★君色の光 | ナノ 「あっ! なぁ!」
「?」


突然掛けられた声に振り向いた千紘は声の主を見てぎくりと固まる。
学校から帰った千紘は冷蔵庫の中に食料がないことに気が付き、着替えてスーパーへと買い出しに来ていた。
じっくりと食材を吟味する主婦たちに混ざりながら、目に入ったものを適当に選んでレジへと向かう。食への興味が薄いため、値段と日持ちくらいしか千紘の判断基準は存在しない。
こうしてわざわざ買い出しをしているのには理由がある。
実は六道の件で入院してしまった所為か、沢田が以前にも増して千紘のいい加減な食生活を心配するようになってしまった。前日の夕食のメニューを確認されたり、沢田の母手製のおかずをもらったり。沢田家へのお呼ばれも着実に増えてきている。
そうして気に掛けてもらえるのは非常にありがたいのだが、それ以上に申し訳なさが勝る。自分の不注意の所為であるし、何より沢田のあの優しい瞳が心配そうに翳るのを見ると心が痛い。罪悪感が半端ない。
そんな経緯があり買った食材を抱えて帰路に着いた千紘は、声の主を見上げて小さく後退る。
きらきらと夕日を受けて輝く金髪に、煌めく笑顔を湛えた堀の深い端正な顔立ち。そしてがっしりとした大きな体格。
どこをどう見ても外国人である。しかも文句無しのイケメン。
笑顔のまま話し掛けてこようとする男性に千紘は必死で頭を働かせる。
何を隠そうこの咲山千紘、英語が大の苦手である。


「ええと、」
「あっ、あいきゃんとすぴーくいんぐりっしゅ!」
「えっ」
「…! つ、通じてない…!」
「あー、その」
「うぅ、英語ノー! ノーモア英語…!」


英語しゃべれません! と何とか捻り出した英語に、男性は不思議そうに首を傾げる。
いくら高校生レベルの英語を学んでいて、テストではある程度点数が取れていても、実践英語が使えるかどうかは全くの別問題である。と千紘は思う。
単語や文法は間違っていないはずだが上手く伝わっていない様子にどきりと心臓が竦む。単語すら聞き取れないほどに壊滅的な発音だっただろうか。
緊張と焦りで泣きそうになりながら千紘は「英語」と「ノー」という言葉をひたすら繰り返す。意思の疎通ができないことがこんなにも平常心を乱すとは。外国人の反応が怖くて顔が上げられない。
「英語」という単語がそもそも思い切り日本語だということにすら気が付かず、いっぱいいっぱいの千紘の肩をぽんと男性が優しく叩く。


「日本語で大丈夫だぜ。落ち着いてくれ」
「へ、…に、日本語、分かるんですか……」
「あぁ。気を遣わせて悪い。ちょっと聞きたいことがあるだけなんだ」
「い、いいえ、俺の方こそ…その、お見苦しいところを…」
「見苦しくなんかねぇさ! オレの為にやってくれたんだろ? 嬉しいくらいだ」


なんと流暢な日本語で話し掛けてきた。いや…え?
あまりの衝撃にぽかんとして顔を上げると、先程と変わらないきらきらの笑顔がこちらを見下ろしていた。いや、さらに輝きが増しているようにも見える。
外見が完璧な外国人にも関わらず、その口から出てくるのが日本語ということに戸惑いが隠せない。結果として会話が出来たので良かったのだが。
しかし言葉が通じるとなると、先程まで一人で焦って英語を使おうとしていた自分が恥ずかしくなってくる。じわじわと熱くなる顔を背けながらもごもごと話す千紘に、男性は殊更嬉しそうに声音を弾ませた。照れやお世辞の一切ない、正直な言葉に千紘はそろりと視線を上げる。
すると綺麗な形の鳶色の瞳を和らげた外国人がにこにこと笑っていた。ま、まぶしい…!
ストレートに感情を乗せた言葉にどぎまぎしながら話を進めようと切り出す。


「…あ、あの! それで、御用というのは…」
「駅までの道を教えてほしいんだ。待ち合わせをしててな」
「駅ですか。ええとこの道をまっすぐ……良かったら一緒に行きましょうか」
「えっ、いいのか?」
「はい。俺の家も駅と方向一緒なんで」
「そうか…? じゃあ頼めるか? もちろんお前の家までで充分だ」
「はい。俺も道の説明苦手なので」
「いいや、助かる! ありがとうな!」
「!」


