三森あげは、淑女を目指す!【紅蓮のアゲハって呼ぶんじゃねぇ】 | ナノ



紅蓮のアゲハの娘は恋を知らない
急に家族になったり、親戚になったりする人がいるけど、そんなうまい話はない。


「東京の私大に合格したんだ」

 2月も半ばに差し掛かった頃、家までやってきた嗣臣さんから大学合格報告を受けた。
 私はその報告を聞くのはもっと先だと思っていたが、私大は合格発表が早いのか。

 喜ばしいことなのだが、私は複雑な感情に襲われていた。
 東京はここから新幹線か飛行機で移動するレベルの距離だ。つまり、嗣臣さんは地元を離れて上京するということだ。そうなれば……もうこうして会うことはないだろう……

「おめでとうございます。これで受験は一段落したことになりますね!」

 ジリジリもやもやしつつも、私はお祝いを言った。
 合格はおめでたい。本当にめでたい。春は別れの季節なんだ仕方ない。多分今まで側にいすぎて調子が狂いそうになっているだけだと自分に言い聞かせて。
 だけど目の前の嗣臣さんは不思議そうな顔をして首を傾げていた。

「地元の国立大が本命だからまだまだ戦いは終わっていないよ?」
「えっ?」

 地元の国立大学が本命……? あれ…第一志望東京の大学じゃなかったっけ……
 私がほうけた顔しているのが面白かったのか、私の頬をつんつん突いて、「俺が東京に行くとでも思って寂しくなっちゃったの?」と微笑んでいるではないか。
 嗣臣さんの進路は未だ確定したわけじゃないけど、私は内心ホッとしていた。


 先日、嗣臣さんの両親の離婚が成立したので、どっちにせよ嗣臣さんの高校卒業後は家を出て一人暮らしをする予定だそうだ。
 表向きは父方に引き取られるけど、嗣臣さんは18歳で大学生になるので、そこまで親の庇護は必要としていない。これからは金銭的援助とその他諸々の責任を果たしてもらうことになるそうだ。

 嗣臣さんのお父さんはもうすでに前々から不倫関係だったシングルマザーとの結婚準備を進めているらしい。今現在、嗣臣さんが住んでいる家に新しい妻とその連れ子を迎えて一緒に暮らすのだそうだ……。嗣臣さんはよくわからない赤の他人と一緒に住みたくないからどっちにせよ家を出るらしい。
 嗣臣さんの両親のことは…よく存じないけど、子供の大学受験時期に何してんだと正直どうかと思っている。
 そんなんだからお宅の息子さんはグレてしまったんですよ全く。

「あとこれ、バレンタインね。ちょっと早いけど」
「私がもらう側なんですか」

 渡されたのは行きつけのケーキ屋さんの箱。この重さは多分…私の好物の花丸プリンが入っているな……
 しかしバレンタインに男性から贈られるのか。外国ではそうらしいけど、なんか変な感じがする。ありがたくいただくけど。
 いつまでも玄関先で話していても何だ、家の中に入れようと思ったけど、それをやんわりお断りされた。

「本気出して勉強しなきゃだからね。受験が終わったら会いに来るから、寂しがらないでね」

 今日は報告だけにやってきたらしい。
 それなら兄とか仲間たちにもしたらいいのにと思ったけど、嗣臣さんはそのまま踵を返してあっさり帰っていった。


■□■


 世間の高校3年は受験か就職で忙しくしている時期だけど、それはうちの学校も同じだ。我が女子校には附属の女子大もあるが、外部の大学に進学を考えている生徒もいる。
 私自身も大学は外部受験するつもりだ。雪花女子学園の大学は短大なのだ。私は淑女を目指してこの高校に入学したけど、勉強もしっかりしておきたい。なので4年制の大学に通おうと決めていた。


「三森さんはやーい…」

 私は考え事をしながら持久走をしていたが、ペースは普段どおり。あっという間に周回を終えた。
 一周遅れか二週遅れかはわからないけど、クラスメイトの綿貫さんがヘロヘロになりながら声を掛けてきた。

「がんばれ、走らないと更に引き剥がされるぞ」
「ううぅ…」

 小柄な綿貫さんは肺も小さいから、体力も私よりないのだろうか…わかんないけど。彼女はヒィヒィと苦しそうに息をしながら走っていた。
 今日は持久走の日だったのだが、この日はみんな朝からブルーだ。誰だって苦しいのは嫌いだもんね。
 冷え防止にジャージを羽織って、グラウンド隅っこで体操座りして待機する。……苦しそうに持久走する同級生らを眺めるのは少々心苦しい。

