初恋、散る
これでもかという程にオレンの実を食す事を強要された小夜は、その渋い味に悶絶した。
だが体力は完全に回復し、体調に異変をもたらした正体不明の何かが飛来するのも止んだ。
『オボンの実が良かった。』
文句を言う小夜に、エーフィは悪戯っぽくにやついた。
オボンの実の方がオレンの実よりも回復量が多く、まろやかで食べ易い。
オボンの実ではなくオレンの実を大量に収穫してきたエーフィは、心配させた罰だと仄めかしていたのだった。
一方のシルバーは深夜の出発予定時間の直前になっても部屋へ帰ってこなかった。
シルバーの手持ちポケモン三匹がこの部屋にいる間は、木の実狩りの間に小夜とシルバーに何があったのかを小夜に尋ねるにはエーフィの気が引ける。
エーフィはもどかしさに苛立った。
『シルバー、遅いね。』
もう出発の準備が完了している小夜は、ベッドに腰掛けて足を揺らしながらシルバーの帰りを待つ。
ポケモンも持たず且つリュックまで部屋に置いてある状態で、一体何処でどのように時間を潰しているのだろうか。
小夜はプライバシーなんてそっちのけでシルバーの気配を追ってやりたくなってきた。
―――俺は、お前が…。
先程シルバーが何を言おうとしたのか小夜には分からなかった。
何故あの時シルバーは悲痛な表情をしていたのだろう。
『探してくる。』
“駄目だよ!”
エーフィに速攻で拒否されてしまった。
小夜を夜道に一人歩かせるのは危ない事この上ない。
だが小夜は窓を開けて誰も見ていない事を確認すると、其処から飛び降りてしまった。
こらー!と怒るエーフィの声が背後から聴こえたが、この際気にしない。
真っ暗なポケモンセンターの庭でふわりと着地すると、瞳を閉じてシルバーの気配を探る。
出逢った時よりも心の暗闇が減少したシルバーの気配は東の森の方向にあった。
自分の気配を押し殺してから地を蹴って駆け出すと、ぽつぽつと建っている民家が微弱ながらも足元を照らしてくれた。
街と森の境まで駆けてくると、シルバーの姿を簡単に発見出来た。
シルバーは太い木の枝に腰掛けて下弦の月を見上げており、その整った顔を月だけが照らしていた。
よくあの高さまで登れたものだ。
「はぁ。」
シルバーは溜息をついた。
このまま全て情報を白状してしまい、記憶も削除して貰って小夜の元から消えた方がいいのかもしれない。
そうすれば自分の記憶の中から小夜の存在は消え、先程気付いたこの気持ちも同時に消えてしまう。
小夜が好きだというこの気持ちも。
「俺は結局あいつを忘れる事になるんだよな。」
『あいつって誰?』
「決まってるだろ、あいつは……うわ?!」
何時の間にか隣に座っていたあいつ、つまり小夜。
シルバーは驚愕して木から落下しそうになった。
この暗闇の中では心臓に悪すぎる。
「てめぇ…殴るぞ!」
『シルバーって怒ったら何時も殴るって言うよね。』
「悪かったな。」
『口も一気に悪くなるし。』
「煩い、何の用だ。」
『何の用って…もう出発時間。』
「?!」
シルバーは慌てて腕時計を見た。
暗闇の中で目を凝らして見た針は確かに深夜一時を指していた。
一体何時間此処で黄昏ていたんだろう。
『…シルバーはさ。』
「な、何だよ。」
神妙な表情で細々と言葉を紡ぎ始めた小夜に、シルバーは妙に気押された。
『私の事、嫌いなのかな。』
「は?!」
こいつは俺を馬鹿にしてんのか?
『だって何時も殴るとか言うし。』
告白しようとした矢先にこれだ。
『私はシルバーを信用してもいいのかな。』
「…?!」
突然趣旨が変わり、シルバーは眉を寄せた。
『エーフィにね、記憶の削除はしないでいいんじゃないかって言われたの。』
シルバーは耳を疑った。
小石をぶつけてやろうとしたら跳ね返してきたあのエーフィが、そんな事を言ったとは。
そして小夜は迷っていた。
危険だから記憶削除は必須だとエーフィに言い張る一方で、心の中では記憶削除をしない道もあるのではないかと思い始めたのだ。
『もしシルバーを信用するなら、記憶削除はしないでシルバーからロケット団の情報だけを訊き出す。
そういう道もある。』
ロケット団が小夜と共に行動するシルバーの存在に気付くまでに、情報の聴取を実行しなければならない。
もし気付かれてしまったのなら、小夜はロケット団からシルバーを守らなければならない。
それは自分の都合で勝手にシルバーの旅についてきた小夜の義務だ。
だが小夜にはシルバーを守りながら闘い切る自信がなかった。
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