マキシスカートが舞い上がる

羨ましい、そう思ってしまう度に私はしまった……と思う。
綺麗な心を持っていたい、そう思っているのに誰かを羨ましいと思ってしまうと、私の心はじきに汚れてしまう。
柔らかな羨ましいという感情は妬ましいという汚れた感情へとシフトするのだ。

「涼しくなってきたね」

夕方の風によって舞い上がったマキシ丈のスカートを押さえながら志奈子は呟く。
スカートに皺を刻ませる両の手は真っ白で、すべすべだ。
……体育祭の打ち上げなのに、そんな白い肌おかしい。
そんな醜い言葉が口をついて出そうになって、ハッっとする。
私、ついに志奈子を妬んじゃったのか。

初めて出会ったとき、志奈子があまりにも綺麗だから見とれた。
気さくに声をかけてくれた志奈子をいい子だと思った。
今日の体育祭でチームを優秀へ導いた志奈子の身体能力の素晴らしさを讃えた。
マキシ丈のスカートだって楽々穿きこなせる志奈子に、また見とれた。
志奈子が羨ましい。
志奈子みたいになりたい。
そう思って過ごす日々は苦痛だった、私が志奈子に妬みの感情を持ってしまうことは時間の問題だと分かっていたからだ。
……志奈子は何も悪くない、私が勝手に僻んで、妬んでしまっているだけなのだ。
軽く思い詰めて一つ溜息をつく。

「私ってちっぽけ……」
「そんなに身長が欲しいんか?」
「ああ、仁王か……仁王が打ち上げに来るなんてちょっと意外」

肩にかけられたこれまた白い手の主が仁王だと知った私はあからさまに気を抜いてしまう。
仁王に話しかけられたって少しも嬉しくない。
……ていうか体育祭の間ずっと気だるげな顔して日陰にいて競技もサボってたくせに打ち上げに顔を出せる図太さが私には全く理解出来ない。

「打ち上げ焼き肉なんじゃろ?」
「あー、好きなんだっけ?」
「普段はあんま飯食わんのじゃけど焼き肉ならいくらでも食える」
「ふぅん、私は仁王が普段あんまご飯を食べないとかそういうの本気でどうでもいいと思う」
「お前さんカンジ悪いのう」
「はいはい、ごめんね。
今ちょっと落ちてるから勘弁してよ」

自分の心があまりにも汚いから私は少し落ち込んでいるのだ。
志奈子はこんな風にどうにもならない状態になったりしないんだろうなあ……ってまた妬んじゃってるし。

「はあ……」

全員集まったから店に向かおう、綺麗でよく通る声で言った志奈子に皆集まっていく。
そんな中一人足並みの遅い私の手を、

「行くぜよ」

仁王が引いて歩き始めた。
意外におせっかい?
強引に歩かされる不快感から眉根を寄せつつ首を傾げたそのとき、たくさんのクラスメイトに囲まれた志奈子と目があった……ような気がした。


*****

がやがやした雰囲気の店内で皆思い思いの席に座っていく。
店に行く途中で仁王の手を振りきって友達と合流した私は当然のように友人達と同じ卓を囲んだ。
机は六人掛け、今座っている人数は三人だからあと三人は座れる。
未だ席を決めかねているらしく通路に立っている女子に声をかけようと口を軽くひらいたときだった、仁王が私の隣の椅子に腰を下ろしたのだ。

「なんでそこ座るの?」
「いかんの?」
「うん、駄目。
仲いい人のいる机の方が仁王も気が楽でしょ?」

隣の席から離れようとしない体を押しながら言えば、仁王は無表情に、

「クラスに友達おらん」
「うっ……」

……なんて悲しい奴。
そういえば仁王がクラスメイトと談笑している姿を見ることは滅多になかった。
愛想のいい方ではないからなのか、仁王には友達があまりいないようなのだ。
急に仁王が不憫に思えた私は、店に入った瞬間にトイレへ直行したせいで未だ席を決めていない丸井に声をかけた。

