかもしれないが、スイクンなら入れそうだ。
「はぁ…。」
風呂場は落ち着きを取り戻した。
シルバーは今回研究所に来てから、こうやって二匹と一緒に湯船に浸かる機会が多い気がする。
やんちゃなニューラたちは早く上がるのだ。
鼻息を荒くしながら湯に耐えるバクフーンに、シルバーは苦笑した。
水が苦手な癖に、よく耐えるものだ。
シルバーは小夜とバクフーンが披露した修行を思い出した。
「お前、あんな修行をしていたんだな。」
“忍耐さ!”
バクフーンは小刻みに頷いた。
最初は笑い半分で小夜と取っ組み合いをしていただけだったが、何時からか本格的な修行となった。
お陰で素早くなったし、動体視力と判断力の向上に繋がった。
「オーダイル、お前もやるか?」
“え?!”
オーダイルは思わず身を後方に引き、シルバーの不敵な笑みにギクリとした。
すると、バクフーンの力ない声がした。
“俺、出る…。”
オーダイルはバクフーンにも例の修行を勧められるかと思いきや、バクフーンはそれどころではなかったらしい。
水に耐えかねて立ち上がり、のろのろと浴槽から出た。
“じゃあ俺も出る!”
シルバーから逃げるようにオーダイルもバクフーンに続いた。
「俺はまだ残るぜ。」
シルバーはひらひらと手を振り、二匹を見送った。
中折れタイプの扉が閉まると、風呂場は今度こそ静粛に包まれた。
充分に湯船に浸かったら、小夜を呼びに行こう。
小夜は入浴が好きだ。
前々から頻繁に半身浴をするし、風呂場でエーフィと話をするのは小夜の日課だ。
この直後に何が起きるか知らないまま、シルバーのリラックスする時間が刻々と過ぎてゆく。
2015.2.4
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