芽吹く

小夜は瞳を瞬かせた。
一体、この状況は何だろう。
視野一杯にバショウの綺麗な顔。
長い睫毛の一本一本が鮮明に見える。
幼い頃から頭を撫でられたり、寄り添って本を読んだり、顔が近距離で接近する事は多々あった。
だが此処まで至近距離だった事は未だ嘗て一度もない。
唇の柔らかな感触が消えると、小夜ははっと我に返った。

「目も閉じないのですね。」

余裕の笑みを溢すバショウに、小夜は仏頂面を見せた。

『今のは何?』

「愛情表現です。」

小夜はバショウに手で頬を包まれたまま頭を捻った。
間もなく頭の豆電球がフラッシュのようにぱっと光ったと思うと、此処へ来る前にエーフィが頬や鼻を舐めてくれたのを思い出した。

『ああ、成程。

エーフィと一緒なのね。』

「エーフィ…?」

バショウは六年前に戦闘で渡り合ったエーフィを思い出すと苦笑し、愛情表現と言った事を後悔した。
小夜は頬を赤らめる様子はなく、かといって照れる様子もない。

「……小夜、今何を考えていますか?」

『エーフィもほっぺとか鼻とか舐めてくれるもの。』

「私は舐めていませんが。」

これは強敵だ。
バショウは顔を引き攣らせた。
一方、うふふと笑う小夜には外見は完全に人間でも中身はポケモンのような部分がある。
先程の口付けをポケモンでいう野性的な愛情表現だと捉えたのだ。
ポケモン同士が身体を毛繕いし合ったり舐め合ったりするような、人間とはかけ離れたイメージだった。

「分かっていませんね。」

『分かってるよ。』

「いえ、全く分かっていません。」

『如何して?』

「分からせてあげますよ。」

『何言って…っん!』

小夜の言葉はバショウの唇によって遮られた。
先程とは違う、貪るような口付けだった。
頬を包んでいた手は腰と後頭部に回り、お互いの身体を密着させる。

『…ふ…っ。』

小夜が酸素を求めて息継ぎをすると、バショウはそれを見計らって角度を変えて口付けた。
小夜は弱々しくバショウの肩を押すが、バショウがそれを許さない。
バショウの力は思った以上に強く、小夜はバショウの背に腕を回して服を掴んだ。
エーフィやボーマンダとじゃれ合う時とは全く違う感覚に戸惑う。
心臓がこれでもかという程に跳ね、身体中を甘い痺れが走る。
生まれてこの方初めての経験だった。
酸素は吸っても吸ってもすぐに足りなくなり、眩暈を覚えてついに足の力が抜けた。

「小夜…!」

小夜は重力に従って砂の上に座り込むが、倒れそうになるのをバショウがしゃがみ込んで支える。
さらさらした砂が心地よい。
小夜は真っ赤な顔で瞳に涙を浮かべながら拗ねたようにバショウを睨んだが、それもバショウの理性を擽るだけだった。

「誘っていますか?」

『…何を?』

「やはり強敵ですね。」

『さっきから何を言ってるの?』

「今はまだ分からなくて結構ですよ。」

バショウは壊れ物を扱うかのように小夜を抱き締めた。
小夜が温もりに瞳を閉じると、バショウの心臓の音が聴こえた。

『バショウ、緊張してるの?』

「何故ですか?」

『心臓の音、速い。』

黙っているバショウを見上げると、綺麗に微笑んでくれる。
それを見て小夜も自然と微笑んだ。
無表情の彼が時折に見せる頬笑みをどれだけ欲しただろうか。
水晶のように透き通った彼女の瞳をどれだけ欲しただろうか。
バショウは小夜の艶やかな髪を撫でると、再度小夜に顔を近付けた。
だがそれは赤面した小夜がバショウの口に手を当てた事によって阻止されてしまう。

「嫌ですか?」

『嫌じゃないけど…。』

「最後まではしません。」

『最後って?』

バショウはふっと笑うと、小夜の手をそっと退けた。

「優しくします。」

バショウの頬笑みに魅入った小夜はそっと瞳を閉じ、降ってきた口付けに応えた。
バショウにこうされていると、心臓が高鳴る一方で心地良さに落ち着く自分がいた。




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