15

夢ならば良かったのに。
浅い眠りから目を覚ました時、右目の視野が包帯に遮られていることに気付いて、絶望感に苛まれた。
ゆっくりと上体を起こすと、入院着の白が目に入った。
空いていた個室を特別に用意してくれたから、この部屋には私一人だけだ。
心が塞ぎ込むのを感じながら、足袋を履いた足を床に下ろした。
遠近感の掴めない手で窓を開けた時、違和感に気が付いた。

右目が陽光を感じている。
そんな、まさか。
眼球が破裂したというのに。

私は慌てて包帯に指をかけ、一気に解いた。
そして、寝台の横にある机に置かれた日輪刀を、少しだけ鞘から抜いた。
その刀身に映るのは、私の顔だ。

「嘘…治ってる…」

眼球は完全に再生し、裂傷も消えている。
眠りは浅かったから、一晩しか眠っていないと断言出来る。
たった一晩で、治ったというのか。
これではまるで、鬼だ――

錯乱した私は日輪刀を帯に差し、二階の窓から庭へと降り立った。
怖い、自分が怖い。
祖母が亡くなってから気が付いたことだけれど、私は傷の回復が常人よりも早いとは思っていた。
短刀で斬った左腕が跡形もなく治ったのは、婆様の薬のお陰だと己に言い聞かせていた。
怪我をする度に回復が早くなる現状を、見て見ぬ振りをしていた。
けれど、これで確信した。
私は異常だ、と。
走り出した瞬間に、背後から右腕を掴まれた。

「おっと、何処行くんだよ花野井那桜!」
「っ…!」

この声は、昨日ここまで運んでくれた宇髄さんだ。
私は深々と俯いたまま、宇髄さんに顔向けできなかった。

「履き物もなしに何してやがる?」
「……」
「折角見舞いに来てやったってのに、一体何処行くつもりだ?」

一向に振り向かない私を怪しんだ宇髄さんは、私の顔を強引に覗き込んできた。
肩を震わせて数歩下がった私を、宇髄さんは驚きの目で見た。

「…お前…なんで目が…」

明らかに眼球は破裂していたのに。
私が宇髄さんの手を振り解こうとした時、張り詰めた声がした。

「那桜!」

恋焦がれる声に、私は涙が滲んだ。
逢いたくなかったのに、逢いたかった。
門戸から敷地内に入ってきた杏寿郎さんは、宇髄さんを険しい表情で見つめた。

「宇髄、その手を離せ」
「はいはい」

宇髄さんが観念したように私から手を離した。
解放されても、私は杏寿郎さんの元へ駆け寄りはしなかった。
杏寿郎さんは私に優しい笑顔を向けてくれた。

「那桜、おいで」

私が首を小さく横に振ると、杏寿郎さんは眉を顰めた。
杏寿郎さんと視線を合わせられない。
任務後に駆け付けてくれたというのに、私は無礼だ。
杏寿郎さんは若干の戸惑いを滲ませながら言った。

「君は右目を失ったと胡蝶の文にあったが…」
「こいつの目ん玉はド派手に破裂してたぜ。
それが治ったんだ、一晩でな」

宇髄さんの台詞に、杏寿郎さんが目を見張った。
どのような反応をされるのか、私は不安で堪らなかった。
完治した右目に涙が滲むのを感じる。
宇髄さんが私を指差しながら言った。

「煉獄、気付いてんだろ?
こいつは特異体質だ」

特異体質?私が?
怯えながらも杏寿郎さんの顔色を見ると、杏寿郎さんは私の目を真っ直ぐに見つめていた。

「薄々気付いてはいたが、確証がなかっただけだ」

杏寿郎さんは私に片手を差し伸べた。
微笑みを向けてくれる杏寿郎さんに、私は戸惑うばかりだった。

「那桜」
「気味が悪いとは思わないのですか」
「思わない」
「私は気味が悪くて仕方がないのです…!」
「俺は変わらず君を愛しく思う」

杏寿郎さんはどのような私も受け入れてくれる、包容力のある人だ。
だからこそ私は、杏寿郎さんに心惹かれたのだ。
私は杏寿郎さんに一歩ずつゆっくりと近寄り、差し伸べられた手を躊躇いがちに握った。
その手を優しく引かれると、空いている腕で強く抱き締められた。
温かくて勇ましくて、そして愛おしい。

