森宮莉子は突き進む。 | ナノ
近いのに寂しい距離
先日、一足先に実技試験のOSCEが2日間に渡って行われた。
これまで学んできたこと、シミュレーターで練習したこと、そして実際の現場に立ち会った経験を生かして全力を出し切ったので問題ないと思われる。
まずは一段落だ。
次は12月に行われる知識試験のCBTだ。
試験勉強に集中したいところなのだが、小畑さんの勢いが収まらず、しばらく図書館での学習は控えようかななんて考え始めていた。
仮に私ひとりで勉強していたとしよう。
その場合、目敏い小畑さんの友人が近くに座って、勉強もせずこっちを見ながらヒソヒソするのだ。
地味に鬱陶しいんだなこれが。多分見張りのつもりなんだろうが、明らかに妨害行為である。
未だに1年女子の一部からは敵対視されるし、視線や悪口は収まらない。
なぜ後輩からいじめみたいなことを受けているんだろうな私。内容が内容なので相手するのも馬鹿らしく、今では完全無視を決め込んでいる。
そんなことより勉強しろ1年。
恋って相手に迷惑をかけるものなのだろうか。
好きだから傍にいたい、自分を見てほしいって気持ちは理解できるんだけど、その気持ちをゴリ押しして嫌われたら元も子もないと思うんだよな。
それともそういうことを気にする余裕もないくらい夢中だから、彼女は暴走しているんだろうか。
「今日は俺の家で勉強しないか?」
一日の講義がすべて終わり、移動しようと席を立った私に久家くんが言った。
久家くんの家ということは……実家ではないよね。ひとり暮らしのマンションで、ってことだ。
そのお誘いに私は躊躇した。
密室にふたりきりって事じゃないか。年頃の男女がふたりきりなんて……
「えと、でも」
「安心してほしい、本当に何もしない。莉子を傷つけることは絶対にしない」
久家くんは真剣な目で言った。
何なら自衛のために催涙スプレーを傍に置いておけばいいと捨て身なことまで言う。覚悟決まってんな。
何もしないと宣言されると、それはそれで複雑な心境。
いや、何かしてほしいって期待しているわけじゃないよ。なんというか複雑な乙女心なんだ。
「食事はケータリングサービス使えばいいし、今の時間ならおじさんも食事の準備を始めてないだろう?」
「そう、だね……じゃあお父さんに連絡しておくね」
以前一度お家へ誘われたときは外聞が悪いからと断ったけど、恋心を自覚した今は断る気になれない。
小畑さんが久家くんと一緒にいたいように、私も久家くんとふたりきりになりたかったからだ。
異性の部屋に上がる意味くらい私だってわかっている。
だけど久家くんになら何されてもいいと思っているところ、私もだいぶ恋の病が進行しているようである。
小畑さんに遭遇しないように大学を後にして、久家くんの運転する車でやってきたのは高級マンション。エントランスに入った瞬間から頭がくらくらした。
これマンションなの? ……いや、これはホテルだろう。受付に人がいるじゃん……
なんかコーヒーの香りがすると思ったら、1階部分にラウンジがあるし。完全にホテルじゃん……
「すごいね」
「部屋の所有者は父だけどな。投資目的で購入して賃貸にしていたんだけど、借り手がちょうどいなくなったから俺の部屋にしてもらってる」
ポーン、とそのタイミングでエレベーターが到着する。
エレベーターも広いな……向こうの方には業者専用のエレベーターもあった。エレベーター何台あるんだろう。
「エレベーターの混雑に巻き込まれると煩わしいけど、大学が近いから実家から通うよりは楽なんだ」
「移動時間が長いと勉強に費やす時間が減るもんね」
「そういうこと」
久家くんのご実家まで行くのに距離的にも遠い上に、渋滞の多い大きな国道が間にあるのでそれで大分時間を食うらしい。だからここから通うのがちょうどいいそうだ。
「私もいつか一人暮らししようとは考えているんだけどね。今は厳しいなぁ…」
こんな高級マンションには絶対住めないけどね。給料がすべて消し飛びそうだ。