「ねえ丸井」
「なんだ?」
「仁王が友達いなくて可哀想だから一緒に座ってやってくれない?」
「友達いないって……俺たち一応友達だろぃ」

そう言いながら丸井は仁王の向かい側の席に座る。
出来ればそこじゃなくて仁王を連れて他の机に行ってほしかったんだけど……まあ仕方ないか。
残った席は一つ、放っておけば誰かが座るだろう。
机の上に置かれていた店員さんを呼ぶボタンに私は手を伸ばす。
だけど私の指がボタンに触れることはなかった。
私の指よりも先にボタンを押した指の主はいつの間にか仁王の隣に座っている。

「志奈子?」
「あっごめん、押しちゃ駄目だったかな?」
「ううん、別にいいよ」

私はあのボタンを押せなかったからと言って駄々をコネるほど子供ではない。
志奈子が座っていたことに気がつかなかったから驚いてしまっただけだ。

「カルビとロースと……」
「しっかり者だなあ」

やって来た店員さんにてきぱきと注文をしていく志奈子を眺めながら私は思わず呟いていた。
チラリとこちらを見た志奈子が照れくさそうにはにかむ。
……可愛い。
なんでこんな子がこの世の中に存在するんだろう。
神様も二物を与えすぎたかなあって気づかないのかな?
それとも気づいてて与えまくってんの?
志奈子は神様にまで愛されてたり……。

「何考えとん?」
「しょうもないことよ」

志奈子しか写っていなかった私の視界の中に仁王が写り込む。
そっけない返事をして、店員さんが運んできた肉を箸で掴む。

「マキシスカート、」
「は?」

突拍子もなく小さな声で呟いた私に仁王は不思議げな顔をする。
そして独り言的に私はまた呟く。

「……穿きたい」

今度はもっと小さな呟きだったから仁王に聞こえたかどうかは定かではない。
聞こえちゃったかな?
様子を伺おうと視線を肉焼き網から仁王の方へと移す。
何故だか志奈子と目があった。
私と目が合った志奈子はすぐに視線を逸らしてしまう。
何なんだろう?
考えているとまたしても仁王は私の顔をのぞき込んできて言った。

「穿いたらええじゃろ」

……聞こえてたのか。
それならすぐに返事をすればいいのに。
というか穿いたらいい、なんて言われてもなんて返事したらいいのか分からない。
返事なんて求めていなかったんだから。

「そこの肉焼けてるんじゃない?」

指摘してやれば私の指した肉に向かって仁王の箸が伸びた。
仁王は本当に焼肉が好きならしく、肉が届いてから殆ど休むことなく箸を動かしている。

「もっと食べんしゃい、いっぱい食べれば背も伸びるじゃろ」
「もう伸びないと思うけどね」

そりゃあ背が伸びたらマキシスカートだって志奈子みたいに綺麗に穿きこなせるだろうけど。
お母さんもお父さんも背が高い方じゃないし、この一年間殆ど伸びていないんだから、期待するだけ無駄ってものだ。

「なあ仁王」

仁王以上の勢いで肉を胃袋に納めていた丸井が仁王に声をかける。
呼ばれた仁王は丸井を一瞥して、なん? と返す。

「お前が打ち上げなんか来るの珍しいよな」
「テニス部でよく焼肉に行ったじゃろ」
「テニス部の奴らとは一応仲いいだろぃ。
さっき比呂士にお前が来てるって電話したらすげー驚いてたぜ」
「お前さんはいらんこと言いじゃ」
「なんだよ」
「何でもなか」

二人のやり取りを私はじっと見つめる。
そんな私に気がついた仁王は首をかしげた。

「なん?」
「丸井と仲いいんじゃん」
「部活の練習で年がら年中一緒やけ」
「ふぅん、まあ興味ないけど」

「古畑はどうなんだよ?」

私にそう尋ねたのは丸井だ。
だけど私は丸井の問いかけの意味が分からなくて黙っている。

「だから、さっきからよく仁王と話してっけど仲いいのか?」
「ああ、そういう質問か」
「おう」

仁王と私……か。
仲がいいのかどうかで言えば、

「全然仲良くないけど。
普段私たちが話してるとこなんか見ないでしょ?」
「そういやそうだな」
「なーんか、今日は仁王がやたら絡んでくるんだよね」

そう言って仁王の様子をうかがう。
先ほどまで私にしつこい程に話しかけていた仁王が、今は志奈子と何やら話している。
隣に座っているのに二人の会話は聞き取れない。
……なにさ、カンジ悪い。

