短編集
傘を、
それでも、結局私が不死川さんに出来る直接のアプローチなんて限られている。
更に言うと、私が何か言った、書いたところで「なんだコイツ」だと思う。
どうすればいいんだろう。
そんなことを考えていたら、ちょうど不死川さんが帰って来たらしい。
そうだ。
そうだそうだ。そういえば、どこかに行っていたのだ。
いろいろあったことで、すっかり忘れそうになっていた。
不死川さんが立てる生活音を聞きながら、私と同じように家の奥の方を首を伸ばすようにして見るゲンヤさんに向き直る。
「そういえば、私の事って、ずっと見えてたんですか」
私の方を向いてからしばらく考えるそぶりを見せたゲンヤさんは、親指と人差し指で小さな隙間を作って私に見せた。
「……ちょっと、じゃないんですね。……薄っすら?じゃない。んー?一部分だけ?……ではなく。……んー、あ、はい、はい。うんうん、なるほど。最近、ってことです?」
こくこくと頷くゲンヤさんに、私も同じように頷いた。
「じゃあ、最初は湯呑が浮いてるように見えていた、とかです?……ふふ、やっぱり」
私の言葉に、眉を下げて笑いながら頷くゲンヤさんは、その強面に似合わず、とても素直でかわいらしい。と思う。
「不死川さん、どうしたら読んでくれるんだろう」
顎の下に手を当てながら首を捻るゲンヤさんを視界に収めながら、私も頭を捻ってみる。
捻りはするけれど、それで浮かぶことは、やはりあまり多くも無い。
「あ、……ご飯作り始めた。……行きます?」
軽く頷いたゲンヤさんと台所へと向かい、私たちに背を向けて一人釜戸の前に立ちながら鍋をかき混ぜる不死川さんを見た。
「……居んならそう合図しろォ」
不死川さんの声に私は肩を震わせ、思わずゲンヤさんと顔を見合わせる。
大きく目を見開いたゲンヤさんは静かに不死川さんの方へと向かい、下から顔を覗き込む。
笑ってしまいそうだから、やめてほしい。
そのうち、ヤンキーのようにしゃがみ込んでメンチを切る、みたいに不死川さんを伺い見る。
不死川さんは静かに米を研いでたり、鍋をかき混ぜたり、お漬物を刻んだり。
その様子を、一々ゲンヤさんは覗き込み、上から見下ろし、正面から見据える。
もはやただのギャグでしかない。
きっと、ゲンヤさんは私を笑わすためにしてる。
じゃなければ不死川さんへの嫌がらせだ。
いや、見えてもいないのだから、嫌がらせかどうかもわからないのだけれど。
もう、体がプルプルと震えていた。
□□□■■
いつものように縁側で湯呑を傾けて、不死川さんが眠るのを待つ。
ただでさえ、彼は睡眠時間が短い。
なんなら、眠っていないこともある。
魘されて、すぐに起きてしまうこともある。
チャンスは少ない。
不死川さんが眠ったことを、確認してから私とゲンヤさんは頷き合い、不死川さんの懐から例の手紙を取り出す。
幸い、不死川さんに私が触れることは出来ないから、ちょうど服の上からでも手紙だけに触れることができた。
嬉しいような、悲しいような。
なんとも言えない気持ちが漂うけれど、一度それは置いておくことにする。
取り出した手紙をゲンヤさんに見せ、とにかく、私はそれを不死川さんの手の上に置いてみたり、脚の間に挟んでみたりと、手を変え品を変え手紙の存在を主張した。
そうこうして、もう十日ほど。
それくらいは経っただろうか、という頃合いだった。
うたた寝から意識を浮上させる不死川さんは、長い睫毛を夕暮れの色に染め上げて、ゆるゆると、その長い睫毛を揺らしながら持ち上げていく。
手の上に置かれた手紙にぎゅ、と眉を顰めると「チッ」と鋭く舌を打つ。
不死川さんの悪態は、何も今始まったことでは無い。
今に始まったことでは無かったが、そのまま手紙をグシャッと音がするほどに握りしめ、立ち上がり、大きな怒号を響かせた。
「言いたい事があるなら言いやがれェ!!!」
