★君色の光 | ナノ 「ヒバリさん! あの、千紘から連絡来てませんか!?」
「……君、咬み殺されたいの」


リング戦から一夜明け、いつも通り応接室で資料を読んでいると狼狽した沢田が駆け込んできた。
断りも無く勝手に入室してきた沢田を睨みつけると、ヒッ! と悲鳴を上げて慌てて頭を下げた。
今回は珍しく群れてはいないことと、きっちり部屋の外から改めて入り直した態度に免じて話を聞いてやることにした。
それに千紘のことは雲雀も違和感を覚えていたところだったのでちょうど良い。


「千紘がなんだい?」
「あ、あの、昨日の打ち上げをやることになって、千紘も誘おうと思ったんですけど」
「君たちはすぐ群れたがるね」
「ひぃっ! そ、それで何回も電話してるんですけど、繋がらなくて…!」
「そう」
「寝てるだけならいんです。…でも、なんかいやな感じがして、」


雲雀の視線に怯えながらも意志を持った瞳で言い募る沢田をじっと見据える。
昨夜、リング争奪戦を終えて再会した千紘は見るからに疲弊していた。千紘自身は戦いに参加していないものの、夕方からずっと極度の緊張状態にいたのだから不思議ではない。
色濃く疲労を見せる顔で雲雀を見上げた千紘は、少し逡巡してからそっと雲雀の指先に触れた。雲雀も満身創痍ではあるものの、指に伝わる温かさと普段通り強くて真っ直ぐな瞳に千紘はくしゃりと顔を歪める。
そしてほんのわずかに指先の力を強めておかえり、と泣きそうな声で告げた。
雲雀からすれば冷たく震えているように感じるその指を握り返し、ただいまと返すとようやく安心したように小さく微笑んだ。
そのあと怪我がないからと家に返された千紘とは連絡を取っていない。
戦いの後すぐに気を失うように眠ってしまった沢田と同じく、深く眠っていて着信に気が付いていないだけかもしれない。
でも、どうしてか胸騒ぎがする。このままでは良くないような気がするのだ。
沢田の真剣な表情に雲雀はぱたりと手にしていた書類を閉じる。


「…君、たしかそういう能力を持っていたんだっけ」
「え。まぁ…リボーンが勝手に言ってるだけですけど……」
「いいよ。様子を見てくる」
「! ありがとうございます…!」
「どうやら気のせいじゃなさそうだからね」
「へ? あっ、もしかしてヒバリさんも何か感じて…?」
「うん」


沢田のように超直感を持っているわけではない雲雀だが、おそろしく勘が鋭い。
漠然としすぎていて予感と呼べるほどのものではなかったが、なんとなく千紘のことが気に掛かっていた。それもあって雲雀は沢田の言葉をすんなりと聞き入れた。
他人の言葉を信用するわけではないが考慮しないほど浅はかでもない。何より自分の感覚は信頼している。
何か異変が起きているのはおそらく確実だ。
千紘のことよろしくお願いします、と真剣な声音で告げる沢田を一瞥し、千紘の家の合鍵とバイクの鍵を手に応接室を後にした。



◇◇◇



「…あ、目が覚めたんだね。ここがどこだかわかるかい?」
「…………?」
「声出せないと思うから無理しないでね咲山くん」


浮上した意識と共に瞼を持ち上げれば、白い天井が見える。
やけに重たい瞼を瞬かせていると静かに名前を呼ばれ、見知らぬ男性が視界に入る。穏やかに微笑んだ男性は千紘の目の動きを確認しながらゆっくりと言葉を紡ぐ。


「ここは病院。僕は医者だよ」
「………、っ」
「僕の質問にはいなら1回、いいえなら2回瞬きしてくれるかい?」
「…………」
「ありがとう。良かった、意識はしっかりしているみたいだね」