この場所から駅までの道のりをぼんやり頭に描いてみたが、口頭でしっかり説明する自信がない。
千紘の家から駅まではそう遠くもなく、そこからの道案内ならなんとかなりそうだ。そう思って同行を申し出ると、びっくりしたように男性は目を見開いた。
そしてすぐにぱっと嬉しそうに破顔すると、大きな背を屈めて千紘の頬にキスを贈った。外国人同士の代表的なコミュニケーションの一つである挨拶のキスだ。
しかしここは日本。初対面の人間と触れ合うことすら稀なシャイな国だ。当然千紘もそんな触れ合いが自分に起きるだなんて想定していない。
端正な顔が近付き、ふわりと大人っぽい香水が鼻腔を擽る。そしてちゅっという軽いリップ音と頬を羽が撫でたかのような微かな感触にキスされたことを理解する。
しかし全くいやらしさや気障っぽさはない。ごくごく自然にコミュニケーションの一環としてしただけだろう。すごい、これが外国人の挨拶…!
恥ずかしさよりも感心してしまい、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。なんてスマート…かっこいい…!
そんな千紘の視線を受け止めてにこりと笑った男性から、じゃあ行くかと声を掛けられてようやく歩き出す。
しかしそれも束の間、すぐに男性が何かに躓いたらしくぐらりとバランスを崩した。咄嗟に支えようと手を伸ばしたは良いものの、優に20センチはある身長差と体格差から巻き込まれて一緒に倒れ込む。


「いってて……悪い、大丈夫か!?」
「いたた、はい、大丈夫です」
「なんか今日よく転ぶんだよなぁ。ついてないぜ」
「はぁ、そうなんですね。だから服汚れてるんですね」
「うわっ、ほんとだ! ったく、ロマーリオたちに笑われちまうぜ」


豪快に転んだ外国人はすぐに起き上がると、慌てて千紘を助け起こす。
そして怪我が無いか確認すると安心したように微笑んだ。良く見れば男性の服はところどころ汚れており、発言からして既に何度か転んでいるようだ。照れ臭そうに笑ってぱたぱたと服の埃を払う。
おかしいなぁ、と金髪をかき上げるその左腕には刺青が彫られているが、不思議と怖くはない。人好きのする笑顔とうっかり躓いてひっくり返るようなドジッ子な一面を見たからだろうか。危険人物には見えない。
その後も外国人は進むたびに電柱にぶつかったり自分の脚に引っかかったりとミラクルを起こして転びまくる。その度に助けようとして巻き込まれる千紘も服がドロドロに汚れてしまった。今までの人生で一番転んだ日かもしれない。
そうこうしている間に千紘の家と駅との分岐点に到着したのだが、この男性を一人にするのが非常に不安になった千紘は駅まで送り届けることにした。
ぽつぽつと会社帰りのサラリーマンや学生が行き交う駅前に辿り着くと、まるで山を一つ越えてきたかのような達成感を覚える。如何せん自損事故という名のアクシデントが多かった。


「着きました…! ここが駅です」
「おお、ありがとうな! 結局駅までつき合わせちまったな」
「いえ、ここから近いので大丈夫ですよ」
「そうか?」
「はい。待ち合わせには間に合いそうですか?」
「ああ! ちょうど良い時間だ。本当に助かった!」
「そうなんですね、良かったです」
「本当にありがとうな。何か礼をしたいところなんだがそこまで時間に余裕は無くてな」
「えっ、いや、そんな大したことした訳でもないので」
「でも服も汚しちまってるし、詫びもしたい。だからこれ、受け取ってくれ」
「へ、」
「オレの番号だ。よかったら連絡してくれ」
「…いやいや! 受け取れませんよ…!」


きらきらと輝く金髪に負けない笑顔で千紘の手に紙を握らせる。
どうやら男性の電話番号がメモ書きされた紙切れのようだ。たかが道案内をしただけで個人情報を渡してしまって大丈夫なのか。いくら日本が平和だとはいえ悪用されないとも限らない。
そもそもお礼もお詫びも受け取るつもりのない千紘はその紙を返そうとする。しかし紙を握った千紘の手をすっぽりと覆っている男性の掌がそれを許してくれない。ていうか手まででかい…!
困ったように見上げてくる千紘に、男性はぱちりとウインクする。か、かっこいい…!


「無理にとは言わねぇよ。不要ならこの紙は捨てても構わねぇさ」
「で、でも…」
「ただ、オレとしてはまたお前に会えると嬉しい」
「……!」
「じゃあな! 本当に助かった! Grazie!」


鳶色の瞳を細めた外国人は、再び千紘の頬に軽やかなキスを落として眩しい笑顔で去って行った。
完全に虚を突かれた千紘は連絡先を返すことはおろか、別れの挨拶すら出来なかった。
大きな背中が人込みに消えてからしばらくして、千紘はぽつりと呟く。


「…が、外国人てすごい……」


身のこなし全てが格好良かった。
どれだけすっ転ぼうと服が汚れていようと、あの男性の持つ魅力は全く損なわれていない。
香水の香り一つでもおそらく自分の体臭と合うものをきちんと選んでつけているだろうし、身に着けていた洋服やアクセサリーもカジュアルだが品のあるものばかりだった。
最後の一言からしてイタリア人なのだろうが、日本語も完璧だったし輝く笑顔も完璧だった。そして何より、あんなにも挨拶のキスとウインクが格好良く決まるなんて反則ではないだろうか。
同じ男からしても恰好良すぎた。
使うことはないだろうが、一応連絡先の紙きれもポケットへとしまっておく。
異文化コミュニケーションにひとしきり感心した千紘は、ようやく踵を返して帰路へと着くことにした。


back

2018.12.20 百
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -