小説 | ナノ


「ねぇ、獪岳。私が死んだら、骨を、家に持ってってくれる?それか、食べてよ。」

にこやかに笑う女に、獪岳と呼ばれた男は複雑な心境であった。

複雑、と言うには単純で、明快と言うには煩雑である。

彼女は強い。
自分が逃げる時間程度なら、稼げるのかもしれない。

けれど、きっと、否。確実にここで死んでしまうだろう。

けれど彼女はそれすらも望んでいる。

なら良いではないか。
自分は生きたい。

できれば鬼になぞなりたくはない。

だが、彼女はどうだろうか。

あの鬼は、自分に鬼にならぬかと問うた。
彼女も聞かれるのだろうか。
彼女はなんと答えるのか。

彼女となら、鬼になるのも、悪くはないのかも知れない。
どこかでぼぅ、とそんな事を考えている。

「獪岳!」

骨を、拾ってね。

こちらを見ずに、背中に担いだ大きなマサカリ(といっても姿形は斧である)を、彼女は何時ものように、振りかざした。

それを合図に、獪岳は鬼から背を向けて走った。

ただただ遠くに。

呼吸をも駆使し、それこそ全力で。

少しでも、ほんの少しでも離れるように。

なんとか、彼女を助けられるように。
否、自分が助かるように。

否、
否。

途中で烏を飛ばした。
『上弦ノ壱ト戦闘中救援モトム』

柱は、甲の隊士は、近くに居ないか
助けてくれる者は居ないのか。

獪岳は走っていた。

涙が目に溜まるよりも、ずっと早くに走った。







日が登り、男は戻ってきた。
かつて男があの鬼と、上弦の鬼と対峙した場所に、
彼女の使っていた長ドスと、マサカリ。
マサカリは柄が中程からスッパリと切れ、歯の部分はとてつもなく固いものに当たったことを匂わせるように、あちらこちらがこぼれている。
長ドスも、中程からポキリと折れ、更には刃だけになった部分を握りしめたのか、血痕。

彼女は、刃を握って振るった際に落ちたのであろう指の2本だけを残して、この世から消え去っていた。



「骨って、これだけかよ。」


落ちた言葉が酷く震えている。
自分のものでは無いような音に、男は酷く不快感を覚えた。
喉が突っ張って、上手く息ができない。

はくはくと、口を震わせながら、泣いた。

慟哭。

そう呼ぶのに、相応しいだろう。



烏が同じように、哀しさを分かちたがるように、カァカァ、カァカァ。
男は程なくして、指だけ持って立ち去った。

彼女はついぞ、自分の中に、消えないものだけ残して去っていったのだと。
手のひらの中身が、握りしめる度に訴えていた。

自分が見殺しにしたのだ。








_____________________


女と呼べる姿形をしてはいるが、
その実、女は酷く幼かった。
見た目の話ではない。
話によると、彼女は鬼狩りの育手と出会うまで、『教育』というものをされてこなかったそうだ。

彼女はそれは立派な家の出で、
上には3人の兄がいた。
跡取りやらなんやらのために、両親も乳母も、3人をそれはもう立派に育て上げた。
女(その時はもちろん少女であった)は、言葉を覚え始めたのは7つになる頃だった。
誰も進んで話しかけないのであるから、当然とも言えるのかも知れないが、
彼女の兄たちはそれが都合が良かった。
彼女に愚痴を溢そうとも、汚い言葉で罵ろうとも、ニコリと笑って、貝のように静かであるのだ。

何度も何度も口汚い言葉を耳にしていた彼女は、初めて口にしたのは
「カス」
だった。

「カス。ごはん。はやく。」

それを耳に入れた乳母は、それはもう激怒した。

あまりの激しさに、兄3人は暫く名前に近寄らなかったと言う。


けれど、名前は恐ろしいと思うことが出来なかった。
彼女は所謂、情緒が育っていない。
何が善いことで悪いことか。
それもまだわからない。
何より、善悪をすら理解していない。