病院という言葉に千紘は目を見開く。どうしてそんなところにいるのか。
医者だという男性に質問をしようと口を開こうとしたが上手く動かせない。出そうとした声も喉のあたりで潰れてしまいわずかな吐息が零れたのみ。なんだ、これ。
戸惑った様子の千紘を落ち着かせるように男性は布団の上にそっと手を乗せる。位置的には胸の上あたりに置かれているはずのそれの感覚はない。
自分の意思を伝えるには男性の示した方法に従うより他になく、恐る恐る一つ瞬く。
それを確認してほっとしたように微笑んだ男性は話を始めた。


「学校帰りに事故に遭ったことは覚えているかな?」
「…………?」
「君は踏切で電車と接触してしまったんだ」


男性の言葉に千紘は大きく目を見開く。その事故ってまさか。
ざわりと胸の奥が騒ぎ出す。声の出せない千紘に男性の言葉を遮る手段は無い。


「結構な事故でね。あれから2週間ほど君は意識が戻らなかったんだよ」

「鞄に身元が確認できるものが無かったから、制服から高校を特定して名前を確認したんだ」

「咲山千紘くんで合っているよね?」

「高校からご両親にも連絡してもらっているからね」


違う。
覚えている直前の記憶は自宅のベッド。リング争奪戦を終えて並盛中学校から帰宅したが、その道中に踏み切りは無い。事故になんて遭うはずがない。
そもそも、いまは『中学生』のはずだ。
でも男性の言う事故は知っているし身に覚えもある。この事故で『高校生』だった千紘は死んでしまって、どういうわけか『中学生』としてこの世界に渡ってきた。
だからこの世界には千紘が通っていた高校も存在しないし、親だっていない。はずだ。
見開いていた視界に映る男性の顔が滲んでいく。
ああ、うそだ。なんで。
大きく息を吸い込もうとして喉に管が通されていることにようやく気が付く。身体は指先すらぴくりとも動かないし何の感覚もない。
ぽろぽろと声も無く涙を流す千紘の目元にそっとタオルが押し当てられる。


「不安だよね。親御さんが来られたら詳しく伝えるけど少しだけ」

「あの事故でいま君の身体は酷い傷を負っているんだ」

「失われてしまった機能も器官もある。そのくらい大事故だったんだよ」

「でも気は落とさないでね。リハビリで取り戻せる部分もあるからね」


千紘が泣き出したのは事故の恐怖と自分の状態が分からない不安によるものだと判断した医師は労わるように声を掛けてくれる。
間違ってはいない。でも千紘を最も苛んでいる恐怖は自分の身体のことではない。
理解してしまったのだ。『戻って』きたことを。
いま千紘がいるのは親がいて家もあって戸籍もあって、『高校生』まで千紘が生きてきた軌跡のある世界。
事故さえなければ何の違和感もなく普通に生きていたであろう本来の世界だ。
あの事故で死んでしまったのだと思っていた身体は生きていた。元のあるべき場所に戻ってきたのだから喜ぶべきであるはずなのだけれど。
零れ落ちる涙は一向に止まらない。感覚のない身体は空中に放り出されてしまったかのように覚束ない。でも頭は恐ろしく冴えわたっていく。
どうして。
最後に触れた指の温かさだって、こんなにも鮮明に覚えているというのに。


「ずっと眠っていたから状況を飲み込むには時間が掛かると思う」

「まずは身体を回復させることだけ考えて。無理はしちゃだめだよ」

「ちゃんと生きてるから、安心してね」


気遣ってくれる男性の言葉は優しい。しかし確実に千紘の心を抉っていく。
こちらが現実なのだとしたら、あの世界で育んだ感情や記憶は一体なんだというのか。
事故に遭って意識不明の間に見ていたただの夢だったとでもいうのか。
なにより。
医師の言う通り『この世界』で生きているということは。
凛として真っ直ぐな瞳をした彼のいない世界で目を覚ましてしまったということだ。
『ここに生きている、夢じゃない』、とはっきりと告げてくれたあの声も、しゃんと伸びた背中も艶やかな黒髪ももう見ることができないのか。
――――もう雲雀に会えない。のか。
その事実がかなしくて涙を止めることができなかった。


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2020.04.27 百
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