★君色の光 | ナノ 「…………」


浮上した意識に誘われて重い瞼を持ち上げる。
視界に映るのは白い天井。視界の端で揺れるカーテンも白い。外から差し込む光はない。
自身の身体に繋がれている機器から聞こえる電子音のみが耳に届く。
一度ここで目覚めてからというもの、何度目を開いてもこの景色が変わることはない。
その度にこれが現実で、雲雀たちと出会ったあの世界のことが夢だと突き付けられているかのように感じる。
千紘の記憶にしか存在しない世界。もしかすると本当に夢だったのかもしれないと不安に駆られて何度も泣いた。
声も出せず身体も動かせない所為なのか、抱えた不安がすぐに涙腺を刺激してしまう。涙脆いわけでもないのに、随分と簡単に涙が出るようになってしまった。
でも泣いているだけじゃだめだ。
泣いて医師や看護師に甘えて時を過ごしているだけじゃきっと何も起きやしない。
それにいつまでもこの状態が続くとも思えない。


(…考えなくちゃ、ちゃんと)


無言のうちで千紘は思考を巡らせる。
自身の容態についてはまだ医師から詳しくは聞かされていない。精神的な負荷を掛けないためだろうが、あまり良くないことはさすがに自覚できている。
動かすどころか感覚すらない身体は長時間意識を保つこともままならない程に体力が低下している。
きっと、あまり猶予はない。
今後どうなってしまうのかわからないからこそ、せめて起きている間だけでも唯一動かせる頭で必死で考えた。
雲雀や沢田たちと出会ったあの世界を諦めたくない。
その一心で知っている情報を掻き集めて整理していく中で、いくつか矛盾を見つけた。
そしてそれが意味するところを考え抜いて、ようやく希望が見えたのだ。


(……あの世界は、ちゃんと存在してる)


もちろんそうであってほしいという願望から都合良く物事を解釈しているのは重々承知の上。
でもそう考えることで見つけた矛盾の辻褄がある程度合わせられる。どうしたって期待してしまう。
まず第一の矛盾はこの世界から消えてしまった財布と生徒手帳についてだ。
医師によれば事故に遭った千紘の所持品には身元が特定できるものがなかったと言っていた。
だから着ていた制服から高校を探して名前を確認したと。しかしそれはおかしい。
千紘は基本的に制服のポケットに財布と生徒手帳を入れている。制服を着ていたのならほぼ間違いなく所持していたはずだ。
現にあちらの世界で身体が縮んでサイズの合わなくなった制服にそれらはきちんと入っていた。リボーンや雲雀に見せたし、財布を使って買い物もしていた。
もしこの記憶が夢なのだとしたら、持っていたはずの物が消えている説明がつかない。
ここにないということは、別のどこかに存在しているということ。それが千紘の記憶通りなのだとすれば、それはあの世界が存在することに繋がる。
そうであった場合、今度は別の矛盾が生じる。


(でも、ずっと俺の身体はここにいた)


そう、事故に遭って運び込まれたこの身体はずっとこの病院で治療を受けていた。
あちらの世界が実在すると仮定すると、世界を渡ってしまった先で千紘が活動していたのはこの身体ではないということになる。
多少幼くなってはいたが見慣れた自分の身体であったし、他人の身体を使っていたわけでもない。
ということはつまり、世界を隔てて咲山千紘の肉体が二つ存在していたと考えられる。意識がこちらに戻っている今も、おそらくあちらに中学生の身体があるはずだ。
もちろん常識的に考えれば有り得ないし確証もない。でもこの仮説が絶対に間違っていると言い切れるような証拠もまた存在しない。
だったら、縋ってみる価値はある。
突然こちらの世界に戻ってきてしまったということは、逆にあちらに帰ることも不可能ではないはずだ。
少なくとも意識が宿るための肉体が存在しているうちはきっと。


(世界を繋げるための何かがきっとある、はず)


まだ何か見落としている矛盾があって、それを整えれば道が繋がるかもしれない。
いつまでこうして意識を保てるのかもわからない今、出来る限りのことはしておきたい。
じわりと緩みかけた涙腺を誤魔化すために可能な範囲で視線を動かせば、きらりと視界の隅で光が反射する。
ぎりぎり視界に入るところにあるサイドテーブルの上、透明な小さな袋に入れられたそれが何なのか確認して大きく目を見開く。
なんでここに。


「……あ、咲山くん。おはよう」


起きてたんだね、と優しく声が掛けられる。
その声の方向に瞳を向ければ、笑顔を浮かべた看護師の女性が後ろ手に扉を閉めているところだった。
見つけたものに意識を集中していたために扉が開かれた音にすら気が付かなかった。
声の代わりに一つ瞬きをして挨拶を返す。これが今の千紘の唯一のコミュニケーション手段であって、伝えられることは限られている。
それでも、どうしても伝えなくてはいけないことがある。
包帯替えさせてね、と丁寧ながらも手早く処置をしてくれた看護師をじっと見つめる。それに気が付いた看護師は声を掛ける。


