森宮莉子は突き進む。 | ナノ
To love is to suffer.
あの日以来、私は道行くカップルを見ては考え込んだり、物の試しで視聴した恋愛ドラマで頭痛を引き起こしたりしていた。
高野さんに指摘されて以来、自問自答するように自分の中に存在する恋心とやらを理解しようとしたが、初の事なのでなかなか難しい。教科書にも載っていない。他人の恋愛事情を見てもわからない。どこにも答えが見つからない。
私は本当に彼のことが好きなのだろうか?
とある日、珍しく久家くんが講義に参加していないと思ったら、数時間遅れてやってきた。寝坊したのかなと思って彼の顔を盗み見すると、なんだか疲れた顔をしていた。
起きたら講義がとっくに始まっている時間で心臓止まりそうだったのかな。わかるわかる。あの瞬間って心拍数が爆上がりするから疲労感半端ないんだよね。
「寝坊でもしたの? 遅刻なんて珍しいね」
講義後、久家くんに遅刻の理由を聞くと、彼の口から想定外の返事が飛び出してきた。
「警察署で朝まで拘束されて寝不足なんだ」
「……大きな交通違反でもしたの?」
警察にご厄介になるなんて彼らしくないと思いながら、何をやらかしたのか聞いてみると、久家くんはゆるゆる首を振って「俺じゃない」と言った。その声は覇気がない。
「昨晩、サークルの飲み会があったんだが、それに参加していた後輩が違法薬物を所持していたんだ。所持だけでも犯罪だ。だから俺が警察に通報した」
「違法薬物」
「MDMAだ。莉子も聞いたことがあるだろう」
通報者なのもあるし、罪を犯したのがサークルの後輩でもあったため、朝方まで一緒に警察に拘束されていたらしい。
まさかの事件である。自分には縁がなさすぎるデンジャラスなワードに思わず身構えてしまう。
その後輩は、性的快感が上がるとされる薬物をクラブで外国人から購入したらしい。警察でその薬物が違法か否かの検査を受けた結果クロ。当該学生は今も警察に拘留されているとか。
うん、薬物所持だけだとしても違法は違法。退学は免れないだろうな……
久家くんのサークルと言えば、医学部限定の運動サークル。その後輩ということは、医学部の学生だ。
医学を学ぶ立場として薬物の恐ろしさをわかっているはずなのに、罪に手を染めてしまったのか。
なんか悲しいな……と思っていたら、「その薬物は本人が使うのではなく、意中の女子に使用するつもりだったらしい」と聞かされて私は渋い顔をしてしまった。
薬に頼って女を弄ぶ目的だったというわけか……
出会い頭にパイプカットしてやりたい。
久家くんが先に気づいたことで事なきを得たが、一歩間違えれば大変なことになっていたであろう。
MDMAを使用して亡くなる人もいる。一度きりの使用のつもりだったのに依存して、その快感から逃れられなくなって一生が台無しになる可能性もある。
使ってしまえば元の生活には戻れないと言われている。だから禁止しているのに使用する人が後を絶たないんだよね。騙された上で依存するってケースもあるからね……
「……大丈夫?」
「あぁ、ひどく怖がっていたけど、身体は無傷で済んだ」
私が聞いたのは久家くんの体調のことだけど、久家くんは被害に遭いかけた女の子の安否について話してきた。
被害者の女の子はツイてなかったかもしれないが、ちゃんと見てくれる先輩に恵まれて本当に良かったね。下手したら見て見ぬふりとか、隠ぺいする人間にぶち当たった可能性だってあっただろうに。
「警察から解放されたらそのまま大学に行こうと思ったけど、頭痛がひどくて少しだけ寝てきたんだ……」
久家くんは重い溜息を吐き出していた。
多少の徹夜ならともかく、後輩の犯罪行為という心理的ストレスや、警察で拘束されるという非日常的な経験は彼を心身ともに疲弊させた。
しかし今は大事な時期のため、疲れを押してやってきたのだという。
「久家くんてばお手柄じゃん! 偉いぞ!」
座っている久家くんの頭をわしゃわしゃと撫でると、久家くんが上目遣いでこちらを見上げてきた。
その瞳に私の心臓はどくりと大きく跳ねた。
ただ目が合っただけなのに、なにこれ。
「よし、そんな君に莉子さんがコーヒーをご馳走してあげよう。待ってて、買ってくる」
裏返りそうな声を抑えて、私は明るく振舞った。
以前と同じように接しているつもりなのだが、彼に違和感を持たれていないだろうか?
