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「君を殺したお母さんは、刑務所の中で半月もしない内に死んだよ。花だって、僕が君と出会った頃から枯れてた。これ、気づいてた?」
ひたりとした息遣いが、止まる音が背中の方から聞こえた。
僕は砂埃と靴で擦れたフローリングに視線を注ぐ。
「……捨てられたひとからすてられたの」
やがてぽつりと、馴染んだ声が背中にこぼされた。
「生まれてからずっと、私はお母さんに捨てられていたの。あんなに傍にいたのに、あの日、水をあげている時にやっと気づいたのよ」
「……」
「いつもあげているのに。私があの花の為に、この狭い部屋で息をしているだなんて、当たり前になっていてずっと気づけていなかった。気づけないまま、あの花にしがみつくように生きていたわ。それで、あの人と繋がっていられる気がして。だけれど……私はあの花のご飯だったの。肥料も水もあげられる。なんでもしてあげられる。そんなご飯だったの」
ねえ、カズミ。
震えはじめた彼女の声に、どうして振り返ることができるんだろう。
僕は背中に頭を預けた彼女に、相槌も打たずに、次に来る彼女の言葉を待つ。
するとその時だ。
すらりと戸が横に滑った。
ぬばたの闇が月明かりにぶわりと照らされて、雨風に晒されて痛んだ部屋を舐めている光景が、僕の眼下に広がる。
そして、ああ。
今夜はなんて風が強いんだろう。
あの花が、花達が、一斉にその花弁を風に引き契られて、開け放されたベランダから吹雪のように舞い込んでくる。
息が出来なくなるほどの赤い花の大群は、僕の頬に、肩に、胸に、足首に纏わり付いて、戯れるように僕を包んで飛ばされて、通り過ぎる。
「……」
はっと気づけば、彼女は居なかった。
思い出した頃には花吹雪も何処かへと消え去っていて、少し先を見遣れば、朽ちた土とプランターが廃墟の一室の、ベランダに転がっているっきりで、僕は一人置き去りにされていた。
今日は、ここでおしまい。
唐突な別れなんて、ここではいつものことだ。
そう思っても何故か僕は、今日は途方に暮れて、夜風か流れる中、さらさらとした時間を立ち尽くして過ごしていた。
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