今という未来-3
「お前はあの時、泣いていた。」
『…。』
「私はあの泉の中で、その人間の名を呼ぶお前の声が聴こえた。」
―――嫌だ、バショウ!!
―――嫌ああああ!!
飛行船が爆発した瞬間、小夜はそう叫んだ。
その哀しい叫び声は、泉の中に投げ込まれていたミュウツーにも届いていた。
「何故泣いていた?」
『彼が死んだから。』
小夜は端的に素早く回答した。
『私の解放と引き換えだった。
彼は私に関する電子データを削除してくれたの。』
彼はミュウツーの情報さえサカキのコンピュータから削除している。
だが小夜とミュウツーはそれを知らない。
『彼はあの爆発に巻き込まれて…。』
今でもフラッシュバックのように蘇る当初の記憶。
それを時折思い出しては苦しげな表情をするのを、共に旅をしているシルバーには気付かれているかもしれない。
『私は彼が本当に好きだった。』
もっと愛を伝えればよかった。
愛している、と口に出して伝えればよかった。
彼が目の前で亡くなった瞬間。
哀しくて哀しくて、一目も憚らずに叫び泣いた。
小夜は弱々しく微笑むと、嵐の後に現れた満月を見つめた。
時折雲に隠れる満月は光の輪を纏い、幻想的に空に浮かんでいる。
ミュウツーは小夜が話しているのを何も言わずに静かに聴いていた。
小夜にはもう一つ、ミュウツーに聴いて欲しい事があった。
『ミュウツーは、もし過去に戻れるのなら何をする?』
「何故そのような事を訊く?」
小夜の問いに回答するのではなく、先ずは問いの意図を問う。
慎重なミュウツーらしい、と小夜は思った。
『過去に戻る方法がない訳じゃないの。』
時渡りという低過ぎる可能性に、小夜は完全に執着してしまっていた。
あの古惚けた本を見つけてしまったのを心底後悔していた。
「お前はその人間の未来を変えたいのか?」
『…っ。』
彼が死ぬ未来を変えたいという心の内に秘めた望みを容易く当てられ、小夜は瞳を揺らした。
その反応から図星であると悟ったミュウツーは、無表情で小夜を見据えた。
「過去へ戻ったとしても、今という未来が変えられるとは限らない。」
もし定めというものが存在するのであれば、現在のこの状況は変えられないだろう。
彼が死ぬという未来は変わらない。
実際に小夜は「貴方が死ぬかもしれないからハッキングは止めて欲しい」と彼に懇願しても、彼は身を犠牲にするのを躊躇わなかった。
小夜が万が一過去へ渡れたとしても、未来は簡単に変わりそうもない。
「冷静になれ。」
『…そうよね。』
時渡りならば過去に渡れる。
彼に逢える。
彼が亡くなるという未来が変わるかもしれない。
そんな淡い期待は、ミュウツーの厳粛な声と台詞によって徐々に薄れてゆく。
小夜は息を深く吐くと、我を見失っていた自分を心の中で非難した。
そんな中でも、満月は空高く朧げに浮かんでいる。
『彼と再会した日も満月だった。』
あれはもう数ヶ月前の話だった。
当時春だった季節は変わり、もう秋の香りが漂い始めている。
満月である今日、再会を果たしたのはミュウツーだ。
『ミュウツーはバショウみたいに手の届かない処へ行ったりしない?』
ミュウツーは黙っていたが、そっと口を開いた。
「私はお前を求めている。」
『…?』
「私たちは同じ人間の手によって造られた。
お互いに唯一無二の存在だ。」
小夜は思わぬミュウツーの台詞に瞳を瞬かせた。
「ニューアイランドでお前と争った後、お前が生きているのか如何か不安でならなかった。」
『私は大丈夫だった。』
「嘘はよせ。」
『本当よ。』
小夜は安らぎを感じさせる微笑みをミュウツーに見せた。
頑固な小夜は一度言うとその主張を貫き通す。
ミュウツーと戦闘した時、小夜は研究所の瓦礫に突っ込んで腹部が裂け、大量出血によって瀕死の重傷を負った。
それを直接目にしたミュウツーは冷静さを失い、咄嗟に小夜を元の場所へ強制的にテレポートさせた。
それなのに、小夜は大丈夫だったと頑なに主張するのだ。
「お前は私の妹のような存在だ。
お前を失いたくはない。」
『私はいなくならないよ。』
「もし過去へ渡る事に失敗すれば、お前はこの時代から消える可能性がある。」
過去の時代へと渡っても、この時代へと無事に帰ってこられるとは限らない。
行きに運良く時渡りが出来たとしても、帰りも同様に無事であるという保証はない。
彼が亡くなった時もそうだった。
あの巨大飛行船へ侵入は出来たが、其処から帰還するのは叶わなかった。
「お前の連れもそう恐れる筈だ。」
『シルバーが?』
「過去の人間よりも、今生きている人間を大切にしろ。」
シルバーが小夜を想っている事は、ミュウツーにとって一目瞭然だった。
小夜を映すシルバーの目は、大切なものを見る目をしている。
「お前は過去へ渡るべきではない。」
『…そうね、そうよね。』
ミュウツーのお陰で、小夜はやっと冷静に考えられるようになってきた。
『貴方に話してよかった。』
穏やかな再会の時間は、潮風と共に柔らかく流れていく。
時渡りという可能性を、小夜は脳内から消し去ると心に決めた。
だが時渡りの存在を今後目の当たりにする事を、小夜はまだ知らない。
2013.3.27
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