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知らない顔、たくさんの愛1#2


委員会の仕事の残りを片付ける兵助は、混乱する頭を整理する意味で先ほどのことを思い出していた。
まず第一に、あの四年生は誰だったのか。
考えられる選択肢は二つしかない。
男物の着物を着た志乃か、彼と同室の名も知らぬ生徒の二択。
しかし恐らくあれは志乃だったのだろう。
彼の部屋を訪ねたときに見た彼と同室の生徒はどちらかといえば小柄だったのだから。
そして次に、彼は長屋の自室でくノたまと何をしているのか。
それは考えるまでもない、二人は今ごろまぐわいあっているのだ。

「……ふざけてるな」

兵助が一人で仕事を片付けていることを知らないわけでもないだろうに、そんなことはお構いなしに恋人と睦みあっている志乃のことを思うとなんとも表現し難い感情に襲われた。
苛立ちと、不快感と、焦燥感の入り交じった奇怪な感情だ。
残った仕事は僅かなのに、志乃のせいで波立った頭ではそれを進めることも困難だった。
志乃はくノたまにどんな表情を向けていたのだろうか。
兵助は知り得ないような優しい表情に違いない、そして愛に溢れた手つきで女の柔らかな肌に触れるのだ。
化粧をしていない男の顔を、着物を纏わぬ男の体を、あのくノたまには晒すのだ。
兵助は随分長い間志乃の男姿を見たことがなかった。
最後に彼が男物の着物を身にまとっているのを見たのは彼が二年生だったころのことだ。
あの頃の彼は今よりもうんと小さくて頼りなかった。
だからこそ今日見た志乃の背中が酷く大きかったように思える。
女物の着物を着ているときは頼りなく見えているのに不思議だった。
志乃の成長を唐突に思い知らされたようで息苦しい。
兵助は本当は自覚しているのだ。
生意気だ、いい加減だ、可愛くないだなどと憎まれ口をききながらも、自分が志乃にことさら強い愛情を注いでいることを。
だから彼がくノたまに自分の知らない姿を晒すのが面白くないのだと。

「何やってるんだ、俺」

本日二回目となるその言葉を吐き、ため息をついた兵助は再び筆を握り仕事の続きを始めた。
憂鬱な心は未だ晴れない。


*****


数時間後、四年長屋の志乃の部屋に出向いた兵助は、中に敷かれた布団の上で女物の着物を羽織ってあぐらをかいている志乃の髪が濡れていることに気が付くと、嫌味っぽい口調でこんなことを言った。

「こんな時間から湯あみか」
「戸も叩かずに人の部屋に押し入ってきて、いきなりどうしたんすか」
「どっ、」

どうしたもこうしたもあるか、そう言い放ちそうになって、寸でのところで留まる。
志乃は自分に恋人と逢引きしているところを見られていたとは知らないのだ。

「化粧をしていないんだな」
「あー……今日はこれから人に会う予定もないんで」

どこか気まずげな様子で呟いた志乃を見つめる。
久しぶりに晒された素顔は、よくよく見れば特別女らしい要素をもたない。
こざっぱりとしていて、いかにも女好きのしそうな男の顔だ。

「今ヶ瀬は化粧が上手いんだな」
「ああ、素顔は男でしょ」
「確かに、まるで別人だな」
「久々知さんは化粧した顔の方が好きなんですよね」
「は?」

唐突に決め付けられて思わず間抜けな声がこぼれた。
珍しく無表情の志乃がそんな兵助を見つめている。

「昔、初めて女装した姿を見せたときに言われました。
女の姿なら少しは可愛がれそうだと」
「そんなこと言ったか」
「はっきりと」
「覚えてないな」
「……女装していても辛辣な態度ばかりとられるわけだ」
「それはお前が生意気だから」
「はいはい」

かったるそうに呟いて、志乃は布団に体を倒した。
仰向けの体勢で兵助を見上げる。

「そんで、くくっさんは何の用があってここにきたんすか」
「たまには後輩と語らうのもいいと思ったんだ」

心にもないことを言えば不快げに眉をひそめられる。

「……気持ちわる」
「俺、先輩」
「俺、可愛い後輩」
「……そうだな、お前は可愛い奴だよ」

悪のりに更にのってやれば、再度気持ち悪いと言われた。

「そういえばお前、」
「なんすか?」
「女を抱いたことがあるか」

こんなこと、わざわざ尋ねる予定はなかった。
口が滑ったとしか言い様がない。
しかし一度言ってしまった手前退くことも出来ないので自分を見上げる志乃の瞳を見つめ返す。