あまりの剣幕に、私は目を白黒させた。
こんな事は、初めてだったからだ。
思わず、ゲンヤさんの方を向くと、首を横に振り、彼は静かに不死川さんのその姿を見据えた。
「コソッコソ隠れやがってェ!!!」
不死川さんの振り上げた腕は、大きな音を立てて柱へとぶつかった。
「舐めてんのかァ!?アァ゛?!!」
ビリビリした。
もう、その怒号がとても怖かった。
ぶちまけて言ってしまうと、ちびったかもしれない。
生身なら出ていたと思う。
それくらいに怖かった。
すぐそばで、ゲンヤさんがわたわたと手を振り、私の様子を伺い見ている。
「だ、大丈夫か??」そう聞こえたゲンヤさんの声に
「……大丈夫……」そう素早く答えた。
答えながら、暫く私は放心したみたいに立ち尽くしていた。
立ち尽くして、暫くしてからゲンヤさんの顔を見た。
多分、だけれど私の目はこれでもかと見開かれていることだろう。
少なくとも、ゲンヤさんはそうだった。
「「……ん????」」
「………は?!」
「え?!」
ゲンヤさんに手を伸ばしてみる。
ゲンヤさんのどこか緊張した表情に、私の表情も強張っていく。
そのうち私の手はゲンヤさんの腕に届く。
けれど、触れなかった。
手はスッとゲンヤさんを通り抜けて、空気を触るような感覚に陥る。
やっぱり、触れることは出来ない。
でも確実に不死川さんの声とは全く違う音がしていた。
ゲンヤさんの声が、聞こえていた。
「……」
「さわれない、ですね」
「……うん」
どこか残念そうに見えるのは、私の気の所為なのだろうか。
でも、私はどこかホッとしていた。
ゲンヤさんを触ることが出来ない、と言うことは、どこか私とは違う存在だと言うことなのではないだろうか。
そう思うことができたからだ。
つまり、私はもしかすると、"死んではいない"のでは無いだろうか、なんて。
ゲンヤさんにも、不死川さんにも、絶対に言えない事だ。
こう考えるのも、違うのかもしれない。
けれど、私はどこかでホッとしていた。
「なにか伝えたい事とか!言いたい事ある??書いてほしい事でも、大丈夫ですよ!!」
「……」
私の言葉に、たっぷりと考えたのだろうか。
息を吸ったゲンヤさんは、静かに不死川さんの去っていった方を見て笑った。
「言いたいことは、もう全部言った。それに、……兄ちゃんに向けて、全部、書いたから。」
ずっとずっと、優しい目だった。
その表情は、たまに実弘くんがしている、と思う。
少しクサいけれど、愛しい、だとか、慈しみ、とでも言うのだろうか。
実弘くんがそう思ってくれている、と言うことではなくて。
そう、思いたくなるくらいに優しい目なのだ。
ほら、やっぱり、読まなきゃだめだよ。
絶対に、読まなきゃだめだ。
不死川さん。
イラついてしまったのだろう。
私が何もアクションを起こさない事にも、舌を打ってどこかに行ってしまった不死川さんに、私は手紙を認めることにした。
小手先で何かをしようと言うのが、そもそもの間違いだった。
多分、すごく失礼な事だった。
多分違う。
こうじゃ無い。
私は彼の触れてほしくない事に、触れるのだから。
彼の触れてほしくない事を今、踏み荒らしているのだから、もっとしっかり考えなくてはならなかったのだ。
日が傾いて、そのうち暗くなってくる。
けれど、私は縁側の板の木目と格闘しながら、文を認めた。
初めまして、だとか、拝啓、だとか。
きちんと書き方なんて覚えてもいないし、スマホも持っていないから、書けるだけ。
自分の言葉で、伝えるべきことを、伝えられるだけ。
伝えたいと、思う。伝えなければならないと思う。拙い言葉があふれるかもしれない。でも、自分の言葉で、きちんと伝えたい。
どこまでうまく伝えられるのか、なんてわからないけれど。
本当はここに初めて来て、私はとても心細かったこと。
