★君色の光 | ナノ 「……あれ?」


応接室の中を覗き込んだ千紘は首を傾げて声を上げる。
正面に見える机にいつも座っている漆黒の頭はなく、人気のないそこは冷え切っていた。
ひとまず扉を閉めて千紘の定位置であるソファーへと腰を下ろすが、指示を出してくれる人物がいない為手持無沙汰になってしまう。
雲雀の机に積まれた書類を見ながらひとりごちる。


「……雲雀は会えると思ったんだけどなぁ」


呟いた言葉は当然誰にも拾われずにぽつりと落ちる。
今回千紘が応接室を訪れたのは雲雀からの呼び出しがあったからではない。仕事があれば手伝いをしようと自発的にやってきたのだ。
実はここ数日、沢田、山本、獄寺が揃って学校を欠席している。それぞれ用事があるようなので仕方がないのだが、そんなときに限って雲雀からの呼び出しもない。
元の世界では友だちもおらず誰とも話をしないことは常で何とも思っていなかったが、この世界に来てからは毎日沢田たちや雲雀と会話をしていた。
その反動か、そろそろ誰かと会話をしたくなったのだ。
とはいえ欠席している沢田たちの家に押しかける訳にもいかず、恐らく学校には来ているであろう雲雀と会話をしに来たというわけだ。手伝いという名目で。
仕事が無いから戻れと追い返されるにしても会話は会話。そんな短いやりとりすら求めてあえて事前連絡はせずに応接室にやってきたのだが。


「…雲雀も休みなのかな」


会えずに落胆した気持ちもあるが、学校に来ていないとなると途端に心配になってくる。
メールでもいれてみようかと携帯を取り出したところで、突然ガチャリと大きな音を立てて扉が開いた。
思い切り油断していた千紘はびくりと大げさなほどに身体を跳ね上げる。反射的に手にしていた携帯を握り締めながら雲雀か草壁だろうかと振り向けば、そこに立っていたのは予想外の人物だった。


「おっと悪い! 人がいたのか………って、ん?」
「……! あ、もしかして…」
「お前あのときの! ここの生徒だったのか!」
「や、やっぱり! あのときのイケメンさんですよね」
「あのときは助かったぜ! また会えてよかった!」


綺麗な鳶色の瞳と金髪を輝かせながら声を掛けてきたのは、少し前に道案内をした外国人の男性だった。
驚いていた様子だったがすぐにぱっと破顔した男性は、座ったまま固まる千紘の横に腰を下ろす。
ふわりと嗅いだことのある良い香りが鼻腔を擽る。


「あの、どうして並中に?」
「ん? あぁ、まぁちょっと家庭教師やっててな」
「家庭教師…」
「でも生徒がじゃじゃ馬でなぁ。手焼かされてんだ」
「そ、そうなんですね…」
「今はちょっと休憩なんだが、お前に会えてラッキーだった!」
「え?」
「ずっと気になってたんだ。この間の礼をさせてくれ」
「えっ! い、いやそんなのいらないですよ」
「お前が助けてくれたから仕事にも間に合ったんだ。感謝してる」
「大したことじゃないですし、そう言ってもらえるだけで充分です」
「それじゃオレの気が治まらない。せっかく会えたんだしなんかさせてくれ」
「いえいえ、あの、ほんとお気持ちだけで、」
「慎ましいのは日本人の美徳だが、遠慮はしないでくれ」
「え、ええと……あっ! そうだ、生徒さん待ってるんじゃないですか?」
「ん? あー……いや、もうすぐそこまで来てるな」
「え?」
「ったく、あいつ休憩の意味わかってんのか?」


がしりと千紘の両手を握り締めた男性は、きらきらと瞳を弾ませてごく自然に距離を詰める。
どうしても礼がしたい、と申し出る勢いに押されて思わず腰が引けるが、知らぬ間に腰へと回されていた大きな掌にそっと引き戻される。
食事かプレゼントかなにかさせてくれ、と感謝してもらえるのはありがたいが、道案内ごときでそんな大層な礼を受け取ることは出来ない。困った千紘はなんとか話題を逸らそうと家庭教師の話を持ち出す。
ぱちりと淡い色合いの睫毛を上下させた男性は、優しげに目を細めてぽんと千紘の頭を撫でる。どうやら意図を汲んでくれたようだ。
あからさまにほっとした表情を浮かべた千紘の耳に、聞き馴染んだ声が聞こえてきた。


「いつまで待たせる気、跳ね馬」


凛と響く声に千紘は大きく目を見開く。
大柄な男性の陰になって千紘からは姿は見えないが聞き間違えるはずがない。雲雀の声だ。
不機嫌そうな声音で放たれた言葉はおそらくこの男性に向けてだろう。身体は千紘に向けたまま、男性は顔だけで雲雀に振り返る。


