9.


「だって、描きたいの描いてるっつっても、だらだら描いたんじゃ意味ねえだろ。怒られるし」

「じゃあわたしは、もうお邪魔ですね。うるさくないように、そこの窓から出ましょうか」

「いや、馬鹿、そこのドア使えよ」

 仏頂面がますます解れて、彼はけらけら笑って戸を指差して、それから少しだけ微笑んだまま穏やかにこう告げた。


「別にまだいてもいいよ。あんた煩くねえし。俺も大体、描きてえもの決まってきたから」

「いえ、いいんです。わたしもわたしがすることを、しに行かないといけないので」

「へえ。何すんの?」

「わたしが煩い人にならないように」


 わたしって、このままでいいんだっけ。
 心がもがくために生やした手足が、そうわたしに問い掛けてきた。
 それはきっと、気のせいじゃない。

 こんなに胸が痛いのも、耳が痛むのも、このまま何も残らないことに対して、わたしの心が危機を感じたからだ。
 そのまま、この夏の日差しの中で、からからに萎れていくのを、本当は……。


「お兄さん、それってコンクールにでも出すんですか?」

「いや。部活顧問からのただの宿題。絵のスキルアップとか、そういう理由じゃねえ?」

「ふーん……。じゃあ出来たら、見せてくださいよ」


 何となくだけど本気で、彼にそう言ってみたら、本人はきょとんとした表情を返してきた。


「これを? いつ出来るかわかんねえぞ」

「夏休み中、ここに居る間に見せれなかったら、来年でいいです。それか、冬休みに来て下さい」

「わざわざ?」

「はい。わたしも見たいですから」


 彼は黙ってわたしの顔を見つめ返していた。
 蝉が離れる音がする。
 そうして、


「いつも描いてる場所って、変わるんだよ」

 気難しい顔でぼそっと口を開いた。

「だからよ、本当に完成した時じゃねえと見せれねえよ。それでいいなら、夏休みの終わり――8月末に、ここに来いよ」



 蝉の輪唱が一際高まった8月の終わり。
 あの日からこつこつと内容を、これでもかとみっちりと濃くしていった課題と、ノートが入った鞄と、水筒を持って、わたしは再びあの部屋へと立ち寄った。
 そこには約束通り、あの仏頂面だったお兄さんと、彼が腰掛けた特等席のテーブルに一枚の絵があって。
 「窓から入って来ると思ってた」と軽口を叩く彼に、わたしはからから笑って見せた。



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