 グラウンドの横には裏門まで続く通路が整備されているのだが、登下校以外の時間帯は門が閉ざされている。
 訪問者は外のインターホンから事務室に連絡して入場するような形を取っているのだが、今日の来訪者は様子がおかしかった。
 …恐らく、座って待機していた私が一番最初に気づいたと思われる。
 はじめは小さな人影が門の向こうにチラリと見えただけだった。それがだんだん近づいてきて……ガシャンと音を立てて門に体当りした人物は、両手で門を掴んでガシャガシャ鳴らしていた。

「まぁ! 長井さん! どうなさったの!?」

 たまたま裏門沿いの花壇で植物の手入れをしていたシスターが軍手を取りながら裏門に近づき、その人物に声を掛けていた。

「たすけ、たすけて」

 少し離れた場所でそれを眺めていた私はハッとした。その後老人の着ているシャツに血の痕が付いていたからだ。
 異変を感じたシスターが門を開けてその人を招き入れていた。学校の敷地内に入ったその人は膝を付いて苦しそうに息をしていた。
 胸騒ぎがした私はそこに近づいてみた。

 その人は顔を真っ赤にさせているだけでなく、頬を赤く腫らしていた。その上口の端から血を流し……明らかに殴られた痕であった。
 喧嘩? と思ったが、こんなご老人が殴り合い…いやパワー系の人はいるけど、この人は明らかに被害者だ。通り魔か強盗にでも遭ったのか…?

「いたぞ!」
「捕まえろ!!」

 追手が来たのか、複数人数の足跡が近づいてきた。……その人数に私は思わず口を一文字にしてしまった。
 そのどれもいい年した大人たちだ。男女入り混じっているが、強盗とか通り魔を行うような容貌には見えない。

 人が一人通れるくらい開いていた門をこじ開けると、40代くらいのおっさんが「チョロチョロ逃げやがって! なにかやましいことがあるんだろうが!」と恫喝していた。
 自分の父も元ヤンで服装がある程度自由な職場環境(祖父の会社)で働いているから人のこといえないが……このオッサン、チャラチャラしてるなぁ…うちの元ヤン父みたいじゃないの……

 それはそうと、恫喝はよくないな。なんだチンピラか? 借金取りか?

「なんですかあなた方は! ここは学校です。部外者はお引取り下さいな!」

 そこに勇気あるシスターの一喝。
 お爺さんを背中に庇いながら、侵入者たちを牽制した。

「そこのジジイは俺の父親だよ。そのジジイさえ引き渡せばさっさとずらかるさ」
「その人はお金を隠そうとするのよ! こんなに意地汚い人だとは思わなかったわ!」

 えぇ…
 話が見えないけど……家族間の争いごとってこと?
 私はちらりとシスターに視線を向けた。彼女は息子と名乗る男を疑惑に満ちた目で睨んでいた。

「……とにかく、お引取りくださいませ。さもなくば、不法侵入で警察を呼びますよ」
「!? 警察っ!? 警察は呼ばないでください!」

 それに反応したのはお爺さんだった。
 彼は青ざめてオロオロしていた。
 シワシワの手を握りしめて、言いにくそうに身を縮めていた。

「大事にしたくないんです…」

 自分の身の安全よりも、迷惑をかけたくないと思っているのかな。だけどそれじゃ問題解決には至らないよ…
 大事にしたくないと願うお爺さん。だけどそう思っているのは彼だけのようであった。

「おら、ならとっとと戻れよ!」
「あっ!」

 元ヤン風のオッサンが乱暴にお爺さんの腕をひねり上げたのだ。当然ながらお爺さんは痛みに耐えかねて悲鳴を上げている。

「やめてください! お年寄りになんて乱暴な!」

 いくらなんでも乱暴すぎる。見かねたシスターが制止をかけようとした。オッサンの腕を掴んで止めようとしたのだ。
 するとどうだろう。ぐわっと表情を険しくさせたチンピラ風おっさんがその腕を乱暴に振り払い、勢いよく振り下ろしたのだ!

 ──グイッ!
 下手したらシスターの顔面に直撃する。そう判断した私の行動は早かった。シスターの腕を後ろに引いて、おっさんの肘鉄攻撃を避けさせたのだ。
 スカッと空振りしたおっさんはバランスを崩していた。その時に掴まれていた手の力が抜けたのか、お爺さんはその腕から解放されてしゃがみこんでいた。肩を抑えてうめいている。痛めてしまったのかもしれない。

 事件の匂いがする…これは放置できないぞ。
 だけど警察は呼ばないでほしいという。どうしたらいい?
 ……どうすれば……

「…よくわからんけど、暴力は良くないと思う!!」
「……んだぁ? このガキ……ガキが大人の話に口挟んでくんな!」
「暴力反対!」

 根っからの手が出るタイプなのだろうか。私にも手をあげようとしてきたので、ひらりと避ける。
 反撃しないの? と尋ねられたら困る。だってここ学校よ? それに私は淑女だから暴力はしないの。
 この間公園で喧嘩していたじゃないと聞かれると困るけど、あれは正当防衛。ああでもしなきゃ茉莉花を守れなかったの!

