歌声のある家

 家から歩いて数分のところに、柳生先生と呼ばれている男がいる。年の頃は三十路前、見かけだけならそれ相応にしか見えない若造だが、生業が医者なので先生と呼ばれる様も堂にはいっている。彼の継いだ実家の医院は、地元では丁寧な診察で知られた消化器内科なので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれない。
 私が彼と知り合ったきっかけは、母が倒れたことにあった。私の母は、老境にありてなお地元神奈川で惣菜屋を切り盛りしていた。その母が店先で倒れ、通りがかりにそれを見つけて救急車を呼んでくれたのが柳生先生だったという。
 都内に暮らし勤めに出ていた私が連絡に気づき病院にたどり着いたとき、母は手術を終えて個室の病室に寝転んで おり、眼鏡をかけた若い男がベッドに寄り添うようにかけていた。
 お世話をかけました、彼に初めてかけた言葉はそんなものだったはずだ。病室を訪れる前に医師に母の病状について説明を受けた折、私は近所の若医者が自分の母親を救ったことと、彼が未だ病室で母に付き添っていることを聞いていた。
 お噂はお母様からかねがね――初めてきく柳生先生の声が見かけに反して低く響いた。
「なかなかいい声だね。歌にも自信があるんでしょう」
「私よりも家内が」
 控えめに眉を下げた柳生先生は、だけど自分も嫌いではないのだと語った。
 これも何かの縁でしょう、今度一緒に歌いにいきませんか。いいですね、この歳になると胸襟を開くことの出来る友も殆どありませんから目が覚めたところで二度と口を利くことも出来ないかもしれない母親の前で私達は和やかに談笑した。
 惣菜屋と一体になった実家に戻る私と先生はタクシーに同乗した。車中ではお互いに昔はテニスを嗜んでいたことを知り、余計に意気投合したが、
「どちらから車を回しましょう」
 と運転手が訊くのに、「先生の家から」と私が返すと、隣にかけた体が強張るのが分かった。
「あなたの家の方が手前だったよね」
 自分の方が歳上であることもあり、すっかり砕けた口調で訊くと、柳生先生の顎が縦に振れた。
 ええ、うちからお願いします。細まった目は、ハンドルを握る運転手の手を注視していた。
「もしや先生は、奥さんを怖がっているのでは」
「なにをおっしゃるのです」
「だってね、あなたは医者でしょう。普段から忙しく働いていて、家で奥様とのんびり関わる時間は希少なはずだ。それをたまの休日に近所の惣菜屋のばあさんが倒れたのに付き添って帰りがこんなに夜更けでは、奥さんが怒っても無理はないよ」
「ああ、そんなことですか」
 未婚、それも初対面の私が理解者ぶって言うのがおかしかったのか、先生は表情をくつろげた。
「妻はそんなことで苛立つような女性ではありませんから、ご心配なく。それにお母様にお世話になっているのは妻も同じですから」
 私の母は、彼の妻君の鬼籍に入った祖母によく似ているのだという。優しくて素敵な方ですね、と身内を褒められると悪い気はしない。
「奥様に挨拶をしても」
 気がつけば車は彼の家の前に停まっていた。
「いえ、今日は遅いですから。また次の機会に」
「分かりました。運転手さん、ここで降ります」
 退院後の母との暮らしについての考えもまとめたかったので、ここからは歩いて帰ることにする。
「夜道は危ないですよ」
「大丈夫ですよ。それにしてもあなたの家は、想像していた以上にうちに近いね」
「ええ、お店にも頻繁に寄っていました」
 財布を握って離さない彼をなんとか納得させて自分で会計をして、車から降りる。つと、目を向けた柳生邸は外構だけでも金のかかった造りであることが窺い知れた。境界線の高いクローズ外溝は、近隣に多く住む噂好きの婆達の目から夫婦を守っているようである。
「この家にはお二人で暮らしているんですか」
「初めのうちは私の実家に同居していましたが、こちらが完成してからは二人です」
「若いのに立派だ」
「両親の援助もありましたから」
 恥じ入った風でもなく呟いた先生は、「それでは」と爽やかに微笑んだ。
「ご迷惑をおかけして」
 深々と頭を下げて顔を上げると、先生はゆっくり頷いて歩き始める。金属製の分厚げなドアが開いて、彼の背が家の中に消えていく瞬間、女性の歌声が微かに聴こえた。清らかで、美しいその響きは、紳士的な若い医師に似合いである。
 あのような声を持つ女性は姿形もそれと同じく美しいに違いない。そういうことを考えている内にその日は眠りに落ちていた。