「古畑」
「なに?」

仁王が私のことを呼ぶ。
私が顔を上げると仁王は千円札を三枚差し出してきた。

「俺らは一足先に店を出る。
これで代金を払っといてくれんか?」
「……まあいいけど」

こくり、と頷けば仁王とともに立ち上がった志奈子もおずおずと千円札を差し出してくる。
私はそれを受け取って口を開いた。

「よろしくやっといで」

にんまり笑う私に志奈子は顔を真っ赤にする。
仁王は、不快げに眉根を寄せていた。
……なんなのさ。


*****


二次会、というか焼肉屋さんで解散したあとは各自自由に街に出ることになった。
そのまま帰る奴なんているはずもなく、だからといって町中でも八時を回った時間だから行く場所もなく、皆ゲーセンに集まってプリクラを撮ったり太鼓を叩いたりしている。
志奈子と仁王の姿はない。
もう戻ってこないのかな?

「志奈子と仁王って付き合ってたんだね」

私がそう言うと隣にいた友人は呆れたように、

「付き合ってるんじゃなくて志奈子が告白しようとしてたんでしょ」
「あれってそういうことだったのかよ」

私と同じように事情が掴めなかったらしい丸井が話しにはいってくる。
志奈子とも親しい私の友人は丸井ににじり寄りながら尋ねた。

「で、丸井君はどう思う?」
「どうって、なにがだよ?」
「志奈子が上手くいくかってことよ」

上手くいくに決まってるじゃん。
私はそう思ったけど丸井の答えは違った。

「……無理じゃねえ?」
「なんでよ?」
「よく分かんねえけど、仁王がああいうタイプの女と付き合ってんの想像出来ねえし」

志奈子と仁王……そう言われてみると確かに想像出来ないような気がする。
だけど二人で出ていったきり帰ってこないわけだし、志奈子の告白は上手くいったと考えるのがふつ……あ、仁王。
ゲームセンターの入り口の方に視線を寄越せば仁王が一人で突っ立っている。
志奈子はどうしたの?
歩み寄ってそう尋ねようかと思ったけど、やめた。
なんとなく、志奈子の告白は失敗したんだろうと思ったからだ。

「ね、プリクラ撮ろうよ」
「そうしよっか、丸井君も一緒に撮ろうよ」

友人が仁王の存在に気づいてしまう前に彼女の腕を引く。
どの機種で撮ろうか、なんてそんな話をしながら私たちはその場を離れた。



*****


「ジャンケンで負けた人が二百円ね」
「おっけー。
とりあえず百円……あ」

財布を探る手を止めて苦笑いする。
百円玉が財布に入っていなかった。

「両替えしてくる。
二人はしなくても大丈夫?」
「おう」
「大丈夫よ、待ってるから早くいっといで」
「はいはい」

ここのゲーセン、どこに両替え機があるんだっけ?
首を捻りながらプリクラの機械の間をすり抜けていく。

「お、あったあった」

視界の端に両替え機の姿をとらえて駆け寄る。
そんな私の行く手を阻むように両替え機の隣に配置されていたプリクラ機の中から白い手がにゅっと伸びた。
不気味……!
すぐに足を止めようとしたけど、店内だということも忘れてそれなりの速度で走っていた私は止まろうと思った地点よりも数歩進んだ地点、白い手に体が触れてしまうところまで歩を進めてしまった。
その白い手は私の体をプリクラ機の中に引きずりこんでいく。

「あっ……たすけっ」
「俺じゃ」

叫び声をあげそうになった私の口を塞いだ白い手の主は仁王だった。
なんで一人でプリクラ機の中に?
そう尋ねる間もなく仁王は自分の財布から四百円取り出して私に手渡す。

