短編 鬼 | ナノ

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さしてあげたい

お昼もすぎる頃になると、雨はとうとう本降りになっていて、ぱたぱたと音を弾かせながら庭の水溜りを弾いた。
今朝のアレ以来、不死川さんは苛立ちの発散の為なのか、屋敷の中で一際大きく作られた、恐らく鍛錬の為に造られているのであろう一室で無心に木刀をふるっている。
踏み込みの音だろうか。ダンッと地響きのような音が時折響き、件の縁側まで聞こえていた。

「凄いなぁ……」
「凄ぇよなぁ……」
「ゲンヤさんもしてたんです?」
「兄貴程じゃ、ない、です……ケド」

ぼぅ、としたときにつぶやく言葉はするっと出てくるものの、私との会話ではどうやら少しだけ緊張してしまうらしいゲンヤさんはたまに言葉に詰まる様子を見せる。
なんだかそれが、ゲンヤさんを少し可愛らしく見せているように思う。いわゆるギャップってやつなのだろう。
黙っていると、まぁ、それなりに、つまりは不死川さんに負けず劣らず怖い顔をしている、と思う。
怒っているだとかではなく、少しばかりいかついと言う話だ。

「……あの、ごめんなさい、いらない事をしたかもしれないです……」

真顔のゲンヤさんは、そういったところも相まって少し怒って見える、気がする。
それはそれとして、なんだか気まずさもあったものだから、何を言うよりもまず、私は謝罪していた。

「いえ!お願いしたのは、俺なんで……」

そう言ったきり、またあたりは雨の音だけが響く。
やっぱり、少し気まずい。

「……あ、」

きしっ、と床板が鳴いたから、思わずゲンヤさんの方を見ると、ゲンヤさんは私を通り越した向こうを見ていたから、私もそっちへと体を向けた。

「あにき……」
「…………」ムスッとした顔で不死川さんはいつもの柱にほど近い場所へと腰を下ろした。
けれどなにを言うこともない。
それでも、私はなんと無しには知っている。
雨の日には、不死川さんはここへは来なかったことの方が多かった。
理由はわからないけれど、単純に濡れるから、かも知れない。
それか雨に嫌な思い出でもあるのかも。
知りはしないけれど、とにかく不死川さんは雨が降ると、普段ここへは来なかった。
けれど今、ここに居る。
なぜか、だとか、どうしてかなんてわかりはしないけれど、不死川さんの手の中には皺を刻み込んだ手紙が握り込まれている。
読むのだろうか。
読んでくれるのだろうか。
思わず、ゲンヤさんと顔を見合わせる。

何も言わず、不死川さんは静かに手紙の表に書かれた文字を左手の指でなぞりあげた。そうして一際大切そうに柔らかな手付きで持ってして、その山と皺の刻み込まれた手紙を開いていく。
不死川さんのくりくりとした大きな目の中にぽつん、とある瞳が文字を追うために揺れている。それに合わせて長い睫毛も揺れる。
ゆっくりと伏せられて、また緩慢な動作でその大きな目を覗かせる。
時折、くしゃ、と音が響き、不死川さんの右手がその手紙に皺をつけた。
それでも、眼は動きを止めずに文字をなぞっていった。
そのうち不死川さんの肩が震えて「んはッ」と、小さく吹き出す。
たまに肩を揺らして、喉元でクツクツと笑う。
その音も、またやんでいく。
そうしてとても柔らかい顔を作ったと思うと、下唇をぎゅっと噛んだ。

全部を読み終えたらしい不死川さんは、静かに手紙をたたみ終えると、それを懐へとしまい込んで空を見上げた。
変わらず雨が降っている。
不死川さんは腕を組み、静かに腰を上げる。
まるで、大切なものを隠すようにも見えるその動きを、茶化す真似などできるはずも無く、それを見ているであろうゲンヤさんを見ることすら、私にはできなかった。

不死川さんの吐いた息はひどく重苦しいものだったのかも知れない。
私にはわからない。
これからもわかることなんて無いんだろう。
きっとそれで良いんじゃないか、と思う。

