心の距離

俺は空港の外にあるバス停の傍にいた。
片手には大きなトランクを持っている。
今日、出国する。
その時、一台のバスが停車し、待ち焦がれていた恋人が姿を現した。

『国光!』

「愛!」

トレンチコート姿の愛は俺を見つけた途端に駆け出し、俺に抱き着いた。
人目を気にせず、二人で抱き合った。

『良かった、見送りに間に合って…。』

「すまない…お前は帰国したばかりだというのに。」

先程、空港内でロビーにいた時に愛からメッセージがあった。
すぐに電話をかけ、今日にもドイツへと出国すると伝えた。
愛は見送ると言い、バスで此処まで来てくれた。

「三日前、お爺様が今日出発する飛行機の航空券を予約したんだ。

本当にすまない…。」

愛は俺の腕の中で首を横に振った。
長時間のフライトで疲れている筈なのに、此処まで見送りに来てくれる愛を大切に思う。

「準優勝おめでとう。

やはりお前だけ全勝だったな。」

『うん。』

俺の胸に顔を埋めたままの愛は、顔を上げようとしない。
俺の背中に回す腕の力が強い。

『国光。』

「如何した?」

『好き。』

突然の言葉に、俺は目を見開いた。
人が近くにいないとはいえ、遠巻きには何人も視界に入る。
愛は一体如何したのだろうか。

『聞いて、国光。』

愛は俺から離れると、穏やかに微笑んだ。
その微笑みに何故か違和感を覚えた。
不吉な胸騒ぎがする。

『バスの中で、考えたの。』

「何を…だ?」

愛は風に揺れる髪を耳に掛けた。
一度だけ目を閉じてから、ゆっくりと俺を見た。

『離れよう。』

頭上を通過する飛行機の音が遠く聞こえた。
その一瞬が長いようで短く感じた。

「…離れる…?」

『距離を置こう。』

これは物理的な距離の話ではない。
心の距離の話だ。
突如突き付けられた残酷な言葉に、俺が動揺しない訳がなかった。
愛の自宅方面へ向かうバスから、5分後に発車するというアナウンスが聞こえた。

「…愛、待ってくれ。

確かにお前と一緒にオーストラリアへ行けなくなってしまったのはすまないと思っている。」

『違う、そうじゃない。』

「なら何故…。」

『合宿を離脱する事が理解出来ないの。』

合宿の離脱。
愛は年末の国別対抗戦やW杯の為にメニエール病と闘い、試合が出来るまでに回復した。
その努力が合宿を離脱した俺を否定しているのだろうか。

『好きだけど、一度離れよう。』

意味が全く理解出来ない。
好きだというのに、何故離れなければならないのだろうか。
俺は愛の腕を引き、強く抱き締めた。

「離れたくない。」

愛は抱き締め返してくれない。
この温もりに暫く触れられない。
それどころか、もう二度と触れられないかもしれない。

「愛…頼む、俺に何か不満があったのなら、努力して直してみせる。」

『酷い女だよね…支えてくれる人を突き放すなんて。』

愛は俺に答えてくれない。
離れたいと思うには、何か理由がある筈だ。

「俺には…お前が必要だ。」

『こんな酷い女でも?』

「お前が好きだ。」

愛は俺の胸元に頬を寄せ、小声で言った。

『もし離れてる間もそう思ってくれるのなら、年末に帰国した時に同じ事を言って?』

愛はそう言うと、俺の肩を強めに押して俺から離れた。
苦しげな微笑みを浮かべ、バスの方向へと一歩下がった。

『ドイツには綺麗な女の人が沢山いるよ。』

「俺が美人だと思う女性はお前だけだと言った筈だ。」

『目移りしちゃうよ。』

「あり得ない。」

愛の目から大粒の涙が零れた。
その涙さえも綺麗だと思ってしまう。

『年末まで連絡しないでおこう?

よく考えるから…時間が欲しい。』

「愛、話をさせてくれ。」

『…勝手でごめんなさい。』

俺が愛の手を取ろうとすると、愛は再び一歩下がった。
俺の胸が苦しい程に締め付けられた。

『ドイツでも頑張ってね、本当に応援してる。

あたしが惚れ直しちゃうくらいに強くなって?』

愛は俺に駆け寄ったかと思うと、俺の胸をグッと押し、意図的に俺のバランスを崩した。

「っ、待ってくれ、愛!」

愛は出発寸前のバスに向かって走り、一度だけ振り向いた。
精一杯の笑顔を見せると、優しい声で言った。

『さよなら。』

俺はトランクをその場に放ったまま、バスに向かって走った。
しかし間に合わず、バスの扉は無情にも閉まってしまった。
愛は俺が立っている側の席に座り、涙を手の甲で拭ってから俺を見下ろした。

「愛…!」

愛は俺に小さく手を振ったかと思うと、何かを言った。
好き
そう言っていた。
バスは無情にも出発し、走り出した。

俺はその場に立ち尽くした。
愛の声と温もりが残って消えなかった。



2017.6.28




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