揺り籠から墓場まで(R18)


 ノーマルな性癖しか持ち得ない私にも、恋人の尿を飲んだことくらいはある。自分から飲ませてって志願しておいて、嫌がる恋人から絞り出した。いざ口の中に受け止めてみると、臭いが酷くて飲めたもんじゃなかった。ごめん無理だわって吐き出して、笑った。そのせいかどうかは分かんないけど、彼とは半年と持たなかった。
 赤也とは彼との終わりがけに合コンで知り合った。恋愛は数珠繋ぎが基本だって、歳上の友達に聞かされていたけど、私は誠実だからそうはしなかった。その日の合コンは男の子が四人、赤也は紛れもなく大当たりで、トイレでの作戦会議で「私、切原君とった」ってみんなに宣言した。アンタ彼氏いるじゃんって呆れる友達の目の前で、おしっこの彼氏に電話で別れを告げた。赤也とは二回目のデートでキスをした。赤ちゃんみたいな匂いがするって笑ったらヤな顔をされた。だけど今日赤ちゃんになるのは赤也じゃなくて私。
「アンタの尻のデカさだったらLサイズじゃないスか」
 ドラッグストアの介護のコーナーで赤也がつまんない弄り方をしてくる。
「アテントってのがいいらしいよ」
 私はそれを無視して、テープタイプのおむつのパッケージを指で辿った。
「パンツっぽくなってんのは?」赤也が腕に掛けた買い物カゴには、避妊具の箱と単四の乾電池。「そっちのより履かせやすそうですけど」
「テープ留めじゃないとヤだ」
 どうせ履かせるの赤也だし、とMサイズのそれをカゴに捩じ込むと赤也は「おーぼー」と頭を傾けて笑った。

 十代の終わりがけに祖母を亡くした。滅多なことでは声を荒げない美しい人に、私は利き手の指を踏まれたことがある。妹が産まれた朝だ。私は祖母と、祖父の暮らす家に預けられていた。新しい家族が増える気配に、普段より早く目が覚めて、外の空気を吸っていた。祖母は糠床をかき混ぜていた。祖父は玄関の三和土に私を残して、庭に植わった茗荷を取りに行った。三和土の片隅には公園で遊ぶための砂場セットが置かれていた。幼い私は、カラフルなバケツに収まった小さなスコップで玄関を出てすぐのところに散った砂をすくう。すくった砂は、地面に戻す過程で風に攫われた。磨き抜かれた黒い大理石の三和土に、朝の陽を浴びたそれが光るのがきれいで、何度も何度も同じことを繰り返す。さらさら。
 糠漬けの匂いを伴った祖母の気配には気が付かなかった。祖母はあの頃、まだ五十代になったばかりで細い首に落ちた後れ毛が美しかった。顔を上げた瞬間にかち合った柔らかな瞳が、三和土に散った砂を認めて三角になった。スコップを握った利き手を踏まれた。幸いにも「ろくでもない」という言葉を耳で聞いたのは、人生であの日一回きりだ。
 祖母を憎みはしなかったが、十代の終わりがけに亡くなったのが彼女ではなく祖父の方であったなら私はもっと傷ついたはずだ。病に倒れ、自力でベッドから起き上がることの出来なくなった祖母を一度だけ見舞ったことがある。
 若くして病に倒れた祖母の身の回りの世話は、祖父が全て担っていた。返事もないのにこまめに声をかけて、頭を撫でてやる。吸い飲みにとろみのついた温い茶を入れてやり、唇から溢れた分はタオルで拭う。私がくると知っていたから、唇には紅がさされていた。
「おばあちゃん、汚いとこを人に見せるくらいなら死んだ方マシやって」
 それが口癖だったらしい。全く知らなかった。私は祖母のベッドの傍に膝立ちになって謝った。「玄関、汚くしてごめんね」
 もうしないから、と重ねたところで饐えた匂いに気がつく。そっと後ずさって出来た隙間に祖父が収まった。日に焼けた手には紙おむつが握られている。それがテープ留めのだった。
「もっとパンツみたいな形してると思ってた」
「おばあちゃんはもう足が殆ど曲がらんから」
 ベッドの上で局部を露出させられて、手際良くころころ転がされる祖母を、私は部屋の入り口まで後退してじっと見つめていた。寝たきりの生活で更に細くなった白い足に祖父の指が絡む。
「ごわごわして気持ち悪いやろ。ごめんな」
