10

煉獄さんとの逢瀬の最中は、鬼殺隊士と遭遇しないかと気がかりだった。
とはいえ、煉獄さんは私との関係を隠すつもりはないと話していた。
恥じらわずとも、君は俺の自慢だと励ましてくれた。
私にとって気がかりなのは、私が鬼殺隊士を脅迫するような女だということだ。

正午過ぎに煉獄さんとの逢瀬を終えた私は、夕刻には屋敷に戻ってきた。
陽が落ちる前に夕餉と湯浴みを済ませるのは、陽光のない夜に備えるからだ。
人里から離れたこの場所は、静まり返る。
藤の木が屋敷を囲い、更に藤の花の御香まで焚いているこの屋敷が、鬼によって攻められたことはない。
それでも私は寝床の傍に日輪刀を置き、万が一に備えた。

―――俺は君に剣士よりも、屋敷で安全に過ごして欲しいという思いの方が強い。
―――日輪刀は万が一の備えとして持っておくだけで構わない。

煉獄さんの言葉に甘えたい自分と、私も最前線で戦えるのではないかという思いが、複雑に入り混じっている。
鍛錬で膂力を上げた今なら、呼吸なしに鬼の頚を斬れるだろうか。
まだまだ鍛錬は足りないだろうけれど。
私は真夜中に考え耽っていた。

「那桜!花野井那桜!」
「わっ?!」

褥で横になっていた私は、弾けるように上体を起こした。
襖越しに縁側から聞こえる声は、鎹鴉のものだ。
大慌てで布団から出た私は、襖を開けた。
縁側で両の翼を広げて主張しているのは、煉獄さんの鎹鴉だ。
毎日文を届けてくれる鎹鴉は、私の腕に止まった。

「こんな真夜中に、どうしましたか?」
「炎柱カラ伝言!
那桜、ソチラヘ向カウ!今カラ!」
「今から?」

鎹鴉の足に文は括り付けられていない。
きっと、急ぎの伝言だ。

「煉獄さんに何かありましたか?」
「負傷シテイル!」

その一言に、私は全身から血の気が引くのを感じた。
間髪入れずに祖母の部屋へと向かった。
箪笥の引き出しに所狭しと詰められているのは、薬草の瓶や医療器具など、祖母が診療で使っていたものだ。
そこから医療用の縫合糸や塗り薬などを一通り引っ張り出した。
次に厨へ行き、濡れた手拭を用意すると、それらを縁側へ放るように置いた。
大慌てで草履を履き、庭から玄関先へと向かった。
門戸を開け放ち、道先にその姿を見つけた。

「煉獄さん!」
「那桜、夜分にすまない」

煉獄さんは自分の足で真っ直ぐに歩いているし、普段通りに口角を上げているけれど、左腕の二の腕を押さえている。
私たちは門戸を潜ると、玄関ではなく庭から縁側へと向かった。
縁側に二人で腰を下ろすと、負傷しているとは思えない程に快活な声が降ってきた。

「君に逢えて嬉しい!」
「私も嬉しいですから、左の肩から下を出せますか?」

煉獄さんは隊服の釦を開け、左腕を袖から抜いた。
逞しい腕には、横に裂けた傷があった。
医師だった祖母の傍で実践を積んだ私は、戸惑うこともなかった。
自分で斬った傷を三日前に縫合したばかりだというのも理由の一つだろう。
煉獄さんの裂傷は、傷の度合いの割にしっかりと止血されていた。

「不思議と出血が止まってますね…?」
「呼吸で止血している」
「なるほど、便利ですね」

呼吸の鍛錬をしたことのない私は、呼吸で止血するという感覚が全く想像できなかった。
平たい瓶の蓋を取り、白く濁った塗り薬を指に掬った。

「麻酔作用もある塗り薬です。
麻酔が効いたら縫合します」
「うむ、頼んだぞ」

自分の腕にも使った塗り薬を、そっと撫でるように塗った。
浅くはない裂傷が痛む筈なのに、煉獄さんは私に笑顔を向けたままだった。
麻酔の効果が出るまでの間、私は煉獄さんの腕に付着した血を濡れた手拭で拭き取った。

「煉獄さんがお怪我をされるなんて…何かありましたか?」
「人を庇って怪我をした。
それに俺だって怪我くらいはする」
「隠の方々は?」
「君の方がいいと思ってな。
鴉を君へ飛ばした」

私は不意に笑みが溢れてしまった。
私の方がいいだなんて、嬉しい言葉だ。
喜ぶ一方で、私は縫合の準備をした。

「縫合しますね」

相手が煉獄さんだから緊張するかと思えば、そうでもなかった。
縫合を始めてしまえば、瞬く間に集中した。
肌が突っ張らないように、裂傷が広がったりしないように、細心の注意を払う。
その間、煉獄さんは縫合される腕をじっと見ていた。
煉獄さんは私の集中を切らさないように気遣ったのか、それから暫く口を閉じていた。
包帯を丁寧に巻き終えれば、治療は完了だ。

「お疲れ様でした」
「ありがとう!
縫合がとても上手いな、驚いたぞ!」
「そうですか?」

ふうと一息つくと、肩の力が一気に抜けた。
すると今更ながら、煉獄さんの逞しい胸板が見えることに緊張し始めた。
祖母が診察していた患者の上体なら何度も見てきたのに、やはり相手が煉獄さんだと改めて緊張する。
私は顔に熱が上がるのを感じて、不自然に俯いた。

「那桜」
「は、はい」
「君に惚れ直した」

予想外の台詞に、私は俯きながら思考が停止した。
煉獄さんは私の顔を覗き込むと、掬うように口付けてきた。
驚いた私は思わず身を引きそうになったけれど、煉獄さんが私の後頭部に手を回して引き止めた。
三日前よりも長く唇が重なって、煉獄さんの優しさを深く感じる。
唇が名残惜しそうに離れると、私は煉獄さんの吐息を感じながら言った。

「…煉獄さん」
「どうした?」
「鎹鴉から煉獄さんが負傷したと聞いた時…とても怖かったんです。
煉獄さんまでいなくなってしまったらと思うと…」

言葉に詰まった私は、煉獄さんに手を握られた。
互いの指を絡めて握り合いながら、吐息が交わる。

「俺はここにいる」

煉獄さんはそれを伝えるかのように、私の唇を何度も塞いだ。
幸せで心地良くて、胸の高鳴りが止まらない。
身を委ねていると、煉獄さんが呟くように言った。

「今夜、泊まっても構わないだろうか」
「あ…男性用の夜着がありません…」
「…そうか、それは残念だ」
「準備しておきますね」
「いいや、俺が今度持参しよう」

もっと長く一緒にいたかったのに、残念だ。
煉獄さんが帰ってしまうのは寂しい。
頬を撫でてくれる煉獄さんの手に、自分のそれを重ねた。
この温もりをしっかりと覚えておこう。
次はいつ逢えるのか、分からないのだから。



2022.2.11





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