今という未来-2
ウツギ研究所から星を見上げているのは、シルバーだけではなかった。
シルバーの想い人である小夜は、ウツギ研究所の落ち着きのある緑色をした屋根の上に腰を下ろし、晴れ始めた夜空を見上げていた。
ワカバタウンで最も高いこの場所からは、ワカバタウンが一望出来る。
閑静な住宅街の間にある風車が、潮風に吹かれて羽根を回転させている。
小夜は胸ポケットから一枚のカードを取り出した。
ロケット団の一員である事を証明するバショウのメンバーズカードだ。
其処にあるバショウの顔写真は何時も無表情で、それでいて何時も優男だ。
『…バショウ。』
苦しいよ――
小夜はあの古惚けた本を見つけた部屋からこの場所に直行した。
今はシルバーの顔を見られない。
時渡り。
それによって過去に渡ってバショウに逢いたいと言えば、シルバーは哀しい顔をするだろう。
大前提として、セレビィに逢えるかも分からない。
セレビィに逢ったとしても、時渡りで望む通りの過去へ戻してくれるかも分からない。
バショウが生まれていない何十年も前に飛ばされては元も子もない。
過去へ渡ったとしても、この時代に帰ってこられるかも分からない。
シルバーに逢えなくなるのは絶対に嫌だった。
あれこれと考えては混沌とする心の内を鎮めようと、小夜は空を眺めに来たのだった。
「小夜。」
灯も少ない静寂な中、背後から名を呼ばれた。
気付かなかった気配に瞳を見開いた小夜は、即座に振り向いた。
其処には厳然たる雰囲気を放つポケモンが、小夜と一定の距離を取って浮遊していた。
小夜は紫の瞳を見開いた。
「数日振りだな。」
『ミュウ、ツー…。』
ニューアイランドで再会して以降、ずっと逢えなかったミュウツーが小夜を見つめていた。
気配に敏感な小夜が名を呼ばれるまで全く気付けなかった。
それが突然の再会に余計驚かされる一因となっていた。
小夜は屋根の急な斜面の上で立ち上がり、ミュウツーと向き合った。
そしてミュウツーが手に持つ物を見て更に驚いた。
『それは私の帽子…。』
「お前の能力が強く放出されたのを感じて、後を追った。
その時に見つけた物だ。」
ミュウツーが感じた小夜の能力は、落雷を防御した際の結界の事だった。
ミュウツーは小夜の元へ静かに浮遊すると、帽子を差し出した。
『……ありがとう。』
この帽子はシルバーに初めて貰った思い入れのある物だった。
小夜は帽子を受け取ると、距離を取ろうとするミュウツーの片手を両手で包むように握った。
「…?」
『少し話そう?
私たち、きちんと話した事ないもの。』
初めて会話したのは六年前、あのニューアイランドの研究所で交信した時だ。
あの時はろくな会話も出来ないまま、小夜の身体がミュウツーの前から消えてしまった。
その次はニューアイランドの研究所の瓦礫の中で戦闘した時だ。
小夜と手を組もうとしたミュウツーを小夜が拒絶し、重傷を負った小夜は死の瀬戸際を彷徨った。
そしてその次は、数日前のニューアイランドでロケット団と戦闘した時だ。
ミュウツーは装置によって身を捕えられていたし、小夜はバショウを亡くしてミュウツーと会話どころではなかった。
シルバーの腕の中でひたすら涙する小夜を見たミュウツーは、小夜の意識を強制的に飛ばした。
『貴方がニューアイランドの研究所を破壊してから、何度か貴方の心の声が聴こえた。
私は誰だ、何の為に生きているのかって。』
「…。」
『貴方には私の声が聴こえた?』
小夜はミュウツーの吸盤のような手をぎゅっと握った。
潮風が小夜の長髪を撫でた。
「お前の声も、私の中で何度も聴こえた。」
『!』
「生きろ、と。」
―――自由に生きて。
サカキの言うままに行動していたあの時、何度も小夜の声が聴こえた。
時にはその声を自分の意思で思い起こした。
「お前の声だけが私を動かした。」
ミュウツーの声は厳粛さに包まれていたが、小夜を見つめるその目は優しかった。
『私たちは共通点が多いから、お互いの声が聴こえるのかも。』
―――貴女はミュウツーとの共通点が多い。
―――だから彼の心の声が聴こえるのかもしれませんね。
『バショウが、そう、言って…。』
小夜の声は途切れ、最後には掠れて消えていった。
暗くなった小夜の表情を、ミュウツーは小夜と同じ紫色の目で見つめていた。
時渡りの存在を知らしめられた今、小夜は亡き彼の事を思い出したくはなかった。
小夜が伏せていた瞳を上げると、雲間から満月が顔を出した。
彼と六年振りに再会したあの日も、満月だった。
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