「なに、このお金?」
「そこに入れて」
「一緒にプリクラ撮ろうってこと?」
「俺の奢りじゃ」
「少しも有り難くないし」

仁王と二人きりで撮っても楽しくないだろうし、
友達にも見せづらい。
いいことなんか一個もないじゃないか。

「人の厚意は受けとくもんぜよ」

仁王は一度は私に渡した四百円を自分の手で機械の中に入れてしまう。
そして逃げだそうとする私の体をホールドして適当に美白や写りの指定をしていく。
勘弁して……そう思って最初は暴れていたのに背景を選び、撮影が始まるころには私はノリノリにポーズを決めていた。
……女子中学生の習性って怖い。


*****


「ラクガキは右の出口からだってさ」
「そうか」
「仁王?」

ラクガキスペースに移動しようとした私を、仁王が後ろから抱きしめる。
殴りとばしてやろうかと思ったけど仁王の様子が少しおかしいように感じられたからおとなしくしていた。

「……仁王、志奈子の告白断ったの?」

沈黙が苦しくて、なんでもいいからとフった話題がそれ。
私って気の使えない女なのかも。

「断った」
「ふぅん……な、なんで?」
「なんでやと思う?」
「そんなの、分からないよ。
志奈子は可愛いし、性格もいいし、お洒落だもん。
フツー断らない、仁王はヘンだよ」
「長いスカートなんか穿けんでもええんじゃ」

長いスカート……って、ああ、マキシスカートのことか。
突拍子もなく何を言い出すんだ、コイツ。

「意味分かんないんだけど……」
「長いスカートなんか穿いてなくても、俺はお前さんが好きなんじゃ」
「へ?」
「古畑は俺のことうっとうしい男やと思っとるかも分からんけど、俺はお前さんのこと本当に好いとる」
「そ、そんなっいきなり言われても……その、なんというか……困るっていうか」

だけど嫌な気はしないというか……でも口には出せないというか。
私がなんと言えばいいのか迷っているうちに仁王の腕は私の体から離れていった。

「そろそろ出るか」
「あ……うん」

一緒に機械を出た拍子に、志奈子と出くわした。
自分をフった仁王が私といることに戸惑っているようだった。
……どうすればいいんだろう?
仁王からの告白は、正直嬉しい。
……だけどそれが妬ましく思っていた志奈子に対する優越感から来るものなのか、単純に仁王への好意から来るものなのか……私は判断出来ずにいる。
分からない、自分の気持ちが……少しも。
モヤの中にいるようでスッキリしないままにラクガキスペース入り込む。
出来るだけ早く志奈子の視線から逃げ出したかった。

「テキトーでいいよね?」
「だいたい任せる」
「そう」

……このことは一旦忘れよう。
今は無難なラクガキに集中。

しばし無言でラクガキを続けていた私は仁王が少しも手を動かしていないことに気がついて彼の腕を小突いた。

「仁王もちょっとくらいはなんかしてよ」
「そう言われてものう」

困ったような顔をしながら仁王はラクガキ用のタブを一つ一つ見ていく。
そして仁王のペンが止まった。

「それって……」
「使ってもええ?」

仁王が選ぼうとしているのはイニシャルを記入できるタイプの相合い傘。
既にNは選び終えていて、あとは私のイニシャルを入れるだけだ。

「……いいよ」

いつもは他人に興味なしという態度を貫いている仁王がこんなことをするのを可愛いと、そう思った。
何だかもうマキシスカートなんてどうでもいいような気もする。
それだけで、それだけで先ほどの告白を嬉しいと思った気持ちがなんだったのかは十分に説明がつくと思う。
私は……仁王が好きなんだ。
そう意識し始めると急に気恥ずかしくなる。
隣の仁王との距離が殆どゼロに近いことに気がついて少し壁際に寄った。
仁王の左手が私の頭にのせられた。

「……っ」

恥ずかしい。
だけど……幸せだ。
背が高くなくてよかった、本当に。
顔を真っ赤にしながら仁王に寄り添った私は未だに私のことを待っているであろう丸井達のことも、志奈子を妬ましく思っていたことも、忘れてしまっていた。




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