★君色の光 | ナノ 「……失礼します」
「…ん?」


そろりと扉を開き、室内を窺いながら小さく出した声に奥から反応が返ってくる。
その声の元に視線を向ければ、デスクからこちらを振り返っている男性と目が合う。想像していたよりもワイルドな外見に千紘はぱちりと目を瞬かせる。
訝しそうな視線を投げかけてくる男性が白衣を身に付けていることから、目的の人物で間違いないだろうと判断して千紘は扉を閉めて足を踏み入れる。
じっと値踏みするように全身を見つめられながら、千紘はおずおずと話し掛ける。


「…あの、先生ですよね?」
「一応な。怪我か?」
「はい。消毒だけお願いできますか?」
「わかった。じゃあそこの椅子どーぞ」
「ありがとうございます」


千紘が訪れたのは保健室。サッカーの授業中にクラスメートとぶつかり、筋力も体格も勢いも完全に劣っていた千紘は簡単に吹っ飛ばされた。
そして尻もちをついた際に手のひらを擦りむいたのだ。
クラスメートは夢中でボールを追っていただけでもちろん故意ではなかった。しかし可哀想なほどに顔を真っ青にして謝るクラスメートに千紘は慌てて頭を上げてもらう。
俺も避けられなくてごめんな、と千紘が笑いかけると、クラスメートはようやくほっとしたような表情になった。
水道で傷口だけ洗って戻ろうとしたが、教師から保健室に行って治療を受けるようにと指示された為、こうして保健室へとやってきた。
ぶつかったクラスメートが付き添いを申し出てくれたが丁重にお断りする。保健室に行くことすら大げさに感じているのに付き添いなんて恥ずかしい。そう伝えると彼は納得して授業に戻ってくれた。
沢田たちがいればもう少し騒ぎになっていただろうが、三人揃って欠席しており千紘に親しげに声を掛けてくる者はいない。でも今回ばかりは必要以上に目立たず済んだので良かったかもしれない。

そんな経緯で初めて並盛中学校の保健室に一人で入ったのだが、そこにいたのは不精髭の男性。しかも外国人だ。
英語しか通じなかったらどうしようと不安になったが、流暢な日本語が返ってきて安堵する。
促されたように椅子に腰を下ろすと、くるりと回転椅子で向き合ってくれた。


「で? どこ怪我したんだ?」
「手のひらです。一応水では洗いました」
「…深くはないが結構裂けてるからな。沁みるぞ」
「う、はい…」
「そんな不安そうにするな。すぐ終わる」
「はい………や、やさしくしてください」
「……おう、オジサンに任せときな。いくぜ」
「……っっ、い……っ!」


千紘の差し出した両の手のひらの傷口を確認して脱脂綿に消毒液を沁み込ませる。
沁みると聞いて知らずに下がってしまった千紘の眉を見て、保健医は笑顔を浮かべて声を掛けてくれた。大人の男性らしい余裕のある笑みに千紘は覚悟を決めて目を瞑る。
それでも痛みへの不安があった千紘は小さな声で保健医にお願いする。聞き取った保健医は一瞬動きを止め、満足そうに目を細めて千紘の顔を見る。
そして愛を囁くかのように声を甘く落とす。閉ざされた視界でそれに違和感を抱く間もなく、傷口に触れた消毒液の刺激に千紘は上がりかけた悲鳴を寸でで噛み殺す。
めちゃくちゃ沁みる…!
保健医の大きな手の中で細い指先まで力を込めて必死で耐える。そしてぺたりと傷口を絆創膏のようなもので覆われてようやく脱力して瞼を持ち上げる。


「ほら、これで終わりだ」
「…は〜……ありがとうございました…」
「傷口が残らないようにしばらくこれは外すなよ」
「はい」
「…さーて。他に怪我はねーかなっと」
「?」
「………ん…? おまえさんまさか…」


手際良く治療道具を片付けた保健医は、口元を緩めたまま流れるように千紘の胸元にぴたりと両手をあてる。そしてそのまま撫でるように動かして不可解だと言わんばかりに眉を寄せた。
診察の一環だろうかと大人しく保健医の動きを受け入れていた千紘はきょとんと首を傾げて言葉を待つ。
しばらくの間の後、がばりと急に体操服のシャツを捲られ驚いた千紘は情けない悲鳴を上げる。
何なんだ、真顔こわい。


「ひゎ…っ!?」
「オイおまえ嘘だろ……なんだこれは…!」
「へ、な、何ですか!? 俺どっか変ですか…!?」
「何もないのが問題だろうが…! なんで何もねーんだ…」
「は…?」


千紘の胸を覗き込んで血相を変えた保健医に千紘は当然ながら戸惑う。
気が付かないうちに怪我でもしていたのだろうかと思ったが、保健医の発言からしてそうではないらしい。
保健医の視界に映るのは無駄な肉も筋肉もないぺたりとした薄い腹と胸。当然ながら女性のように柔らかな曲線もくびれもない。
文字通り何もない。
医者と名の付く職業の人物にこうも真剣な表情をされると異常でもあるのかと不安がよぎる。困惑しながらもおそるおそる見上げると、保健医はますます納得がいかないという表情をする。


「…まさか、第二次性徴が著しく遅れてるだけじゃねーよな」
「? あ、あの…?」
「一応確認するが、おまえ名前は」
「な、名前? ですか? 咲山千紘ですけど…」
「……性別は」
「男です、けど…?」
「くっそ、やっぱりか…最悪だ」
「…もしかして女子に見えました…?」
「紛らわしい顔すんじゃねーよてめー…」
「ええ…間違われたことあんまりないんですけど…」


男だと答えるとがっくりと肩を落とした保健医に恨めしそうな視線を送られる。
確かに千紘の顔立ちは男らしいとは言えない。あどけない印象が強いため中性的ではあるが、あえて女性らしくでもしない限りは少年だと判断できる範囲内だろう。
しかし保健医からすれば、千紘は一見して男とも女とも言い切れる要素がなかった。前述した顔はもちろん小柄な体格や髪形、そして高くも低くもない声までもがどちらにも当てはまってしまったのだ。
加えて身に着けていたのは男女共通の体操服だ。どこにも判断要素がない。
男か女かどっちだ、と千紘を見ながら頭の中で考えていたが、幼い顔に浮かぶ頼りない表情にふと加護欲が湧く。半信半疑で治療を始めたがのんびりとした話し方と放った一言を決め手に判断したのだ。
間違いなく女だ、と。
だからこそ懇切丁寧に治療したというのに。


「騙しやがって…最悪だ…」
「なんでですか、俺別に女の子っぽいことしてないですよ」
「あんないじらしく『やさしくしてください』なんて言う男がいてたまるか!」
「! それは、だって先生が沁みるって言うから…!」
「ほらそういう反応と顔だ!これでどこが男だ!」


保健医に指摘されて恥ずかしくなった千紘はさっと頬を染めて慌てて弁明する。
そんな反応に保健医はますます眉を吊り上げる。相手は中学生、まだまだ子どもで中性的に見える生徒は多い。沢田綱吉の家に呼ばれたときに小柄な沢田を女だと勘違いしたこともある。しかしあの時は診察する前に胸の有無を確かめて誤診は回避した。結果治療する羽目にはなったがあれは特例だ。
しかしこの咲山千紘は服の上からどころか素肌まで見て確かめたにも関わらず、頭が受け入れることを拒否している。年齢関係なく男に触れるなど虫唾が走るくらいだというのに、反応も表情も一切不快ではない。
それどころか微笑ましくすら感じる。なんだこいつ。


「もっとオレをゾッとさせる反応にしろ!」
「意味がわからない! というか、先生なんだから男でも女でも関係ないんじゃ…」
「あぁ? 大アリだ。オレは女の子しか診ねー主義なんだ。男なんざしるか」
「…いや、それはだめじゃ…」
「男はツバでもつけときゃ勝手に治る。触りたくもねーよ」
「ひどい…差別ですよそれ…」
「差別じゃねーよ、区別だ。おまえも次はねーからな」
「そんな…治療してくれた先生、かっこよかったのに…」
「……だからそういう反応をだな……はぁ、もういい」


教師としてあるまじき主張をした保健医に千紘は閉口する。
女子生徒だと勘違いされていた所為だろうが、治療中は優しく丁寧に処置をしてくれたし、話にもきちんと受け答えしてくれた。不精髭も相まって大人の男性の魅力を感じていたというのに。
次はないと宣言され、千紘はぽろりと言葉を零す。せっかく格好良くて素敵な先生だと思ったのにもう治療してもらえないのは悲しい。
その言葉をしっかり聞き取った保健医は深い溜息をついて頭を抱えた。男に言われたってどうとも感じないはずなのになぜときめいた、オレ。落ち着け。
ちらりと咲山を見れば疑問符を浮かべながらこちらを見上げていた。
狙ってやっている訳ではなさそうだ。余計に性質が悪い。


「…不本意だが治療は終いだ。とっとと出てけ」
「え。あ、はい。ありがとうございました」


しっしっ、とジェスチャーつきで追い出すと柔らかい声で礼を言って大人しく退室する。
一人の空間に戻った保健医は閉まった扉を見つめながら呟く。


「…あれが咲山千紘か」


問答の際に聞いた名前に聞き覚えがあった。
同業者であるリボーンから、戦闘能力はないが将来的にボンゴレの一員にする予定の沢田の友人だと聞いていた。そしてこの世界の人間ではないらしいということも。
男子生徒ということでまず興味が失せ、加えて異世界というファンタジーな内容だった為面白半分に聞き流していたが、あれでは納得せざるを得ない。
偶然ながら触れた身体はこの世界の人間ではあり得ないほどに何もかもが不足していた。
幼い子ども、老人、もしくは日常生活に支障をきたすほど衰弱しているというのであればまだしも、あれで普通に活動しているとなると常識的に考えれば異常でしかない。
しかしその常識というのもこちらの世界のもの。恐らくもともと咲山がいた世界からするとこちらが異常なのだろう。

それにしてもあれはないだろう。
服の上から咲山に触れた両手に視線を落とす。
簡単にどうにでもできそうな身体であんなに無防備な反応をするあの子どもをどうやって蔑ろにしろというのか。


「くそ、リボーンの奴見越してやがったな…」


そのまま前髪を掻き上げて己の失態に眉を絞る。
リボーンがわざわざ咲山の情報を自分に回してきたのは、何か有事の際に対応させるためだろう。
あの顔であんな反応をする咲山に拒絶反応は出ないと判断したのだろう。非常に釈然としないがその読みは当たっている。
咲山本人にはああ言って追い出したが、次にここに訪れたときに恐らく何の処置もせず放り出すことは出来ないだろう。
自身の葛藤と戦いながら最低限の治療をする自分が容易に想像できる。
良くない傾向だ。あいつは男。もういっそのことあいつが女にでもなってくれりゃ解決すんのに。
明後日の方向へ進みだした思考を追い出すようにぶんぶんと頭を振る。
そして獄寺の修業へと向かうために立ち上がる。ひとまず咲山のことは後回しにすることにした。


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2019.02.11 百
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