「まあ……タカ丸さんは抱きまくりでしょうね」
「お前は、」
「滝夜叉丸、三木ヱ門、喜八郎はまだじゃないすか」
「だからお前はっ?」
「それを……それを知ってアンタはどうするんですか」
「どうもしねえよ」

出来るだけ感情を込めずにそう返すと、兵助を見上げる志乃の瞳がすっと細められた。
次の瞬間、

「アンタのそういうとこが嫌い」

吐き捨てるように言った志乃は、兵助からふいと顔を背けた。
それからぽつりぽつりと語りだす。

「俺は女が好きですよ。
女は俺の心を泡立てないし、なにより触れていると安心出来る」

志乃は自分の手のひらに爪を立てるように拳を握った。
よく見れば13歳の少年の者とは思えない程に筋張っている。

「その手で女に触れるとき、お前はどんな表情を見せるんだ」

背けられていた志乃の瞳が兵助の方を向いた。
だけどその瞳は落ち着きなく揺れている。

「アンタには教えない」

震える声でそう言って、教えられないんだと続ける。

「化粧という防御壁を持たない俺はアンタと対峙したときに自分を取り繕うことが出来ないんだ」

それがどういう意味なのかはあえて問わなかった。
彼の言葉の真意が知りたくなかったわけではなかったが、それと同時に知ってしまうことを恐ろしくも感じていたのだ。

「お前、今までどれだけの女を抱いたんだ?」

ああ……そんなこと知りたくはないのに。
片手で足りる人数だったとしても、この胸は痛みに疼くのだろうから。

「そんなの知らない」

数え切れない、と……唇の動きだけで紡ぐ。

「孕ませたらどうするつもりなんだ」

どうもしない、だとか、ほっとく、だとか……そんな言葉が返ってくるものだと予想していた。
久々知の知る志乃は責任感の乏しいいい加減な男だったから。
それなのに、

「忍者をやめる」

少しの迷いもなく彼は言い放った。

「は?」
「孕ませたら女を連れて家に帰る」
「農業なんてダサいから出来ないって言ってたお前が?」
「それでも嫁と子供がいたら忍者なんて危険な仕事にはつけないだろ」
「山田先生は戦忍だったんだぞ」
「他人のことなんて知らない、俺は嫌だ」

強い意志を宿した瞳が兵助に向けられていた。
その瞳が兵助を酷く居心地の悪い気分にさせる。

「久々知さん、俺はね、アンタに比べたら……いや、誰と比べても文句なしにいい加減な人間だよ。
だけど、孕ませて責任を取ろうとも思えないような女を抱ける程浮ついてないんだ」
「数えきれない程たくさんの女を抱いている男の台詞じゃないな」

皮肉を言えば苦笑された。

「確かに俺はたくさんの女を抱いて、その数だけ別れてきたけど、そこには確かに愛があったんだ。
二人の女と同時に付き合ったことも、自分から女に別れを告げたこともない」
「……お前はたくさんの女を愛してきたんだな」

いつの間にか皺のよった布団の上で、志乃はこくりと頷いた。
伸びた前髪が額を滑る。
兵助は前の動きを辿るようにして彼の額を指先でなぞった。
それから柔らかな頬を手のひらで撫でる。
彼はむず痒そうな表情を浮かべて、兵助を見上げている。

「最低だな」

呟いて、兵助は彼の唇に自分のそれを合わせる。
彼の身体が硬直するのが分かったが、そんなことはどうでもよかった。
ただただ、触れたかったのだ。
紅を塗っていない彼の薄い唇が欲しかった。

「……仕事、残ってるから行く」

唇を離した瞬間に嘘をついた。
仕事なんてとうの昔に終わっている。
気まずさと自己嫌悪を入り混じらせた身で、これ以上この場に居座りたくなかっただけなのだ。
長屋の部屋を出る寸前、呆然とした様子の彼が問うた。

「……俺が最低なの?」

違う、お前は何も悪くない。
そう思っているのに言葉が出ない。
何も言えないまま長屋を出て、自室への道を辿りながら空を眺める。
孕ませてしまったらどうするのかと彼に問うたとき、彼が自分の孕ませた女を放っておくような男だったらよいだなどと思ってしまった。
そんな浅ましい自分を、兵助は最低な人間だと称し失望したのだ。
ほの暗い空に、兵助をあざ笑うかのように鴉の鳴く声が反響していた。








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