空気がじと、と湿っている。
空が、どんよりと曇っている。
ぽつぽつ、ぱつぱつと降りしきる雨が、不死川さんに染み通っていく。
傘をさしてあげなきゃ。
不死川さんに傘を、さしてあげなきゃ。
不死川さんに傘を、さしてあげたい。
そう思ったから、庭へとゆっくりと足を進める不死川さんを背に、慌てて傘を取りに表へと向かった。
私が不死川さんに傘を差す頃には、すでにその肩も髪も、ぐっしょりと濡れそぼっていた。
暗い影を落とす傘の下。静かに傘の持ち手へと視線を向けた不死川さんの頬を、雫が通っていく。
通り道をつけたそれは、次から次へと流れていった。
もしかすると、とっくにそこを幾度も流れていた後なのかもしれない。
泣いてる、の、かも知れない。
そう思ったら、私は傘を思わずおろしていた。
もう濡れているから、きっと、そのままで良い。
そのままにしておいたほうが、きっと良い。
なんとなく、そんなふうに思ったから、そのまま不死川さんに背中を向けた。
なんとなく。
なんとなく、だ。
雨脚が弱まってきたのが音でわかった。
それから視線を落として地面を見たら、私の足が透けている。

「……え、透けて……」
「名前さん……ッ!!」

走ってきたゲンヤさんが、私の手を掴む。
その弾みで傘が落ちる。
違う。
多分その前に、落ちていた。
ゲンヤさんが、私に触れる事ができている。
なんとなくわかってしまった。
このままだと私はきっと、本当に戻れなくなる。
本当に、死んでしまう。
ゲンヤさんの顔を見ると、目元こそ潤んでいるものの、私の心境と同じように緊迫した表情がそこにはある。

私は無我夢中でゲンヤさんを頼りに庭を走り抜け、青空を映す水溜りを踏み走る。
もう、水しぶきも上がらなかった。

最後に一度。
一度だけ振り返ると、これでもか、と目を見開いた不死川さんがそこにいた。
目元を真っ赤に染め上げた、それでもどこかスッキリとした表情に見える不死川さんに「ありがとう!」って、それだけ言ってからまたゲンヤさんの背を追う。
門前まで行くと、そこには「行け」とでも言うように体をこっちに向けたゲンヤさんがいて、私は一つ頷いてからほんの少しの隙間の開いたそこに手を伸ばす。
通り抜けたところから、体は消える。
消えるのではないのかも知れない。
消える、のでは無く、戻って居るのかも。
きっと、きっと戻るんじゃないだろうか。
なんとなく。
本当になんとなくだけどそう思った。

「……ゲンヤさん、あの、ありがとう!!」

振り向いてからそう一言だけ言うと、眉を目一杯下げたゲンヤさんがそこにいた。

「こ、ちらこそ……」

けれど、彼の体も透けている。
きっと、きっとこれで終わるんだ。
私も、ゲンヤさんも。
これで終わりなんだ。
ここで、不死川さんと、ゲンヤさんと過ごした日々はまた、唐突に終わりを迎えるんだ。

「あの、……良かったね!」

さっきの不死川さんを見たら、私はもうそれしか言えない。
きっと、ゲンヤさんの気持ちはしっかりと伝わった。
そうだと良い。
そうだと、嬉しい。

「……おう」

ニッ、と歯を見せて笑った顔は凄く愛嬌に溢れた優しいもので、実弘君を思い出す。
紛れもなく、ゲンヤさんは実弘君の血縁者だ、とやっぱり思う。
私よりもずっとずっと薄く透けて、もうほとんど消えかかってしまっているゲンヤさんに、私はどこか叫ぶみたいにして、声を張り上げた。

「あの、!……あの!!不死川さん、ちゃんとこれから幸せになるんだよ!」喉が痛くて、少し震えている。
「……は?」きょとん、とした顔のゲンヤさんの姿が大きく傾いで歪む。
「不死川さんは、これから結婚して、自分の子供抱っこするから!!!幸せに、絶対になってるから!!」こんな事を私から言われても、困惑しか無いんだろう、なんてことはわかっている。
でも、もう最後だ。
そう思ったら、伝えずには居られなかった。
私は、ゲンヤさんにも、不死川さんにも、実弘君にも幸せでいてもらいたい。
幸せになってもらいたい。
いつからか、そう、どこかでずっと願っていた。
不死川さんの危うさを見てきた。
それを見守るゲンヤさんの、寂し気な顔を見てきた。
でも、私にはなにもできることが無くて、言える言葉なんて一つとしてなくて、伝えられる事なんて殆どなかった。
でも、今なら、今なら少しだけでも伝えられる事はあるから、時間の許す限りは伝えられることを伝えたい。
そう思っていた。思うよりも早くに口をついて言葉が出ていた。

「そうか」って、「なら安心だなぁ」って、もう殆ど見えなくなっていたゲンヤさんは、それでも笑って「名前さんも、幸せにやっていってくれ」って、そんな事を言いながら、キラキラとした光の中へと包まれていった。