「咲山くん、どうかした? どこか痛い?」


ぱちぱちと二回瞬きをして否定する。もどかしいが看護師の言葉に是か否でしか答えられない。
なにか気になる? 怪我のこと? 事故のこと? などと細かく質問してくれる看護師に聞きたいことがある、と伝えることに成功して、視線をサイトテーブルの小さな袋へと流す。
倣ってそちらに目を向けた看護師は、千紘の視線が注がれるその袋を手に取る。


「もしかしてこれ? よく気が付いたね」

「これ咲山くんのだよ。壊れてなかったから外しておいたんだけど」

「このピアスがどうかした?」


見やすいようにと近付けてくれたその袋の中で小さな金属がころりと転がる。
見覚えのあるそれの正体はピアス。この世界で買ってずっと身に着けていたものだ。
看護師によると、事故のときもこのピアスを付けていたのだが奇跡的に破損していなかったらしい。
治療の為に外してから意識の無い間ずっとこのサイドテーブルに置いてくれていたとのこと。
つまり肉体と同じくこの世界に存在していたのだ。あちらの世界でつけていた間も。


(そういえば、始めからおかしかった)


あちらの世界では中学生の身体に戻っていたにも関わらず、耳にはこのピアスがついたままだった。
以前雲雀に校則違反だと詰め寄られた際に説明した通り、穴を開けたのは高校生になってから。
あの頃はまだ異世界に飛ばされてしまったということが信じられなくて、元々の身体の名残であるピアスをずっとつけたままにしていた。その違和感を持つことで元の世界と繋がるような気がしていたのかもしれない。
その後は雲雀が用意したピアスに付け替えたり、いろんな人と出会ってたくさんのことを経験していくうちに抱いていた違和感などすっかり忘れてしまっていた。
それほどに馴染んでしまっていたのだろう。
だから最後にあちらの世界で眠りに落ちる前にこのピアスを外した記憶を思い起こすことすらしなかった。
きっとこれが世界を繋ぐための鍵だ。
原理は不明だが、両方の世界にある千紘の身体がこのピアスを外した状態でいたことで繋がった。それで今回意識が戻ってきたのかもしれない。
あちらに渡った際はピアスをつけた状態だった。ということはピアスをつけたままにしていれば帰ることも可能かもしれない。
今あちらにあるはずの自分の肉体がどういう状況なのか分からないが、もし誰かがこのピアスをつけてくれたなら。
繋がるかもしれない。
絶望と不安しかなかった未来に希望が見えて、ぽろぽろと涙が溢れていく。


「! 咲山くん、無理しないで。少し休む?」


心配そうに表情を曇らせた看護師に二度瞬き、ピアスをつけたままにしてほしいと視線で必死に訴える。
目元をタオルで優しく拭ってくれる看護師は辛抱強く問答を繰り返して千紘の意思を正確に読み取ってくれた。
思案しながらじっと千紘の様子を窺い、医師に連絡して了承を得ると千紘の耳にピアスをつけてくれた。
顔の回りは比較的怪我が少ないことと、身体を動かせない千紘が引っ掛ける危険がないこと、何より千紘の希望であったことを汲んでくれたようだ。
感謝の意を込めてしっかりと看護師を見上げ、ゆっくりと一つ瞬く。それを受けて看護師は少しだけ悲しそうな表情で微笑むと静かに退室した。
電子音のみの静寂に戻った部屋で、ゆるゆると意識が沈んでいく。体力を使い果たしたようだ。
まだもう少し見つけた可能性について考えたかったが、逆らうほどの気力も残っていない。
ほとんど無意識で息をついたところで、ずっと付き纏っていた息苦しさが和らいでいることに気が付く。
手放していた意識を手繰り寄せて瞼を持ち上げれば、薄暗い天井が見える。見覚えのあるそれはここ数日目にしていた無機質に白い天井ではなかった。


「……ここって、」


数度瞬きしてみても変らないその景色に、呆然と呟いた言葉が音になったことに驚く。
掠れてはいたがもう聞くこともないかもしれないと諦めかけていた自分の声だ。
息を飲んでそっと持ち上げた腕は少々ぎこちなくはあるものの、きちんと思い通りに動く。震える指先で恐る恐る頬に触れれば、ちゃんと感触もある。
もしかして。


「……千紘?」
「…………!」


信じられない思いで言葉を失っていた千紘の耳に、焦がれていた声が届く。
低くて落ち着いた、ずっと聞きたいと思っていた彼の声。
ひくりと喉を引き攣らせた千紘が身体を動かすより速く、さらりと漆黒の髪が視界で揺れる。
普段より少し見開かれた真っ直ぐな瞳が千紘へと注がれる。その綺麗で凛とした双眸が次第に滲んでいく。
涙が零れるのを感じながら千紘はようやくその彼の名を口にする。


「……ひばり」


会いたかった。


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2020.06.23 百
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