「杏寿郎さん…私…自分が怖くて…」
「俺は君を怖いとは思わない」
「これではまるで…鬼のようです」
「そんなことはない、大丈夫だ」

手を握り合いながら抱き締められていると、荒んだ心が徐々に落ち着きを取り戻してゆく。
成り行きを見つめていた宇髄さんが、独り言のように言った。

「その程度で気味悪いとか言ってたら、鬼の相手なんざできねぇよ」

賛同した杏寿郎さんが頷いた。
優しい言葉に、また涙が滲みそうになる。
最近は特に涙腺が緩い。
すると、穏やかな声がした。

「花野井さん、落ち着きましたか?」

胡蝶さんの声だった。
もしかしたら、胡蝶さんは杏寿郎さんが私を落ち着かせるまで待っていてくれたのだろうか。
相変わらずの微笑みを浮かべる胡蝶さんは、私を抱き締めたままの杏寿郎さんに言った。

「花野井さんのお顔を見せてください」

構わないかと問う杏寿郎さんに、私はゆっくりと頷いた。
両肩に杏寿郎さんの手を置かれながら、胡蝶さんの方を向いた。

「見事ですね。
あなたがここへ来た時、既に傷が塞がり始めていましたから、敢えて縫合しなくて正解でした」
「お気付きでしたか。
私が…異常だと」

異常≠ニいう言葉が鉛のように重くのしかかる。
杏寿郎さんが私の肩を抱いた。

「異常ではない。
極めて稀に存在する特異体質だ」
「その通りですよ、花野井さん。
とても素晴らしいことです」
「天からのド派手な授かり物だな」

柱である三人の言葉に、私の心が解れてゆく。
鬼殺隊はこの立派な柱に支えられているのだ。
すると、宇髄さんが陽気に言った。

「おい、花野井。
もし煉獄のことが嫌になったら、俺がいつでも四人目の嫁にしてやるぜ?」
「む!那桜は渡さん!」
「こりゃ派手に怒ってやがるぜ。
手合わせでもするか?」

杏寿郎さんは口角を上げているけれど、目が笑っていない。
更に私の肩を抱く力を込めた。
宇髄さんは冗談で言っているのに。

「胡蝶!木刀を貸してくれ!」
「杏寿郎さん、本当に宇髄さんと手合わせするおつもりですか?」
「案ずるな、那桜!
柱同士の稽古は許可されている!」
「お手柔らかにお願いしますね?
宇髄さんは私を助けてくださったのですから」

杏寿郎さんが不満そうな表情をした。
胡蝶さんは苦笑しているし、一方の宇髄さんは面白いものを見つけたような視線を杏寿郎さんに向けている。

「さあ花野井さん、足袋だけでは足が冷えますよ。
念の為にもう一度診察しましょう」

杏寿郎さんから私を引き剥がすかのように、胡蝶さんは私の背中に手を回して誘導した。
そういえば、私は足袋のまま窓から飛び出してしまったんだった。

「お借りした足袋でしたのに、申し訳ありません…」
「あなたがご無事で何よりですから、お気になさらずに」

未だに不満そうな杏寿郎さんと、好戦的な笑みを浮かべる宇髄さんがその場に残った。
胡蝶さんは少しばかり呆れた口調で言った。

「お二人は訓練場の方へ向かってくださいね。
手合わせならそちらでどうぞ」
「お怪我はなさらないでくださいね」

炎柱の杏寿郎さんと、音柱の宇髄さん。
手合わせで怪我をしなければいいけれど。
怪我をするのは、私だけで充分だ。



2022.3.5





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