 翌朝、早くに目の覚めた私は、自分が夢の中でも彼女の歌声を聴いていたことに気が付いた。あれは大した歌声だ。洗顔に歯磨きを済ませてもまだ七時にも満たなかったが、耳にこびりついて離れないあの声の響きに引きずられるようにして、私は家を出た。
 先生の家は本当に近い。車を走らせると一方通行だらけで難儀するが、歩きだと三分とかからないところに建っている。朝の光に照らされた柳生邸からは、夜にちらりと見たときに感じた秘匿的な雰囲気は感じられなかった。住み心地の良さそうな家だ。玄関アプローチに使われている白い天然石が目に眩しい。門を開いたところから、入口のドアにかけて少しも段差がないのが医師の邸宅らしい。
 呆けたようにそこに立ち尽くしていると、あの声が耳に届いた。昨晩聴いたときのそれよりも、力強く、しかし切なげである。
「いい声だ」
 頷きながら呟いて、家人の目に留まる前に場を離れた。その日は神奈川から出社して、東京の自宅に戻って眠った。それでも入院中は定期的に母に着替えを届けてやらねばならないので、一週間と経たない内に殆ど実家で寝起きするようになり、ふた月後、母が退院するのに合わせて一人暮らしの部屋を引き払った。右半身に麻痺が残り、しばらく、あるいはこの先ずっと車椅子での生活を続ける母の介護をするためである。
 母の退院の日、ベテランの看護師に、褥瘡、つまりは床ずれに気をつけてくださいと言われたが、心得がないのでどう気をつけていいものかも分からない。また、これまで一人の生活を続けてきた母のそばにいてやりたいという気持ちはあるものの、現実的な問題として、私が出勤している平日の昼間に母の面倒を見る人間も必要であった。
 それらのことを柳生先生に相談すると、
「それでは昼の間はうちの家内と過ごすのはどうでしょう。彼女は言語療法士ですから、言葉のリハビリのお役にも立てるかと思います」
 当時母は右半身の運動機能を失っているばかりではなく、脳に与えられた損傷のためか、意味のある言葉を発することが出来なくなっていた。お母さん、と声をかけても、重たい吐息を漏らすだけ。健康で闊達な時分を知る人間からするとあまりにも痛ましい姿であった。
「母は、口を利けるようになるだろうか」
「こればかりは個人差がありますのでお約束は出来ませんが」
「家に一人でいるよりはいいかもしれないね」
 私は一度頷いてから、
「奥様は歌を使った治療をしているの」
「ええ?」
「たまに家の前を通ると、綺麗な歌声が聴こえてくるから」
 遠回りしてでも柳生邸の前を通っていることは黙っていた。
「昔声楽をやっていたので、歌には自信があるようです」
「先生が選んだくらいだから綺麗な人なんだろうな」
「……そうですね」
 それからしばらくやりとりをして、先生はあの歌声の主の写真を見せてくれた。日産の古いコマーシャルのシリーズにケンとメリーの愛のスカイラインというのがあったが、あれを日本人にしたような美人で、並みの男の伴侶であれば舌打ちをしたくなるくらいだったが、背が高く鼻筋のスッと通った青年医師が相手となると、話は別だった。柳生先生は人格も優れている。
 翌週から、私が出社する日は柳生先生が母を迎えにくるようになった。
「おはようございます。お迎えにあがりましたよ」
「いやあ、毎朝すまないね」
 毎朝それだけのやりとりをして、寝巻きのままの母を彼に託した。そうして夜になると彼がまた車椅子を押して母をうちまで戻してくれる。
 流石に申し訳なく思い、何度か送迎は任せてほしいと申し出たのだが、散歩になりますから、と先生は取り合わなかった。私はこれで頑固なのです、とも。
 柳生邸でのリハビリの成果が出たのか、そのうち母は喉から引き絞るような声をあげられるようになった。ぐぅ、ぐぅ、と、とても醜い声。それでも嬉しかった。快方に向かっていく予兆のように思われた。
 母が、その声をあげるのは毎朝決まって同じ時間だ。人気のない朝の道路を、先生の磨きぬかれた革靴が叩く高い音、それが呼び水になる。
「近頃母は、先生の足音が聞こえるとぐぅ、と鳴くんです」
「おやおや、そこまで喜んでいただけているとは光栄です」
 爽やかに笑った先生はその日もそつなく車椅子を押して、母を連れて出した。
 正直なところ、母親が血を分けた自分よりも、柳生夫妻に心を許しているらしいことには複雑な思いもあった。しかしその頃の私は昇進を控えており、引き継ぎに忙殺されていて、母に気を回すような時間もなかった。
 あるとき、私の帰りが午前様になったことがあった。流石に憔悴した様子でうちに戻ってきた母は、先生が玄関の戸を閉ざすなり、
