おはよう世界




ぐらぐらぐら、痛む頭で目の前の医者の説明を聞く。
正直言って起きたばかりだし頭痛と眠気で状況など掴めやしない。けれど、医者がカルテというものを見ながらすらすら話している中で、一つだけこの耳が掬い取ったものがある。
それに対し僕はどのような反応を見せれば良かったのか分からないが、とりあえず、混乱しかないので何も言えずにその言葉を噛み締めた。




「一時的な記憶障害ですね」




はあ。











「階段から落ちて頭を強く打ったんですってね。苗木くんらしいわ」



綺麗な花束を持ってお見舞いに来てくれた霧切さんはいつも通りの顔でそんなことを言う。
そんなことを言われたって僕には階段から落ちた記憶も頭を強く打った記憶もないのだから、一人苦笑しか出来ない。
窓からは冬の冷え冷えした日差しが入り込み僕と霧切さんを照らす。
が、おかしい、確か僕の記憶上ではもうじき冬が明ける頃だと思ったが、立てかけられたカレンダーは12月の文字を差している。
視界に入ってくる確かな違和感に時間の経過を感じられずにはいれず、一人呆然としていると霧切さんがこつこつと靴を鳴らし近付いてきた。



「私のことは覚えているのね」
「うん」
「そう」



喜ぶわけでもなく安堵するわけでもなく、霧切さんは確認を終えるとふいと僕から離れ自身が持っていたバックの中に手を突っ込む。
何をしているのか、することもないのでその姿をぼうと眺めていると霧切さんの手袋に包まれた綺麗な指先が何かを引っ張り出す。大きな長方形のようなもの。



「それは」
「アルバムよ」



アルバム。口の中で繰り返せば彼女はそれを手渡してきて、ずしりと重みのあるものが両手にのしかかる。
こんなアルバムは自身の記憶にもないので、彼女がこんなものを残していたのかと驚く。しかも表面は布に覆われて毛がもふもふしていて女の子らしいデザイン。
霧切さんがこれをなあ…さわさわと表面を撫でていれば「私のじゃないわよ」という尖った声が聞こえた。おっとお見通しだったか。



「小泉さんのものよ」
「小泉…?」
「…なるほど。小泉さんのことは忘れてるのね」



僕の言葉に納得したかのように頷く霧切さんだが、それは一体どういうことなのだろう。
どうやらこのアルバムは小泉さんという人の物らしいが、彼女は忘れてるといった。それがどういう意味を指しているのか、分からなくもないが分からないも同然。
「ねぇ小泉さんって…」と更に追求しようとすると、ふいに彼女の携帯が鳴る。この音は確か、メールの着信音。覚えている。



「失礼」



一言言ってから携帯をポケットから取り出しメールを確認した霧切さんは眉間にしわをきゅっと寄せた。どうやらあまり快いものではなかったらしい。



「…ごめんなさいね、苗木くん」
「え?」
「そろそろ行かないと。また来るわ」
「あ、うん」
「そのアルバムは貸しておいてあげる。あと、朝日奈さんや十神くんもあとで来るわよ」
「分かった」



彼女は少しばかり急いでいるらしく、要件をつらつら述べたあと別れを惜しむ様子もなくこつこつと足音を立て部屋を出て行く。
その後ろ姿を僕だけが名残惜しげに眺め、彼女がもう一度振り向きやしないかななんてこっそり期待もしたが、やはり振り向きことはしなかった。
ちょっぴり残念。ふう、とため息をついてから僕は扉から視線を外す。病室の中には僕一人。霧切さんが持ってきてくれた花が可憐な色を放つ中、手には見覚えのないアルバム一冊。
…なんとも現実離れした話だ。魔法の国に行くだとか、恐竜や怪獣が出てくるだとか、そんなSFみたいな出来事は一つも起こっていないとはいえ、身近すぎる出来事に動揺を隠しきれない。
記憶障害ねえ。もう少しで冬が明けるっていうとこだったのに、起きたら冬に入ったばかりだとは。嘘みたいな話だが、と僕はアルバムに視線を落とす。
とりあえず渡されたこれでも見てみるか。指先をアルバムの角へと持っていき、掴み、めくる。そこから視界に入ってきたものに僕はまた、驚きを隠せなかった。




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