◇◆◇
ぐうぅぅ……という腹の音が目の前から聞こえてきて、私は視線を上げた。
「お腹すいたよう」
素うどんの汁まで残さず飲み干した北堀くんがこちらを物欲しそうに見ていた。
うちの食堂で一番安いのはおにぎり一個。その次に素うどんだ。しかし、近年の物価上昇の余波を受けて50円値上がりしたのも記憶に新しい。
「……また金欠なの?」
北堀くんのこういう姿を見るのは初めてではない。仕送り前、バイト代支給前になると彼はいつもお腹を空かせている。
「就職先内定したならもっとバイト増やせって仕送り減らされた……」
「あらら」
そこにはシビアな現実があったらしい。
就活しなくていいんだから、バイト増やせるだろうと親御さんに言われたのか。
北堀くんの親御さんも金銭的に余裕がないのかもしれないね。
「卒業旅行は海外で奮発しようと旅行代金を支払った矢先だったから……口座には小銭しか残ってない。最近はスーパーでも半額の品を見かけることも減って、買い物するのが怖いんだ」
「はは…」
色々とタイミングが悪かったのだろう。
まぁでも先の楽しみがあるから頑張れるってものだ。
いいな、卒業旅行か。私にはまだまだ先の話である。
でも私も卒業を迎えた暁には海外旅行とかしてみたいな。
あまりの空腹に空のどんぶりを舐めそうな雰囲気(実際にはしないだろうけど)の北堀くんを見て憐れに思った私は、自分のトレイを見下ろししばし考える。
「…この小鉢あげるよ」
「でも、莉子ちゃんの分が」
「ご飯と魚と漬物と味噌汁があるから私はこれだけで十分だよ」
むしろ小鉢しか譲れなくてすまん。
しかし北堀くんにとってそれだけでもうれしかったようである。目をウルウルさせて、小鉢を恭しく受け取っていた。
「ありがとぉ。いただきます」
うめぇよぉ…と呟きながら小さな小鉢にはいった煮物を涙目で食べてる北堀くん。
「……コンビニで使える無料引換クーポンやろうか」
私の隣でモクモク食事をとっていた久家くんも彼の様子を見て何かしてやりたくなったようだ。
「好きなおにぎりと交換できるクーポンだ。まぁ小腹満たすくらいしかできないけどな」
「お前いいやつだな…」
うるうる目の北堀くんに見つめられた久家くんは照れたのか、サッと視線をそらしていた。
アプリ越しにおにぎりクーポンをプレゼントされた北堀くんは「今日の夕飯が確保できた……」と小さく呟いていたが、今晩おにぎり一つで乗り越えるつもりなのだろうか。男子大学生がそれで足りるわけないだろうに。
「あの、久家先輩……」
おずおずと後ろから呼びかけられた声。久家くんが振り返ったのにつられて私も後ろを見た。
女の子が頬を赤く染めて、ソワソワしながら立っていた。
今の流行ではないけど、仕立てのいい桃色のワンピースはその子の金銭状況がわかる。パパ活や水商売で大金を稼いでいる女性たちとは異なる雰囲気があるから、恐らくこの子は裕福なおうちの子だ。
胸元で切りそろえている黒髪は艷やかで毛先まで整っている。美人というわけじゃないけど、愛嬌のあるかわいらしい女の子。
彼女を見ていると、伸びて傷んでしまった自分の毛先が恥ずかしくなる。
「この間は付き添いだけじゃなく、家まで車で送ってくださって本当にありがとうございました」
「別に大したことはしてない」
「いいえ! あの時本当に怖かったけど、久家先輩がいてくれたから心強かったんです」
蚊帳の外になっている私は聞き捨てならない発言を耳にしてしまった。
家まで車で送った……?
久家くんが車で送ってくれるの、私だけじゃなかったんだ。
「あの、それで…もしよかったら連絡先交換しませんか?」
幾度となく聞いてきた女子の誘い文句。
久家くんはいつもこれを素っ気なく断る。
頼む、今回も断ってくれと心の中で念じた。
「いや、学業で手いっぱいで連絡する暇ないから」
「でもサークルの事とかで連絡したいときもあると思うんで!」
「サークルの連絡ならグループからすればいいだろう」
久家くんが断ったことにほっとしつつ、彼の発言に引っかかる。
『学業で手いっぱい』
そうだ、久家くんの言う通りだ。
今は恋愛にのぼせている場合じゃない。
何が恋だ。
しっかりしろ、森宮莉子。私たちは医学生という立場なんだぞ。
そんな不安定な感情、邪魔にしかならない。
同時にこの想いは久家くんの邪魔にもなるだけ。
そう頭では理解しているのに。
あぁどうしよう、胸がずきずき痛い。
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