「や、ぎゅ……う」
 母さん声が、驚いた私が手を握ると、母は目頭から涙を垂らした。深く刻まれたしわを伝う透明なしずくが美しい。家族の前で母が涙を見せるのは初めてだった。
「きちんと口を利くのは久しぶりだものね」
 嬉しくて涙が出るのも無理はない。白髪まじりの頭を抱き寄せると、車椅子の中に小さく収まった体が震える。
 これからは極力母と二人で過ごす時間を過ごそう。そんなことを考えていた矢先、もう一つの変化が起きた。母が柳生先生の迎えを厭い始めたのだ。彼が車椅子のグリップを掴むと、途切れ途切れに、嫌だ、と漏らす。左手と左足だけで座面からずり落ちようとする。
 尋常ならざる態度に目を剥いていると、
「これはせん妄かもしれません」
 先生はあっさり言った。
 せん妄とは、脳卒中や認知症の患者によく見られる症状なのだという。
「お母様は現在リハビリがとても上手くいっていて、退院直後よりも沢山のことを理解出来るようになったので、出来なくなったことへの不安や混乱が大きく出始めているのでしょうね」
「それは悪いことではないの」
「良いことではありませんが、ゆっくり見守っていくしかありません。しかし歩いている途中で車椅子から抜け出すと危険ですので、これからは車で迎えにあがります」
「母がそういう状態では、私も休職した方が」
「大丈夫ですよ。きっと良くなります」
 先生はそう言ってくれたが、気がかりだった。柳生邸に通い始めてから、元々は恰幅の良かった母の体が日増しに薄くなっている気がする。無論、夫妻が母に暴力を振るっているだなどと疑っているわけではない。母の体には、目立った外傷どころか床ずれの予兆すらもなかった。
 それでも母が嫌がり続けるので、私はあるとき耐え切れなくなり仕事を休んだ。暴れる母を先生の車に押し込んだのちに、車が一方通行の道路に阻まれて遠回りをするのを見越して、柳生邸の裏道に先んじる。
 そのときの私の胸には、柳生夫人の歌声を久々に聴きたいという下心も当然あった。そうしてその望みは、建物が視界に入った瞬間に叶った。
「ひいぃぃぃあああああぁ」耳を劈くような叫びが聞こえた。
 それはよくよく聴くと旋律を成した歌声であった。声量がとんでもないので、悲鳴のように聴こえたようだ。
 今日は随分喉が開いているのだな、と思いながらその声に耳を鳴らしていると、先生の車が車庫に収まった。母の呻めき、それを宥める紳士的な声、玄関のドアが開く音に夫人の歌声が重なる。
 しばらくすると、けたたましく響いていた歌声が途絶えた。間をあけず、柳生先生が再び車に乗って出て行く。
 人目を気にしつつ、私は柳生邸の敷地内に侵入した。内側を伺えるような窓は、表にはない。裏側まで回ると、塀との間に細く伸びた芝生に面して、人が出入り出来る程度にくり抜かれた窓が一つ。
 随分と日当たりの悪そうなリビングの片隅に母はいた。いやぁ、いやぁ、と呻きながら項垂れている、その母の膝には、髪の長い女が縋り付いていた。顔は見えないが、あれが柳生夫人であろう。
 つと窓に指をかけると、錠がかかっていなかったらしくすんなりと開く。
「すみません」
 声をかけると、二人の女の視線が私を貫いた。母の目には涙。そうして血走った目を持つもう一人の女の赤い唇には、母の指が収まっていた。
「困るよ」私は声をあげながら、部屋の中に入った。「その人は私の母親だ」
 部屋の隅で車椅子に乗って震える母の、もう二度と動くことのない右手を引く。じゅるり、と音を立てて女の唇から指が抜け落ちた。母の指は唾液にまみれて赤らんでいたものの、噛み跡などはついていない。
 安堵して顔を上げた瞬間、「ひいぃぃぃあああああぁ」
 悲鳴にも似た歌声が、鼓膜を突き刺した。思わず握っていた母の手を宙に放る。
「落ち着いて」
「ふうぅぅぅぅぅわぁああああぁぁ」
「頼むから静かに、母さんが怖がる」
「それは無理ですよ」
 そう返したのは、柳生先生だった。リビングの入り口から、そっと歩み寄ってくる。
「彼女の歌声は、あなたのお母様の指がないとやみません」
 私が放り出した母の腕に手を伸ばしながら、「おや」と嬉しげに眉を上げる。
「よく似ている」
 夫人に向かって手招きをしてから、この段になってもきょとんとしている私の手を取って、それを差し伸べた。瞬間、生温い感触が指先を包む。「ああ、スペアが出来て助かりました」
 歌声は、止んでいた。



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