 かさつく皮膚を撫でる祖父の声は優しいのに、それを見つめる私の心を満たしたのは背徳感だった。二人だけの秘密を暴いてしまったようで後ろめたく、もう私の手を踏むことの出来なくなった祖母の変わりようが恐ろしく、そして何より、祖父にそんなにも大切にされる彼女が羨ましかった。それは産まれたばかりの頃、両親に手厚く世話をやかれる妹を眺めながら胸に抱いたのと似た種の憧憬だった。

「じゃあお願いしまーちゅ」
 ベッドの上に寝そべった私が露骨な赤ちゃん言葉を使うと、赤也は「うげぇ」と顔を顰めた。
「ちゃんとノってくだちゃいよ、ママ」
「無茶言わないでくださいよ」
 足、開いて、と外腿を叩かれる。今の私は赤ちゃんなんだから、もっと丁寧に扱ってほしい。
「つーか今の話聞いた感じ、アンタがしたいのってホントは赤ちゃんプレイじゃなくて介護プレイなんじゃないスか」
「介護の方だと赤也が引いちゃうかなって。嫌われたらヤだし」
「嫌いはしねえけど、どのみちドン引き。やっぱアンタちょっとおかしい」
 口調の大雑把さに反して器用な手が、私が元々履いていたショーツを剥ぎ取る。このまま挿れちゃ駄目スか、と指の腹が下生えを掠めると、それだけで全てを許してしまいたくなる。
「ダメダメ、今日は赤ちゃん記念日だから」
「勝手に変な祝日作んないでもらえます?」
 早く早く、と促すと赤也は大きな溜息を吐き出した。避妊具の箱の隣に置き去りにされた紙おむつを手に取って、テープを剥がす。
「ほらケツあげて」
「赤ちゃんだから出来ないでちゅね」
「あんまふざけてると潰すよ」
 女相手にやれるもんならやってみろ。
「ばぶ」
 死んでも自力で動くつもりはなかった。紙おむつをぴろぴろ広げてこちらを見下ろす赤也を、本物の赤ちゃんの如くピュアな目で見上げる。瞬きを堪えて目を潤ませると「マジでたりぃ」と腰に手がかかった。マットレスが軋み、側臥位の姿勢を取らされる。
「多少ズレても文句言わないでくださいよ」
 乾いた紙が皮膚を撫でる。マットレスと接した腸骨のあたりにおむつの端くれが敷き込まれたかと思うと、今度は逆向きに転がされる。祖母が祖父にしてもらっていたのと同じ動きだ。
「手際いいね。もしかして動画とか見て予習してくれた?」
 思わず赤ちゃん言葉を忘れてしまう。
「さっきトイレで……こんなことでもたついてケチつけられるのも嫌だったんで」
 赤也のこういうところがたまらなく好きだ。
「ママはお勉強熱心でちゅね」
 ニヤニヤ笑うと、額をぺしんと叩かれた。気がつけばテープもしっかり留まっている。
「哺乳瓶とか用意してねえけど、こっからどうするんスか」
 シーツの上に投げ出した手の指を赤也が握り込む。本物の赤ん坊にするみたいに、柔らかく、優しく。赤也の魅力を正しく表す語彙を持たない私は、半分泣き出しそうになりながらその体に顔を寄せた。
「催すまで時間かかりそうだから飲みたいな」「赤也ママのおっぱい」「おっぱい」

 おら乳首出せ、と服の裾をはぐると「そんな偉そうな赤ちゃんいねえよ」と言いながらも赤也は胸を張った。シーツの上をずりずり這い上がって、そこに吸いつく。白い肌に浮かんだ赤也の乳首は淡い。舌を這わせるとほんのりと塩の味がした。あえて音を立てて吸い上げる。「下品スよ」と頭を押さえつけてきた、その声は上ずっていて興奮を誘う。腿を擦り合わせると紙が擦れあってごわごわした。赤也のことを本物のママだと思うことにする。ぴんと張り詰めた胸の先は小さくて、どれだけ吸っても何も出てこない。
「おなかすいた、もっと」
 バカ声でねだったら、赤也は人差し指と親指を大きく開いて、私が吸っている側の胸をきゅっと絞った。少しだけ迫り出した小さな飾りに、先を尖らせた舌を絡ませる。赤也は上擦った声をあげた。
「エロい吸い方すんの、やめてもらえません?」耳たぶにかかった髪を梳いてくれる。「もうガチガチ、堪えらんないかも」
 低い声が降ってくるとダメになりそうだった。男と女に戻ってしまいそうになるのを必死に堪える。私は赤ちゃんで、赤也はママなのだと必死に言い聞かせる。でも実際赤ちゃんがママとどんな風に触れ合っているのか、自分が子供の頃どんなふうに慈しまれていたのかを、思い出すことは出来ない。
「どうしよう私本物の赤ちゃんになれないかも」
 バカな私が泣き言を言うと、バカのママは震える手を握り込んだ。
「じゃあこっちしゃぶって」