不死川さんに話しかけてもらえて、とても気がまぎれた事。
不気味な人間だと思うでしょうに、置いてくれて、世話まで焼いてくれたことが、とても嬉しかった、という事。
ご飯を出してくれた事が、とても嬉しかった、という事。
ゲンヤさんじゃないことを、黙っていたこと。
そこに引け目を感じていた事。
申し訳ない、と思っていること。
騙したかったわけじゃない。
不死川さんが悲しむのではないだろうか。そう思うと、言い出せなくなっていったこと。
ごめんなさい、とずっと言いたかった事。
不死川さんにとても救われていた事。
思っていることを全部書いていく。
ひどく恥ずかしい。
拙い手紙であることも、思っていることを赤裸々に書く、だなんてそうそうする事ではない。
いっそ、顔から火が吹き出しそうだ。
それでも、私は伝えたいことを綴っていく。
不死川さんが手紙を開いたまま眠ってしまった日に、手紙を読んでしまった事。
勝手に読んで、申し訳なく思っている事。
そんな私が言うことではない。
それは重々にわかっている。
遺書、などと書いてあるのだから、向き合うまでに時を要するものかもしれない。
けれど、その手紙を読んで欲しい。
きっと、読んで欲しい。
差し出がましいと思う。
鬱陶しいと思う。
申し訳ない。けれど、どうか読んで欲しい。
そうしたら、私は出て行こうと思う。と言う事。
それから最後に、「お世話になりました」と。
そこまで書いてから、鉛筆を置く。
ゲンヤさんのことは書かなかった。
やっぱり私なら、成仏していない、と思うときっとショックだと思うからだ。そんな事は、きっと知らなくても良いのではないだろうか。
なんて。
それから、私はどうしても名乗ることは出来なかった。
この世界に、私の名前を残すということが、どうしても、出来なかった。
怖かったのだ。
どうしても、ダメだった。
自分の都合ばかりなことも、都合の良い言い分ばかりだということも分かっている。
でも、どうしても、伝えたかった。
やっぱり、絶対に、不死川さんはこの手紙を、読まなくちゃいけない。そう思う。
私は、もしかせずとも、このためにここにいるのでは無いだろうか。
なんて。
そう思ってしまいたくなるほどだった。
ゲンヤさんと縁側で待つけれど、その日、その夜。もうそこに不死川さんが来ることは無かった。
□□□□■
朝にはひどい雨が降っていた。
地面には水溜りができ、暗い空の灰色を写している。
縁側で濡れることもない足をブラブラと揺らしながら、不死川さんが腰をおろせるだけの距離を離して座るゲンヤさんを見た。
「来なかったですね」
「……」
ぎこち無く頷くゲンヤさんに視線を向けていると、静かに頭を下げられる。私は下げられる覚えなど、ちっとも無かったものだから、思わず首を横にブンブンと振れるだけ振っていた。
「……すみません」
「いや!いやいやいや!やめてください!」
「……巻き込んでしまって、」
申し訳無さそうに項垂れるゲンヤさんを見る。
「……いや、寧ろ私の方が……お兄さんを怒らせてしまって……」
「短気なとこが、あるから」
「いやいや!私のやり方が確実に不味かったんです!中途半端な事をせずに、ちゃんと向き合ってもらわなきゃ行けなかったんですよ。多分」
ゲンヤさんは、やっぱり申し訳ない、と書いて有あるのと変わらない表情を作って、それからすぐに背筋をピンと伸ばした。
思わず私も同じように背筋を伸ばそうとしたところで、手の中からサッと、昨夜認めた手紙が抜き取られた。
弾かれたように顔をあげると、そこにはやはり、とでも言おうか。
不死川さんが居る。
何度か不死川さんの睫毛が揺れて、それから眉間の皺が深く深く刻まれていく。
「だから何だァ。俺が読もうが読むまいが、お前にゃ関係ねェだろうが」
そう唸り声を上げた不死川さんの手の中で、私の書いた手紙はグシャっと大袈裟に音を立てた。