 おっさんは避ける私に苛ついてるようだ。私はサッサと華麗に避けて差し上げる。
 あっちは40代くらい、こっちは10代だ。体力の問題もあるだろう。早くもおっさんは息切れを起こしていた。
 もうそろそろ決着をつけておいたほうがいいな。もうすぐ体育終わるし。

 私はシュバッとオッサンの背後に回ると、おっさんの左足を自分の左足でホールド、おっさんの右腕に自分の左手を差し込んだ。脇へ入れた左腕で相手の上体を起こして……
 上半身をキメた。

「ぎゃあああ!」

 バキボキとおっさんから骨の鳴る音がしたけど、多分、年令によるものだと思うよ。しかし身体が硬いな。

「み、三森さんっ」
「シスター、これは暴力ではありません! コブラツイストです!」

 血相を変えたシスターが慌てて呼んできたので、私の正当性をはっきり主張しておく。
 これはシスターやお爺さんを守るための正当防衛…コブラツイストなんだって。

「三森さん! いいから落ち着きなさい! すぐに離れるのです!」

 だけどこの手を離したらこのおっさん、また暴力に走ると思うよ? もうちょっとやる気を削いでからのほうがいいと思うな……

「み…三森……?」

 ヒィヒィとコブラツイストに喘いでいたおっさんが裏返った声で聞き返してきた。
 まだまだ技を掛けておきたかったが、シスターが止めるから仕方なく解放すると、おっさんが私をまじまじと見てきた。頭の先から爪先まで観察しているおっさんはなんだか、トラウマに襲われているかのような表情を浮かべていた。
 私の名字がなんだ?

「…お前、三森っていうのか? ……親の名前は…?」
「……?  竜二 りゅうじ 香桜里 かおり だけど…?」

 なんだ、私の親の名前がどうしたよ。苦情でも言うのか? 言っとくけど今のはおっさんが10割近く悪いよ。いくら家族間でも暴力はよろしくない。よろしくないんだぞ!
 ちなみに私のはコブラツイストという教育的指導だからそこんところヨロシク。

「私は三森あげはだ! 私の両親がどうした!」

 私は逃げも隠れもしないぞ!
 親が何だ、かかってくるなら容赦しないからな!!

「ひぇっ…! 黒竜と紅蓮のアゲハの娘っ…! 殺されるっ」
「……あ?」

 私は意気込んだ。このような親不孝者(仮)などに負けたりしないと、強気でいた。
 …なのだが、おっさんは化け物を見てしまったかのように怯えてしまっていた。先程までチンピラ風吹かせていたくせに、おっさんは青ざめてブルブルと小鳥のように震えているではないか。

「あの2人の娘…!? とんだ悪夢だ…!」

 なんか悪夢扱いされたんですけど。
 
 シスターだけでなく、同じ体育の時間だった同級生、暴力から逃げてきたお爺さん、その親族だという人達の視線が刺さってきた。
 やだ、そんな目で見ないで。その目嫌だ。
 私はごく普通のか弱い女子高生だよ? 
大丈夫、怖くない。と慈愛の心でおっさんに近づくと、「ヒィィィ! 来ないでェ!」と悲鳴を上げられた。

 ……そんな、狼藉者に追い詰められた婦女子みたいな事言わないでよ。私が悪者みたいじゃん……

「ごめんなさい! お金は返しますから、命だけはァァ!」

 おっさんの情けない悲鳴が学校中に響き渡った。


 その後、微妙な空気が流れたが、シスターが機転を働かせて、解散を言い渡した。
 お爺さんは昔ながらの知り合いだからこっちの知り合いを当たって問題解決を目指しますからと、生徒たちを解散させたのだ。

 私はシスターからちょびっと「危ない真似はよしなさい」と注意受けただけである。
 私が技を掛けている姿をしっかり見ていた同級生からはなぜか羨望の眼差しを向けられた。痴漢にあったら掛けてやりたいらしいけど、やめておいたほうがいい。

 それにしても……何だ?
 うちの両親ってなんなの?
 どう見てもあのオッサンのほうが歳上なのに恐れられている両親って一体…


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