 張り詰めた場所に指を誘われる。これといってやることも思いつかないのでそれに乗った。
 次に会うとき、私がおむつを履いておしっこするところを見てほしい。
 初めてキスをした日以降、週に二、三度のペースで交わしている寝る前の通話の終わりがけ、私が放り投げたおねだりに、赤也は「まあいいけど」とあっさり乗った。そのくせドラッグストアでいつもの避妊具をカゴに収めた私が介護コーナーに足を向けると「げぇ、あれ夢じゃなかったんスか」って。夢だとしても、悪夢と呼称されるほど悪質ではないと思う。それこそ、何かの予行練習にはなるのかもしれないし。
 赤也のちんこは可愛い。赤くて、つるつるしてて、勃ってるときでも先っぽの表面は少し柔らかい。指で捏ねくり回したら「ヤダ」って頭を振るのに、口に含んだら、すごく嬉しそうにする。「あんた結構うまいね」
 私はすぐに調子に乗って「そこそこの人数相手にしてきたからね」なんて、言わなくてもいいことまで口にしてしまうから、いつも赤也を拗ねさせる。
 今日もそう。先走りをとろとろ零す赤也のを指で扱いて、先っぽを吸って、ママ、もっと、とおねだりをする合間におしっこの彼氏のおしっこの話をしてしまった。あれは臭くて、飲めたもんじゃないって言いかけて、飲尿を愛する人に配慮して、私にはまだ早かったって言葉を使ったけど、私が配慮するべき相手は、顔を合わせたこともない飲尿愛好家ではなく、今の恋人である赤也だった。
「普通そういう話します?」
 握り込んだものがしおしおと萎えていく。ごめんごめん、と謝りながら赤也はそっち側なんだな、と考えていた。なんというか、結構まとも。恋人の昔の相手の話を聞いて興奮する人間は珍しくないし、私だって赤也が許してくれるなら彼と元カノの行為をツマミに酒を飲みたい。
「前から思ってたけど、あんたってかなり無神経」
 萎えたあれが手のひらから引き抜かれる。上体を起こした赤也は、ベッドのふちに腰掛けて背中を丸めた。その背に張り付く。
「赤也」
「今日は無理。声聞くたびに、その口でよその男の尿飲んだんだって考えちゃうんで」
「飲んでないよ。口に含んで吐いただけ」
「あー……」って赤也は自分の頭を掻きむしった。「マジで話通じねえ、嫌いになりそう」
 その一言が胸に刺さった。首に腕を絡めて「嫌いになっちゃヤだよ、ママ」と縋り付く。
「この状況でよく続けられんね」
 本気で呆れているらしいのに、腕を振り解くでもない。ますます強く背中に寄りかかると「あったけえ」と呟く。あったけえのは私じゃなくて、赤也なのに。
「っ、あ」
 赤也が甘い声をあげた。私が耳たぶを舐めたから。舌先で可愛い形を辿る。耳殻に前歯を立てる。ちょっと痛いくらいが赤也にはちょうどいい。今やることじゃないっしょとかなんとか言いながらも、すぐに前を膨らませる。最中の諍いは、行為でしか解決出来ないから仕方がない。滑らかな頬に、首筋に、たくさんキスを落とす内に催した。
「おしっこ出るかも」
 背中に張り付いた姿勢で、前を扱いてやりながら言うと、赤也は「出せば」と面倒臭そうに言った。もう飽きてしまったらしい。堪え性のない若者だ。
「赤ちゃんだからねんねしてする」
 ちんこからパッと手を離して寝そべった。赤也はだるそうに近づいてきて、私の顔を見下ろす。おむつの方を見て、と言っても取り合ってくれない。
「出すときの顔が見たい」案外良い趣味をしている。
 普通は座ってするものだから上手く出来ないかも、なんて心配していたけどその瞬間は案外あっさり訪れた。マットレスに背を預けたまま、そこの力を抜く感覚は空恐ろしい。中に敷き込んだパットが濡れるのが気持ち悪い。一人でぶるぶる震えていると「イキ顔よりエロいかも」と笑われる。
「おねしょ癖がついたらどうしよ、ママ」
「そこに転がしてる残りのを、毎晩つけたらいいんじゃないスか」
 なるほど、それなら無駄がない。赤也は私が想像しているほどバカじゃないのかもしれない。安心したところで中の蒸れが気になってきた。腕を伸ばしてキスをねだる。唇が触れたら精一杯甘い声をあげる。
 お尻気持ち悪いよ、おむつ取ってママ。汚えからヤダ。赤ちゃんだから出来ないよ。これ以上続けたくないんですけど――本気で嫌そうな声をあげながらも、赤也は育児放棄しなかった。