それを見届けるように、「はい」って、私もぐしゃぐしゃの顔でちょっとだけ笑う。
そうして、一歩、また一歩。私は門の外へと踏み出した。
「オイ!」って、不死川さんの声に振り向いて、その顔を見たかったけれど、振り返った先にはもう、真っ白な世界しかなかった。
何も見えなかった。
きっとここへはもう戻ることは無いんだろう。
なんとなくだけど、そう思った。

それでも、十分だと思う。
不死川さんは笑っていた。
それからゲンヤさんも笑っていて、不死川さんはきちんとゲンヤさんの気持ちも知ったのだから、もう、それで十分だったんだと思う。
それを見届けることが出来たのが、なんだかとても嬉しかった。
傘を差してあげたい、なんてもう思わないと思う。
もう、雨の中に佇む不死川さんの姿は寂し気なものではきっと無いのだろう。なんて、思えたから。
もう、一人あの縁側に寂し気に座る背中は無くなるんじゃないかな、とどこかで思っているから。


真っ白な上も下もわからないそこを、ただただ真っ直ぐに歩いていく。
先もわからない。
前も後ろもわからない。
凄く、怖いけれど「名前、名前……!」と、私を呼ぶ実弘君の声が聞こえる。
そっちへと足を進めることに、全くの抵抗もない。
このまま帰ることができればいいな。なんて、楽観的に考えられるくらいには、どこか心が晴れていた。


□□□□□

「名前……起きろッ……。はやく、起きやがれェ……」

ぎゅうぎゅうと、痛いくらいに握られた左手を、少しだけ握りしめたら、視界いっぱいに映る真っ白な服の更に向こう。視界の端の方で真っ白な塊が動いた。
あ、きっと実弘君だ。
そう思ったら、凄くホッとして喉がズキズキと痛んできて、そのうち心臓に骨でも刺さったみたいに苦しくなった。

「……クソ!」

目を、目一杯見開いた実弘君は、私の目の前の人たちを押しのけるみたいにやってきた。
実弘君は、また私の顔を見て、それから痛いくらいに私をぎゅうぎゅうと抱きしめてくれた。
実弘君の向こう側から、たくさんの声がして、聞き慣れない専門用語だとか真っ白な天井に気が付いて、はじめてここが病院であったことを知った。


あの日私は原因不明の症状で突然倒れ、そのまま今まで意識を失っていたという。
救急車で搬送された先で、実弘君は酷く取り乱してしまったらしく、後から担当医には「素敵な婚約者さんですね」なんて言われたものだから、思わず小さく頷いた。
丸二日眠っていた私は、そのまま息を引き取りかけていたらしかった。
そりゃあ、あんなふうになるよね。
なんて、実弘君の取り乱し方に納得してしまった。
ずっと私の父と母、それから実弘君のお母様と実弘君が交代で私を見ていてくれたらしい。
後できちんと謝ろう。
と、思った。
「検査は異常なし。あと一日だけ、様子を見るために入院してください」と担当医に言われて、それを駆けつけて来てから聞いた父と母は胸を撫で下ろしていて、心配をかけてしまったなぁ。なんて、ひどく申し訳なく思った。
思っていたら、そのまま病室で実弘君が

「今言うことじゃないと言う事も、礼儀がなっていない事も承知の上で言わせてください」

って、大きく頭を下げて

「名前さんと、結婚させてください」

なんて言うから、それはそれで少しだけ騒がしくなった事も、ここで謝っておこうと思う。

半同棲、みたいになっていた実弘君のマンションに本格的に住むことになった頃には「会わせたい奴がいる」って実弘君に言われて、そこで紹介されて会った、実弘君の後輩・・だと言うゲンヤさんは、それこそもうあのゲンヤさんそっくりだったから、本当に、本当にこっそりと(不死川さんに本当に子孫がいるか、確認しに来たのだろうか)なんて失礼な事を考えてしまった事は胸にしまっておく事にする。

とにかく、私は確かにここへ帰ってきた。

「二日……」

たったの二日間にあった事だ、とは俄に信じられることでもなかった。
だから時折、あれは夢だったんじゃないかな。
なんて思うこともあるんだけど、それならそれで良いのかもしれない。



「行ってらっしゃい!」なんて実弘君を見送ってすぐ。
ベランダへと出たところで、頬に冷たいものがぽつんと落ちた。
ぽつぽつ、ぱつぱつと雨が降ってくる。
私は傘を持って玄関を飛び出した。

「実弘くん!雨!!」
「悪ィ!降ってきちまったなァ」
「はい、傘!」
「サンキュなァ」
「……うん!」

ぽつぽつ、ぱつぱつ
雨が降っている。


あなたに傘を、

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