親友の兄
翌朝。
あたしはお兄ちゃんと一緒に家を出た。
お互いにテニス部の朝練が7時から始まるから、眠たいけど早めに家を出る。
あたしは朝に強いけど、寝坊しがちなお兄ちゃんを起こすのは何時も大変だ。
「昨日はテニススクールが休みだったのに、帰りが遅かったんだね。」
『うん、まあね…。』
突拍子もなく昨日の話をされて、冷や汗を掻いた。
手塚先輩と試合の約束をして、結局はちょっぴりラリーをしただけになりました。
しかも彼の左肘に問題があるかもしれない。
……なんて絶対に言えない。
左肘の問題は勿論、手塚先輩があたしなんかと二人きりで一緒にいたなんて知られたら、手塚先輩に申し訳ない。
お兄ちゃんの中の手塚先輩像が崩れてしまう。
もし噂になれば、学校全体で手塚先輩の評判が落ちるだろう。
青学の生徒会長且つ男子テニス部部長。
あたしは一緒にいちゃいけないんだ。
「愛?」
『あ、うん。
ちょっとラリーをしてたの。』
誰と一緒かを言及していないから、嘘は言っていない。
でも、お兄ちゃんに全てを話せないのは罪悪感があった。
「ああ、もうすぐ国別対抗戦の予選か。」
『そろそろ気合い入れないといけないなぁ。』
「今年の選抜メンバーも勝ち上がれそうかい?」
『去年は決勝大会で準優勝だったし、予選は大丈夫だと思う。』
あたしは大きなテニスバッグを背負い直した。
手塚先輩の事で悩んでいたら、集中力の面でテニスに支障が出そう。
後1週間でオーストラリア入りなんだから、それまでに精神統一だ。
青学の門を潜る前、自転車に乗る陽気な先輩に逢った。
「おはようございまーす!」
「おはよう、桃。」
『おはようございます。』
桃城武先輩は男子テニス部で、あたしより学年が1つ上の2年生。
自転車を駐輪場へ停めに向かう桃先輩を見送り、あたしたち兄妹も其々の部室へ向かう。
「今日も頑張ってね。」
『ありがとう、お兄ちゃんもね。』
にこにこスマイルのお兄ちゃんに手を振り、女子テニス部の部室へ入った。
手際良くレギュラージャージに着替えると、ラケットも持たずにロッカーを閉めた。
そして、ある場所へ向かった。
テニスコートから少し離れた体育館裏だ。
『桃先輩!』
「愛ちゃん、来たか。」
あたしたちは青学の門で鉢合わせた時、此処で落ち合う約束している。
その理由はあたしの親友にあった。
『華代は…如何ですか?』
「ああ…、まだ引き篭っちまっててさ。
あんまり部屋から出てこねぇんだ。」
『そうですか…。』
あたしと同い年の親友、華代。
小学生の頃から仲良しで、同じ青学に入学する筈だった。
でも、入学式の直前に原因不明の高熱を出し、全盲になってしまったんだ。
青学への入学を断念し、視覚障害者が通う特別支援学校へ入学する事になった。
それからあたしが家まで逢いに行っても、電話をしても、元気がない。
それは当然だと思う。
ある日突然目が見えなくなったら、あたしだって心が壊れてしまうだろうから。
『また華代に逢いに、家にお邪魔しますね。』
「おう、頼むよ。」
華代が少しでも元気になってくれるように。
応援したい。
大切な親友だから。
「あいつにとって、愛ちゃんの存在はほんとに大きいんだ。」
『え?』
「本気で感謝してるぜ。
愛ちゃんがいなかったら、もっと駄目になってたと思う。」
『そうでしょうか…。』
「当たり前だろ!」
華代はあたしが励ましに行くのを、鬱陶しがっていないだろうか。
凄く不安なんだ。
「これからも宜しく頼むぜ。」
『はい。』
あたしは哀しげに微笑むと、ゆっくり頷いた。
華代の為になるのなら、出来る事を全力で遣る。
「おっと、そろそろ行かねぇとな。」
『あ、そうですね。』
「じゃあな、愛ちゃん。」
『皆の前であたしの呼び方は不二妹ですよ!』
「はいよー、不二妹!」
『もう。』
あたしは時間差で体育館裏から出た。
桃先輩とあたしが華代の関係で繋がりがあるのは、皆には内緒だ。
華代は盲目になった事を安易に人に話されたくないだろう。
だから、あたしは家族にさえ何も話していない。
お兄ちゃんはあたしに親友がいるとは知っているけど、華代だとは知らない。
その親友が桃先輩の妹だという事も、盲目になった事も当然知らない。
だから、桃先輩とあたしはこうやってひっそりと華代の近況を話しているんだ。
何時か此処で明るい話をしたい。
今日も華代は元気に学校へ行った、だとか。
バイオリンを沢山練習してどんどん上手くなってる、だとか。
きっと元気になるよね、華代。
2016.11.12
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