 紙おむつのテープを外して、用意しておいたゴミ袋にそれを放る。ウェットティッシュでデリケートな場所を拭う。それも同じ場所に捨てる。全部を済ませてから、「もう彼氏に戻ってもいいスか」
 こんなに可愛いことを言う。赤也はやっぱり大当たりだ。

 臭ったら恥ずかしいからって、ゴミ袋を二重に重ねる私を見て赤也は呆れていた。殺人者が遺体をバラバラに解体するのは、正気にかえるための儀式だと語った本があったが、私にとって、おむつの処理はそれに似ていた。
 ぶらんと持ち上げたそれはずしりと重たかった……そう表現した方が文字の並びとしては綺麗だろうに、そいつは案外軽かった。口をしっかり縛ってひとまず部屋の隅に押し込む。そこまでしてようやく本当の意味で赤也の彼女に戻れる。
「おもらししたからお仕置きして」
 尻を高くかかげる。今どき体罰なんて流行んねえって、と言いながらも赤也は私の望みを叶えてくれた。皮膚の表面に走る痛み。初めは軽い、回を重ねるごとに強くなる。途中で四つん這いの腕を折りながら吐き出した「ねえ、なんでエッチのときに叩くのってお尻とか太腿ばっかなんだろ」って質問は無視された。痛みに反応して濡れた場所に、かちかちになったアレを押しつけられる。
「あ、あ……」
 喘ぎは思いがけず高く上がった。赤也のはいつもいいから仕方がない。
「きっつ」
 赤也は苦しげに喘ぎながら、またそこを叩く。同じ場所を何度も叩かれると、皮膚が腫れてくるのでかえって痛みが増す。それがすごくいい。酷くいい。痛みと快感、恥ずかしいと気持ちがいい、人を大切にすることと人から何かを奪うこと、それらの区別が私にはつかない。
 初めてキスをした夜にうちに連れ込んで、おしっこの彼氏が部屋に残してた避妊具を赤也に被せて繋がった。だからというわけでもないけど、赤也が腰を振るときの荒い呼気や触れた肌のぬくもり、先っぽの丸く太くなった感触は、顔の見えない姿勢で繋がってしまうとおしっこの彼氏とごっちゃになってしまう。気持ちがいいなら誰とシたって一緒だって、時々思う。
「あかや……ぁ、もっと叩いて」
「は、っ、こっちの手も痛いんですけど」
 文句を言いながらも赤也はまた打つ。そこに容赦はない。鋭い痛みは彼固有のもので、私はやっぱ赤也じゃないとダメだって思い出させてくれるから助かる。かちかちになったものが出入りする。狭い場所をかき分けて、赤い肉を押し潰して、喘いでも、叫んでも足りない。もっと、もっと。
「あんたのナカ……っ、叩いたら締まる、っ」
 シーツをかき混ぜながら「たぶん逆でも同じだよ」って赤也の言う通りに締め付けながら笑う。赤也は意味が分からなかったみたいだ。
「騎乗位でシながら私が赤也を引っ叩くの」
 想像しただけでも興奮して、中を抉るものを大きく感じた。
「俺のどこを」
「ほっぺかな、一番可愛いから」
 ドSじゃないスか、と満更でもなさげな声が、くぷっくぷっていうみっともない音に重なった。赤也と一緒ならどんな道でも外れてみたい。
 お尻に可愛い手形がついた頃、赤也は唐突に吐精した。かつて別の男のおしっこを含んだ私の口に指を突っ込んで、とろとろ掻き回しながら。繋がってた時間はそう長くなかったけど充分満足出来た。繋がりがほどける時に、避妊具の根元を抑えるのを怠って、シーツにこぼしてしまう。染み込んでしまう前に舌を這わせた。いつもと変わらない鈍い味がする。
「直ならともかく」と、赤也は引いていた。
 結局おねしょ癖はつかなくて、おむつは残ったまま。二十枚入りだったから、十九枚がクローゼットの奥にねじ込まれた。年末に赤也がワインを床にこぼした時に二枚使ったから、それ以降は十七枚。それでも充分場所をとるので時々捨ててしまいたくなる。
「これって子供にも使えるのかな」
 引越しの時に訊いたら「どんな巨大児っスか」って笑われた。
「じゃあ白髪になるまで一緒にいたい」
 普段は無神経で言葉を選ばないのに、それを言うときだけは声が震えた。あれからとても長い時間が過ぎたのに、赤也はいまだにあの時のことを蒸し返す。



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