8

「俺は待っていろと言った筈だが」

私が玄関の格子戸を開けると、そこにいた煉獄さんは開口一番に不満を溢した。
私は口を閉ざし、煉獄さんの顔を見ることができなかった。
雲間から垣間見える細い月明かりと、玄関に置かれた行灯の明かりが、煉獄さんと私を静かに照らした。

「怪我はどうだ?
深く斬っていたように見えたが…」
「自分で止血して、縫合しました」

私は傷のある左腕に、右手をそっと置いた。
夜着の浴衣の下には、包帯が巻いてある。
血塗れの着物は井戸水を汲み上げて、付着した血を洗い流した。
煉獄さんの言う通り、私は左腕を深く斬っていた。
鬼の注意を引く為には、沢山の血の匂いが必要だと思ったからだ。
煉獄さんは後ろ手で格子戸を閉めると、私を抱き締めた。
壊れ物を扱うかのように、優しい腕だった。

「君が無事で良かった」

私は躊躇いながらも、広い背中に両腕を回した。
この温もりが、きっと今後の私を支える力になる。
忘れないように、しっかり覚えておこう。

「隊士から当時の状況を聞いた。
君に救われたそうだ。
俺からも礼を言わせてくれ、ありがとう」

私は煉獄さんの腕の中で小さく頷いた。
救えた命もあれば、目の前で散った命もある。
あの一家の惨殺された姿や、隊士が真っ二つに斬り裂かれる様子を思い出すと、胸が握り潰されるように苦しくなった。
私は煉獄さんの隊服をぎゅっと握った。

「君が稀血を使う前に、俺が駆け付けるべきだった」

改めて思い返しても、あの状況下では私の稀血で鬼の注意を引くことが最善だったと思う。
後悔はしていない。

「何か話してくれないか。
俺ばかりが話している」

煉獄さんは抱き締めていた腕を解くと、私の両肩に手を置き、顔を覗き込んできた。
俯いていた私は意を決して、顔をゆっくりと上げた。
互いの額が触れ合いそうな距離に、私の胸が煩いくらいに高鳴った。

「煉獄さん」

私が名を呼ぶと、煉獄さんは優しい笑顔を見せてくれた。
この笑顔も、ずっと忘れない。

「私たちが逢うのは、これで最後にしましょう」

煉獄さんから笑顔が消えた。
答えが返ってくるのは早かった。

「断る」

金銭を包んだ封筒を差し出した際にも、聞いた台詞だ。
けれど、その時よりもずっと声色が低くて真剣だった。
煉獄さんはもう一度私を抱き締めた。
今度は力強く、離さないと言っているかのように。

「俺が嫌いか」
「いいえ」
「なら何故逢わないなどと言うんだ」

私はあなたに恋焦がれている。
先程も助けに来てくれた煉獄さんを見て、恋心が膨らむのを感じた。
この気持ちを心の奥底に封じて、こうして抱き締めてくれたことを思い出にして生きてゆく。
これ以上惹かれると、ますます苦しくなってしまう。

「あなたはご自分の立場を理解しておられますか?」
「柱だから恋慕に現を抜かしている場合ではないと?」
「そうではなく…て…」

恋慕?
聞き間違いでなければ、煉獄さんは恋慕と言った。
それは、つまり煉獄さんが…

「那桜」
「っ、祖母から父を看取った方について聞いたのを思い出したのです。
煉獄さんは鬼狩りの名門、煉獄家の御子息なのでしょう?
私のような者がお傍にいるなんて許され、っな…!?」

言葉の途中なのに、煉獄さんが私の背中を木壁に押し付けた。
顔の両側で木壁に両手をつかれて、触れるまで体を寄せられると、完全に逃げ道がなくなる。
思わず俯こうとすると、顎を手で簡単に持ち上げられた。

「それで?」
「…それで…とは?」
「何故俺の傍にいてはならないと思うのか、君が考えることを言ってみろ」

煉獄さんの力強い瞳に間近で見つめられて、全身の熱が上がるのを感じる。
私は涙目になりながら、懸命に言った。

「私は鬼殺の隊士に刃を向けるような物騒な女です」
「物騒などではない」
「私は名家の娘でも何でもなく、身寄りもありません」
「だからどうした」

医師だった祖母と母が生きていれば、その娘として煉獄さんの前に立てたかもしれない。
けれど私は今、独りだ。

「私はあなたのような立派なお方に相応しくありません」
「相応しいか否かなど、関係ない」

何を言っても、間髪入れずに返ってくる。

「幾らでも言うといい。
俺が全て受け止めてやる」

ついに互いの額が触れ合うと、私は息をするのを忘れた。
真剣な瞳から目が離せない。
煉獄さんは私が泣いても憎んでも、その優しさと包容力で全て受け止めてくれた。
今でさえ、私を真っ向から受け止めようとしてくれている。
私はそんな煉獄さんに惹かれたのだ。

「気付いているとは思うが、改めて言わせてもらおう。
俺は君に惚れている」

私の胸が大きく高鳴った。
溢れる涙が頬を伝って、止められない。

「人を想う優しさも、憎悪に葛藤する心も、全てが愛おしい」

煉獄さんの指が私の涙を優しく拭った。
私が何も言えずにいると、煉獄さんは困ったような笑顔を浮かべた。

「迷惑な話だっただろうか」

私は掠れた声で、いいえと答えた。
この想いを封じ込めて生きていこうと思っていたのに。
こんなにも惹かれてしまえば、もう遅い。
自覚した気持ちを伝える時が、こんなにも早く訪れるとは。

「煉獄さんをお慕いしております…とても」

その台詞を合図に、煉獄さんが私の唇を塞いだ。
初めての口付けは、慈しむような優しさに溢れていた。
短く触れるだけの唇が離れると、私たちは熱を帯びた目で見つめ合った。

「柔らかいな」
「恥ずかしいことを言わないでください…」

恥ずかしくて顔を背けようとすれば、再び唇が重なった。
柔らかくて、温かい。
こんな幸せがあるなんて知らなかった。

「これから君を沢山知りたい。
たとえ君の何を知ったとしても、俺は君を好きなままだろうがな」
「それは私も同じです」

私の知らない煉獄さんを、もっと教えて欲しい。
これからもずっと私の心を支えて欲しい。

「煉獄さん、好きです」
「俺も君が好きだ」

傷付いた心が幸福感で満たされる。
煉獄さんの支えがあれば、私はきっと前を向いていられる。



2022.2.4





page 1/1

[ backtop ]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -