小説 | ナノ

風柱邸の庭では、昼を過ぎれば子供の声が響き始める。
いつの間にやら実弥さんに懐いた子どもたちが、「来たぜー!」なんて言いながらやってくるためだ。

はじめこそ、帰ってすぐに子供らの存在を認めた実弥さんは顔を顰め、「なァに本当に来てんだァ」なんて子どもたちへと言っておられたが、今に至っては、「冷やし寒天に何かけてやったら美味ぇ? やっぱり黒蜜かァ?」だのと私に言いながら、子供らが遊びに来る時に出してやる、お八つなんぞを気にし始める始末であった。



「帰ったァ」
「おかえりなさい!」

実弥さんの声に振り向くと、手には丸々と太った西瓜が抱えられている。

私はまろい西瓜の表面を撫で、抱えながら「これは?」と尋ねると、実弥さんはほんの少し口角を持ち上げて笑った。

「コウサクの親父が持ってけって言うから、貰って来たァ」
「凄いですねぇ、……皆に出してもいいですか?」
「二人じゃ食えねェ量だからなァ」

実弥さんは「仕方がねェ」みたいな口ぶりをするが、その実、優しい顔で西瓜を撫でるのだから、わからないものだ。
きっとそのつもりで持って帰ってきているのだろう。

「なら、切って出しますねぇ」
「そうしてやってくれぇ」
「はい」

庭の方から「帰った?」「声がする!」「帰ってんだろ?」だのと、実弥さんを待ちわびる声が響いていた。

「探されてますよぅ」
「……だなァ」
「お疲れだと、言っておきましょうか?」
「別に疲れてる訳じゃねぇよ」
「そうですか?」

いつかは、あんまりにも鋭かったものだから、恐ろしくすら感じていた実弥さんの目が、今や長いまつ毛を一つ仰ぎ、優しい弧を描いている。
それが、私をじ、と見てから庭へ向かうためであろう。
草履をサッサと脱ぎ始めた。

「悪ィが、西瓜、頼まァ」

そう言って、野良着のまま、のっしのっしと部屋を突っ切り、庭へ向かう実弥さんの後ろ姿は、いつもの通り。ずっとずっと優しいものであった。



西瓜を縦横半分に切り、ざくざくと適当な数に分けていく。
ざるの上へと乗せ、子供たちの声の響く中庭へと運びやった。

丁度、外廊下の手前まで来たあたりで、中庭の側で子供たちの相手をしていたはずの実弥さんの視線が、じ、と私を見ていることに気が付いた。

「な、なんですか?」

何か不都合があったろうか。と、ざるを持ったままに体のあちらこちらを見てみるが、別段変わった風はない。
強いて言うのであれば、右腕の襷掛けが甘く、袖が降りかかっているという具合のもののみである。

そんな私を見てから、首を左右へとゆるく振った実弥さんは、「いんやァ」とだけ。

「おら、西瓜持ってきてくれたぞォ」

だのと、一緒に庭で戯れていたタケちゃんたちのお尻をはたき、クイっと顎で私の方を指し示す。

「西瓜?!」
「わーい! 名前ちゃんありがとーぅ!」
「きっと今年はもう終わりだから、いっぱい食べましょうねぇ!」
「うん!」

思い思いに感嘆の声を上げながら走り寄ってきた子供たちを、実弥さんはそれとなく制しながら、私の手からざるを取り上げてはとっとと西瓜を配っていく。

「悪ィ、皿を一枚、くれるかィ」
「はぁい」

実弥さんの指示通り、お皿を一枚渡せば、実弥さんはそれを自分の左側へと寄せ、一切れだけ、乗せ避けた。

「なに? それ、後で食うの?」

タケちゃんの声に実弥さんは喉を小さく鳴らして笑い、「やらねぇぞォ」と言ってのける。

そろそろ季節も終わろうとしているが、西瓜だけは、いつもこうして、一切れ。実弥さんは必ず避ける。
それから夜には縁側へと持ち歩き、時にはお酒を傾けながら。
時には、ご飯が残ってしまって、拵えていた握り飯なんぞをお供に。
静かに空を見上げながら召し上がる。

いっそ儀式的なそれが、なにか特別なことなのであろう、ということくらいはわかる。
だが、いかんせん、実弥さんはそういった何某は私にも話しては下さらないものだから、いつも、私はその隣へと腰を下ろすこともできずにいた。
なんとなくだが、実弥さんはその時ばかりは私を呼んでも下さらないから、隣に居るべきが、私では無いのではないか。
そんな風には思う。

「ちぇ」と、口を尖らせるコウちゃんに、実弥さんはざるを指さしてがなる。

「そこにたんとあんだろォが」
「見て! 種、すっげぇ飛んだぁ!」
「あちしもぉ!」
あちし・・・じゃねぇだろ! あ、た、し、」
「あ、ち、し!!」
「見てよ! シナズの兄ちゃん! 飛んだぁ!」
「そのシナズ・・・ってのやめろよなァ」
「長生きしそうだろぉ?」

ケタケタと笑う声が、庭いっぱいに響く。
実弥さんは、ずっとずっと口角をほんの少し。持ち上げたまま。
そのうち、種を飛ばし合う子どもたちへと混ざり、「みて! 飛んだぁ!」と、おかっぱ頭のユキヱちゃんが言うのに頭なんかを撫でてやりながら、実弥さんも「ぷぷっ」と、種を飛ばし始めた。

「わ、シナズの兄ちゃんすっげぇ」
「飛んだってんなら、これぐらい飛ばせよなァ」

ふんッと、得意気に鼻を鳴らした実弥さんを指さしながら、子供たちもカラカラと笑う。

「大人気ねぇ!」
「うっせぇ! 指差すなァ」
「ぷぷぷっ!」
「全部落ちてんぞォ」
「シナズの兄ちゃん、見て!!」
「オイ、ズルすんなァ」

私はこんな穏やかな時間が一等好きだ。
実弥さんが笑っている、この瞬間が、心底愛おしいと思う。

そのうち私の方へと視線を向けた実弥さんが、手の甲のあたりで口元を拭いながら「お前も食えよ」だなんて声をかけて下さるのも、私へと西瓜を差し出してくださる手も。

「もーらいッ!」
「やらねぇわァ」
「アッ! ずっりぃ! そこは取れねぇだろぉ!」

そのうち始まってしまう、実弥さんと子供たちの、子供じみた言い合いやら、取り合いだとか。

「お前にやるとは言ってねぇだろォがァ アッチの食えェ」
「わ、私がアッチのを食べます! 貰います!」

そんな下らないことを一緒にやって、見ていられるこの一時が、まるで夢の中のよう。
けれど、実弥さんの視線一つで、私に向けてしてくださる何かしらの一つ一つで、胸がきゅぅんと痛むのだから、多分きっと、本当なのだ。






夜。そろそろ日も暮れきった頃。
実弥さんは縁側から腰を持ち上げたようであった。

私がお勝手で夕餉の片付けなどをしていると、背中の方から伸びてやってきた実弥さんの手が、空のお皿を置いたものだから、それを知った。

「もう良いんですか?」
「ん。悪ィが、酒、戻しておいてくれるかィ」
「はぁい」

実弥さんは、お酒をほとんど召し上がらない。
「用意してくれるかィ」と、時折仰られるものだから、毎度用意こそするが、西瓜がある時以外には言われたことはない。
更に言ってしまうと、出した徳利の中身が空になって返ってきた試しがない。

ただ、その西瓜のある特別な時にだけ、口を濡らす程度に召し上がるようだ。
その理由すら、私は知ることはない。

「寝所の用意しとくぜェ」
「あ、ありがとうございます!」

私には何も語ることのない背中を、私は口を尖らせては眺めた。




寝所に着けば、実弥さんの用意してくださった蚊帳が吊されており、夜特有の、どこかひんやりとした空気が流れた。

実弥さんと程々に会話とも言えない会話をやりながら髪を梳かしていけば、背中側から巻き付いてきた腕が、私のお腹のあたりで結ばれた。

「さ! 実弥さんッ?!」
「んー」

なんでもない、とでも言うように──否。
何かを確かめるように、回された手が、私の腰回りやら腹回りを撫でていく。

今日、する・・のだろうか。
そんな考えが、ぞくぞくとしたものが走り抜ける頭の中で渦巻き始めた頃。
実弥さんの声が、すぐそばで響いた。

「昼間にも思ったが、」
「……は、はい……ッ!」

髪を梳かしていたはずの手すら、段々と熱くなってきはじめたものだから、私は思わず、手元の髪をぎゅ、と握りしめた。
それから、私が自分の下唇へと歯を当ててすぐ。
実弥さんは言った。