「???カス。うるさい。」

大きな声に、耳を塞いだ。
彼女は人を呼ぶときの二人称をカス、だと理解していたようである。


真っ赤になった乳母は、丸一日、食事を与えなかった。

名前は、理解した。

しゃべったら、ごはんをもらえない。
しゃべるのは、わるいこと。
カスは、わるいことば。

10になる頃には、それはもう立派な貝ができてしまった。
以前にも増して、彼女は語らず、笑わない。
怒らず、話さない。

そんな名前に転機が訪れたのは、
11の頃である。

父や兄を真似て、剣術の真似事をしていた彼女は、兄の木刀を折ってしまった。

戦慄。

また酷く折檻される。

彼女は己に奮われる拳が酷く不愉快だったので、
逃げることにした。

唯一与えられていた兄のお下がりの絵本に、ありったけの生米を詰めた風呂敷を握りしめ、屋敷の裏手の山へと駆け込んだ。

退屈を持て余していた名前は、よく山へと上っていたものだから
いつものように山へと足を向けたのだ。
まるで自分の庭のようだったその山は、夕時になると、いつもと違う姿に形を変える。
酷く不快だったが、兄に捕まるよりは幾分かマシだと足りない頭で思考。


パタパタと、足が切れるのも構わずに逃げ込んだ山には、色んな動物がいた。

絵本、もとい、幼年の友 に描いてある動物たちだ。
名前なぞ知らない。
特徴は理解できるが、言葉には出来ない。
けれど、なんだか絵本の世界に飛び込んだようで、彼女はとても楽しくなるのだった。

適当な木に登り、そこで眠り、生米を食んでは川の水を飲む。

米が無くなると、あちこち歩き回って何でも食べた。
本当に、葉から虫、動物まで、何でも。

暫く続けていたが、
ある日
それはいた。
真っ黒な詰襟に、激しく揺らめく焔の羽織。
手には、銀が光る刀。

気がつかなかったが、木の真下に居た何かを切っていた。

コロン、と何かから何かが落ち、
チリとなり消える。



「レンゴク」

と名乗ったその男は、着いてこいと、手をひいた。

何かの花を掲げた門戸の建物に連れ込まれ、湯浴みをさせられ、食べ物を与えられた。


ではな、と
去っていこうとするレンゴクの手を名前は掴んだ。

彼女はキラキラと目を輝かせ、幼年の友をレンゴクに向けた。



煉獄槇寿郎
その男は困っていた。

少女がキラキラとした目で、こちらを見上げてくる。
一言も話すことなく、後生大事に取っておいたとでもいうような、くたびれた幼年向けの冊子をずいずいと押し付けられている。




一先ず、と連れてきた藤の家紋の家で湯を浴びせて貰ったその子供は女子で、酷く痩せ、あちらこちらと傷があったそうだ。

飯を出すと、それはそれは美しい所作で食べた。
その懸隔に槇寿郎は眩暈がした。

彼女は恐らく、良家の出であることは確かなようだった。
何を聞いても首を傾げる。
耳は聞こえているようなのに、話さない。

藤の家の者に、彼女の引き取り先を打診し、彼女の様子をちら、とみる。
食べ終えたのか、手を合わせ、
ごちそうさまでございます。
と、口からこぼれたかと思えば、地に頭を擦り付けて、
ありがとうございました。
と。

扉越しにこちらを見ていた藤の家の者と、
扉の前に立ち、藤の家の者と話しながら少女の背中を見ていた槇寿郎の口は閉じられる事を忘れ去られていた。

少女は膳を持ち、とてとてとやってくる。
どこに運ぶのか教えろ、と
目が訴えている。

槇寿郎は膳を藤の家の者に押し付け、
少女の手を引き、向かいあって腰を下ろした。

「もう一度、自己紹介をしよう。俺は、煉獄槇寿郎という」

自分を指差しながら言い、
彼女に指を指す。

「君は?」

理解したのか、少女はにこりとほほえんだ。

「グズ!」

槇寿郎はまた、眩暈を覚えた。

良家の出であることは一目瞭然な所作で、録な言葉も知らぬ、名前も名乗れぬ、
初めて飛び出た言葉は汚い、低劣な言葉。

頭が痛くなった槇寿郎は「ひとまず寝ろ」、と布団をしき、彼女をそこに乗せて部屋を出ようとしたのだった。

そこに押し付けられた、幼年の友。
いつか息子の杏寿郎に読んだろうか。
というそれは、彼女が読んでもらうには、もう物足りないであろうはずのもの。
けれど、丁度よいのだろう。

所々擦りきれたそれを、
槇寿郎はグッと握りしめ、彼女の布団へと共に入り込んで読んでやった。

途中途中で、ニコニコ、コロコロと笑う少女に胸が痛んだ。

これは?
これは?
と、
指を指して、首を傾げる。

「キツネ、カメ、タヌキだ」

そんな彼女に、槇寿郎は絆されていて


彼女を抱えて、自分の家の敷居を跨いだのであった。


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