恋人の危機

『離してよ!』

恋人の声が遠くから聞こえた気がしたのは、部活終了後、乾からレギュラー陣の練習メニューの改良について聞いている時だった。
部室の鍵を閉めた副部長の大石が、突然走り出した俺に言った。

「手塚、何処へ行くんだ?!」

「すまないが、用事がある!」

大石と乾を残し、俺は恋人の姿を探した。
お互いに多忙であり、部活後に話せないのは仕方がない。
それに昨夜の電話で、愛は放課後にテニススクールで頻繁に練習をすると言っていた。
今日もそうすると言っていた筈だ。
その愛がまだ学校に残っているのだろうか。

「お前って好きな奴いんの?」

『…いない。』

愛を見つけるのは早かった。
女子テニス部のコート脇に、その姿があった。

「なら俺と付き合ってよ。」

『嫌。』

サッカーボールを持った見知らぬ男が愛に交際を迫っている。
愛と交際しているのは俺だ。
感じた事のない苛立ちと焦りを覚えた。

「入学式で初めて見た時からずっと好きだった。」

―――入学式の時、舞台挨拶をしていた手塚先輩に一目惚れしました。

愛の台詞を思い出した時、サッカーボールが静かに地面に落ちた。
その瞬間、愛が腕を掴まれていた。

『痛…っ!』

愛の悲痛な声で、俺は口より先に手が出た。
一刻も早くこの男から愛を引き離したかった。

「返事がまだ――」

「何をしている。」

男の肩を掴むと、男は俺に振り返って目を見開いた。
渾身の怒りを込めて男を睨み付ける。
その隙に愛が男の腕を振り解いた。
俺は咄嗟に愛の手を引き、自分の背に庇った。
愛は俺の制服の裾を握り、男から隠れた。
男は慌ててサッカーボールを爪先で拾い上げ、動揺しながら言った。

「意味分かんねぇ、何で生徒会長が出てくるんだよ…!」

「今後、不二に手を出す事は許さん。」

「チッ…!」

わざとらしく舌打ちをしてから、男は走り去った。
愛が安心したように溜息を吐いた時、俺は愛の右腕に触れて確認した。
痛みが残っている様子はない。

『大丈夫です。』

愛は微笑んだが、弱々しい微笑みだった。
俺は愛の華奢な両肩に手を置いた。

「他には何もされていないか?」

『手塚先輩が来てくれて良かった。』

会話になっていない。
愛は遠くを見るような目をしている。

『好きな人がいるのか聞かれて…。』

「愛。」

『あたしは…。』

「愛、俺の目を見ろ。」

愛はようやく俺の目を見た。
潤んだ瞳の中に俺が映っている。

『好きです。

先輩が、好き。』

「知っている。」

愛は瞳を伏せると、俺の胸に額を押し当てた。
肩に置いていた手を背中に回してやると、縋るように抱き着いてきた。

『あんな変人もいるんですね。』

「グラウンド100周だな。」

『先輩ったら。』

愛が笑ってくれた。
少しは落ち着いただろうか。
愛の気が済むまでこうしていよう。
暫く抱き合っていると、愛が俺を見上げてきた。

『もう大丈夫です。

ありがとうございます。』

「いや、構わない。」

愛が何時ものように頬を赤らめ、柔らかく微笑んだ。
俺も微笑み返すと、愛は目を瞬かせた。
俺が微笑むのが相当珍しいらしい。
すると、愛は照れ臭そうに俺の肩口部分の制服をそっと握った。
そして軽く引き寄せると、少しだけ背伸びをしてみせた。
愛が求めているものが何か分かると、自分の胸が大きく鳴ったのが分かった。
応えるべく愛の頬に手を伸ばし、ゆっくりと顔を寄せた。
しかし、思わぬ邪魔が入る。


―――カリカリカリカリ…


「…………。」
『…………?!』

俺の背後から、ペンを走らせる音がした。
二人同時にその方向へ素早く顔を向けた。
其処には木の陰でデータノートを猛烈に書き進める乾と、それを必死に止めようとする大石がいた。

「こ…これは大変貴重なデータだ。

ノートを書く衝動を抑えられない…!」

「乾、駄目だよ邪魔になるって…!」

愛は俺の背後に隠れた。
俺は無表情ながらも、場を弁えていなかった事を痛烈に反省した。



2016.12.1




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