「女性の一人暮らしは危ないことだらけだから、甘えられるなら実家にいたほうがいい。就職して金銭的に余裕が出来たらセキュリティのしっかりした物件を探せばいいだけだし」
「それもそうだね」
しゃべりながらエレベーターに乗っていたらあっという間に到着する。
久家くんの部屋は35階か……高所恐怖症にはきつい高さだな。
「どうぞ」
ガチャリと開けられた玄関扉。真っ白な空間の広がる廊下には、絵画が飾られている。白と黒だけの色彩の……何かが描かれている。これは久家くんの趣味だろうか。
「お邪魔します……」
リビングに通されると、大きな窓が私を出迎えた。
すごい、窓の外には障害物がなくて空しかない。夕暮れ空が綺麗。
しかし窓は開けられないらしい。風が強くてとてもじゃないけど換気はできないとか。なので空気清浄機がフル稼働しているそうだ。
「不便なことも多いけど、ここに住むのは大学卒業までだから」
久家くんの後ろをついて廊下を歩いていると、左右に扉が複数あった。
いっぱいある扉を開けて回りたい衝動に駆られたが我慢する。久家くんの寝室がどんな感じなのか、ものすごく気になるけど。
キッチン横にはひとり暮らしには大きすぎる4人掛けのダイニングテーブルがあり、そこに座って勉強することになった。
「コーヒーでいいか?」
「うん、ありがとう」
久家くんの家のコーヒーマシンがちょっとお高いブランドメーカーの機械だったせいか、コーヒーの味がうちのと全然違った。使っているコーヒー豆が違うからだろうか。
コーヒーを飲んでしゃきっとしたところでノートパソコンを開いて学習開始だ。
久家くんのプライベートゾーンである部屋にお邪魔した私は少々緊張していた。
整頓されているほうであろう久家くんの部屋だが、辺りを見渡せば生活している痕跡がいくつか見受けられる。それが気になって意識してしまうのだ。
キーボードを叩く音、紙に文字を書き込む音、時計の音。
いつも聴いている物音が大きく感じて意識してしまう。
もしかして私の家に招待した時も同じ気持ちだったんだろうか、彼も。
完全ふたりきり状態の状況に意識しすぎて進まないかもと不安な気持ちがあったけど、始めてしまえば余計な視線もなく、雑音も少ない分集中して勉強できた。何なら図書館にいるときよりもだ。
時間を意識することなく学習していたら、「莉子、そろそろ食事を注文しようか。何食べたい?」と久家くんが尋ねてきた。
もうそんな時間か。ちらっと時計を確認すると、普段の夕飯の時刻に差し掛かっていた。
お腹にたまるものが食べたかったのでお米と指定すると、いくつか候補を挙げてくれたので、丼ものを注文することにした。
スマホでケータリングサービスを注文して、到着予定時間までもうひと踏ん張りしようと思ったけど、肩に力が入って張っている感じがしたので、息抜きがてら窓の外を眺めることにした。
「見晴らし最高。ここからだと星がよく見えるね」
「見晴らしはいいけど、夏はカーテンを閉めておかなきゃ眩しい上に暑い。そして冬は寒いぞ」
「そっか」
窓際に立って外を眺める私の隣に久家くんが立った。
だからといって彼が何かをするわけもなく、一緒に窓の外を眺めているだけだった。
私たちの間に沈黙が走るが、全然気まずい空気ではない。
今こうしている間、久家くんはどんな気持ちなんだろう。
久家くんは私に触れないように一定の距離を取っているように感じた。
宣言通り私を傷つける行為はしないと気を遣ってくれているんだろうが、私はそれを物寂しく感じた。
私を大切に思ってくれているからか、それともそんな気が一切起きないのか。
隣の久家くんを意識していたところにピンポーン、とインターホンが鳴り響き、私はびくっと肩を揺らした。
「ケータリングが届いたみたいだな」
お届け物を受け取るために彼が私の隣から離れて行く。
ちょっとくらい私とふたりきりなことを意識してくれてもいいのに。
いつも見ている大きな背中に飛びついて動揺させてやりたい衝動をグッと堪えた。
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