「いつまでってお前なぁ、15分休憩だっつっただろ」
「知らない。僕は貴方を咬み殺したいんだ」
「ぶっ続けじゃ効率上がんねーだろ。お前のためにオレはなぁ、」
「不愉快だ。教師面しないでくれる」
「面もなにも、オレはお前の家庭教師なんだっつーの」
「え!? イケメンさん雲雀の家庭教師なの!?」
「は? イケメンさん…?」
「……君はそこで何をしてるんだい千紘」


ピリピリとした空気を纏う雲雀に気圧された千紘は静かにしていようと口を噤んでいたが、男性から飛び出した言葉に思わず声を上げる。
口に出してしまってからしまったと手で口を覆うが時すでに遅く、突然『イケメンさん』と呼ばれて不思議そうにする男性と呆れたような雲雀から声が掛かる。
無視するわけにもいかず、そろそろと男性の背中から顔を覗かせると、予想通り雲雀の眉間には皺が寄っている。


「…ひ、ひさしぶり雲雀」
「授業中のはずだけど」
「一応、仕事手伝おうと思って来たんだけど…なんかない?」
「………」


雲雀はじっと無言で千紘を見据える。
その視線の強さに困ったように眉を下げた千紘に雲雀は手にしたトンファーを下ろす。
千紘の言うように修業とやらで跳ね馬に挑み続けている為、書類整理や見回りに割く時間が無くなった。もちろん放置はせず草壁や他の風紀委員が出来る範囲で行っているとはいえ、事務処理まで手が回っていない現状だ。
千紘に仕事を渡すにしても書類の選定すらできていないため呼び出しもしていなかった。正直千紘の申し出はかなり助かる。
瞬きで不機嫌さを消した雲雀は無言で机へと向かう。そして積み重なった書類を崩し始めた。
その様子にひとまず殴り掛かってくることはなさそうだと判断した男性は、改めて小柄な少年に向き直る。
そして右手を差し出して笑顔を浮かべた。


「『イケメンさん』には面食らったな」
「あ……ご、ごめんなさい、つい…」
「自己紹介してなかったもんな。オレはディーノ。キャバッローネファミリーのボスだ」
「きゃば…? ええと、俺は咲山千紘です」
「……ん? 咲山千紘…?」


ぎこちなく右手を握り返しながら告げられた名前に聞き覚えがあり、ディーノは聞き返す。
咲山千紘という人物についての情報は事前にリボーンから与えられていた。この情報はボンゴレ関係者の中でも信頼のおける、そして咲山千紘本人に接触する可能性のある人物にのみ伝えられた極秘情報だ。
極秘と銘打っているのは、異世界の人間についてマフィアの中でとある伝承があるからだ。
その内容は『異界からの渡り者を手に入れればファミリーに栄耀栄華をもたらす』というもの。
具体的な資料や証拠はなく、人から人へ密やかに伝わっている御伽話に近い。
しかしマフィアというのは存外しきたりや慣習を重んじる傾向が強い。もし伝承と同じように異界からの渡り者が存在していると知れれば、ファミリーの為もしくは興味本位で千紘を手に入れようとする者も出てくる。
そういった経緯があり、リボーンは千紘の情報を限られた人間にのみ提供した。万が一危険が及んだときに千紘の身と情報を守るために。


「そうか。お前が咲山千紘なんだな」
「? どこかでお会いしてましたか…?」
「いや、リボーンから聞いてたんだ」
「リボーン? 知り合いなんですか?」
「あぁ。オレの師なんだ」
「……え、流行ってんですかそのギャグ…」
「ん? まぁ、とにかくよろしくな千紘」


首を傾げる千紘は、聞いていた通り見れば見るほど普通の少年でしかない。
光を受けて輝く淡い色の瞳と縁を彩る長い睫毛は繊細な造りをしている。雲雀も含めて日本人は西洋人に比べて全ての造りが華奢で細やかだとディーノは思う。
雲雀はきつい目元が涼しげで千紘とはまるで印象は異なるが整った顔をしている。
身体つきまで柔そうな千紘の細い手を改めて握り直すと、ディーノは人好きのする笑顔を向ける。
そして親愛の意味を込めて千紘の頬に軽いキスを贈る。
ぴく、と肩を震わせた千紘はじわりと顔を赤く染めた。


「…! あの、これ前も思ったんですけど…」
「ん?」
「俺、これだめです…! 恥ずかしい!」
「ただの挨拶だぜ。そんな照れなくったって」
「て、照れますよ! ディーノさんみたいなイケメンならなおさら…!」
「嫌ってわけじゃないんだよな?」
「いや、ではないですけど…俺には刺激がつよ、」
「じゃあこの間の礼と、汚しちまった詫びな」
「…ゎ、っ!」


瞳を揺らす千紘を素直に可愛いと感じたディーノは、にっこりと微笑むと逆の頬にもう一つキスを落とす。
これは道案内の礼と服を汚してしまった謝罪の気持ちを込めたキスだ。本当は何かしたかったが、千紘を困らせてまで受け取らせるのは礼ではない。
なのでこのキスでこの件は終わらせようと思っての行動だった。
そんな思いの込められたキスなのだが、千紘は二度目のキスにびくりと身体を強張らせる。耳まで真っ赤になって口を噤む様は可愛らしい。
そんな千紘に見惚れる余裕もなく、鋭い殺気を感じ取ったディーノは千紘から離れる。危険が及ばないようにと軽く千紘を押せば、細い身体は簡単にソファーへと傾ぐ。
それを確認して飛び退りながら、取り出した鞭で雲雀からの重い一撃を受け止める。
瞬く間に目前に迫った雲雀はすぐに次の一撃を繰り出す。
体勢を整えながら器用に避けたディーノは死角から鞭を回り込ませた。千紘もいるこの空間で暴れさせるのは良くない。
鞭の存在に気が付くが弾き切れないと判断した雲雀は、不愉快そうに口をへの字に曲げて鞭の絡みついた片腕をそのままにもう一方のトンファーを投げつける。


「…ったく、急になんだよ恭弥! 千紘もいるのに危ねーだろ?」
「貴方のだらしのない顔が癇に障る。咬み殺す」
「だっ、だらしのないって…!」
「千紘に何をしたの」
「は? 何ってただの挨拶だろ」
「僕のものに勝手に手を出さないでくれる」
「え、」
「…!? ちょ、ちょっと! 雲雀! 言い方!」
「?」
「いや、『?』じゃなくて! 誤解を受ける言い方はやめ、」
「あー…なるほど? つまり恭弥と千紘は恋人同士なんだな?」
「違います!! ディーノさん、違うんです…!」
「違わない。君は僕のものだろ」
「お前のその『僕のもの』って言い方は誤解を招くの!」


突如始まった雲雀とディーノの激しい攻防に、千紘はソファーの上で竦みあがる。こ、こええ…!
しかし雲雀から放たれた『僕のもの』発言に慌てて飛び起きる。記憶している限り雲雀のこの発言は二度目だ。
一度目は驚きのあまり思考停止してしまったが今回は見逃せない。
言い直させようと噛みついた千紘に雲雀は不思議そうに首を傾げる。そしてディーノは千紘の危惧通りの誤解をしてしまい頭を抱える。間に合わなかった。
雲雀の言う『僕のもの』という発言には、一般的に含まれる恋人に向けての意味は含んでいない。単純に世話をして所有しているが故の発言だ。他意はない。
千紘は前回でそれをおぼろげながらに理解しているが、初めて聞く第三者からすれば恋仲だと解釈されても仕方がない発言である。
余談ではあるが以前雲雀からこの発言を受けた沢田はそう認識したままだ。
必死でディーノに否定をする千紘に片眉を上げた雲雀は、自由な片手で千紘の首根っこを掴む。


「…君は何にこだわってるんだい?」
「いたたたっ! な、何にって…」
「まだ躾が足りなかったかな。君は僕のものだと理解させたはずだけど」
「別にそれ否定してるわけじゃないよ。そこは分かってる」
「じゃあ何」
「…だって、恋人、は違うじゃん」
「具体的に何が違うんだい?」
「え。……雲雀はその、保護者みたいなもんで恋人とは違う、だろ」
「保護者だろうと恋人だろうと、対象を保護するという点では同じだよ」
「……うん? …まぁざっくり言うとそう? なのかな…?」
「なら何の問題もないだろ」
「………んん…?」


首を捻られて無理矢理対面させられた千紘は、雲雀の真っ直ぐな瞳に射抜かれる。
その視線にたじろぎながら雲雀の言葉を脳内で懸命に噛み砕く。自分の主張と何かが食い違っていることは分かるのだが、雲雀の言い分も間違ってはいない。どこを否定してどこを説明すれば納得させられるのかが分からない。
だんだんと混乱してきた千紘に対して、雲雀は怒るでもなく呆れるでもなく淡々と言葉を返す。

雲雀からすれば自分の領域内に在ることを許した時点で千紘は他とは違う存在だと認識している。そこに恋愛感情が含まれるのかどうかは然したる問題ではない。
一方の千紘も雲雀のことをただの『友だち』だとは思っていない。『保護者』と呼べるほど無条件に甘えられないし、『恩人』というほど距離があるわけでもない。しかし恋愛感情を自覚できていない現状で『恋人』と呼ばれるのも受け入れられないという葛藤がある。
そんな二人の問答を静かに見守るディーノは思わず頬を緩ませた。
まったくなんてもどかしく微笑ましいやり取りだろうか。
千紘はともかくあの雲雀が誰かと親密な間柄だと認識されることに抵抗を見せなかったのだ。
それだけでもう充分だろう。あとはいつ自覚するかだけだ。
可愛い渡り者と弟子を陰ながら応援していこう。そう決めて瞳を細めたディーノを不思議そうに見上げる千紘に対し、雲雀はいたく不快そうに目を眇めた。


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2019.03.24 百
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