「ちぃと、肥えたかァ?」

サッ、と立ち上がった私は実弥さんへと両手のひらを見せつけ、静かに首を振った。
右へ左へと、ぶんぶん振った。

「……駄目です」
「ア?」
「もう、駄目です」
「ハァ?」

訳が解らない、といった風体で手持ち無沙汰に手を浮かせた格好のままに、小さく首を傾げる実弥さんに、私は語気を強めていく。

「今日は、触っちゃ、だめです!!」
「何でだァ」
「こ、肥えた事くらい自覚してますよぅッ!!!」

唇を尖らせて言う私を、「何言ってんだ」とでも言いた気な呆れた顔で見る実弥さんは、尚もその姿勢を崩すことなく続ける。

「別に構わねぇだろォ。布団にゃ収まってんだァ」
「そういう問題じゃないんですよぅ!」
「ア? あんだけガリッガリだったんだァ。健康的で良いじゃねぇかァ」
「そ、そういう問題じゃないんですったら!!」
「ならどういう問題だァ」
「だ、……だって!」

少しばかり気になり始めたお腹のあたりを撫でてみるが、矢張り、下腹あたりが、以前に比べてぽこっとしている、と、思うのだ。
理由なら、なんとなくはわかる。
今日とてやってしまったのだ。
夕餉に出す蒸した芋を、味見と称して食べた。
実弥さんのお昼の握り飯とは余分に置いておいた握り飯は、昼よりも早くに、なくなっている。
食べたからだ。

こんなことばかりをしているのだから、太るのは当たり前のことである、だなんて理解している。
だが、それを実弥さんに気付かれてしまうのが嫌だ、と言うのと自分の意志の弱さがもたらした何某と向き合う、ということが必ずしも作用しあって、痩せる事が出来るのか、というのは話が違う。
このついてしまったお肉はすぐには落ちないのだ。

「ア?」
「か、……可愛くないですよぅ」

吃りながらも、恥を忍んで言った私の言葉を聞いた実弥さんは、そのうち「ばっかじゃねぇ?」だのとのたまった。

「ひ、酷……」

私が言い切るよりもずっと早く、実弥さんは私の肩を引っ掴み、そのうちぐいッと抱き寄せながら言い張った。

「もっちもちで! 気持ち良いだろォが!」
「ちょ! だ、だからッ!! 触んないでくださいよぅッ!」
「あン?! ざけんじゃねェ!」
「駄目ったら!!」

お尻のあたりへと回ってくる実弥さんの手を払いながら抵抗を続けるが、頭一つも二つも高いところからやってきた声が唸りを上げる。

「ずっと触らせねぇつもりかよォ」
「や、痩せるまでですぅ!!」
「やってらんねぇなァ!」

そう言って、唇を突き出した実弥さんは両方の手で私のお尻を引っ掴んだものだから、私は思わず手を振り上げていた。

「駄目ったらぁ!!」

ぱぁん、と鋭い音が、実弥さんのお顔のあたりで弾け飛んだ。


***

田畑の多いこの集落やら下の町では、九月下旬。丁度その時期になるとにわかに活気付き始める。
秋祭りがあるのだ。

収穫を祝う歌や踊りと、鬼狩り様への感謝を捧げ、集落の神社から、神輿を下の町へと降ろすのだ。
そして、春にはまた、こちらの神社へと神輿を迎えるのである。

祭では、子供たちも楽しめるように、と、稲荷寿司やら、冷やし黄瓜。蕎麦やらなんやらが立ち並んでいく。
何もない片田舎であるここへと住まう皆が、心待ちにしている行事ごとでもあるのだ。


今はそれに向けた打ち合わせやら何やらを兼ねた集会が、里中の離れで行われる事となっている。
私は実弥さんへの握り飯を渡した後、その足でそのまま、里中の家へと向かっていた。

九月の二日のことであった。

「名前ちゃん!」
「わ! セツさんっ! お久しぶりですねぇ!」
「ね! なんだか準備が始まると、後も忙しいのね」

ぱたぱたと走り寄ってきてくれた足音は、セツさんのものであった。
いつでも美人ですらっとしているセツさんを見ていれば、そのうちぽこっとした自分の下腹が、段々と恥ずかしくなってくる。
着物を着ているのだから、外からは早々わからないとは思いながらも、私は少しばかり下腹を撫でながら、セツさんの言葉に返事を返した。

「今日の集会で、どのお家が何をするのか決まりますしねぇ」
「楽なのが良いわよね!」

セツさんの言葉に、私はしっかりと頷いた。

「冷やし黄瓜が良いですよぅ」
「マ!」

─────────
─────
──

集会も終え、ぞろぞろと皆が帰り始める中、当てられた当番での必要なものを指折り考えていると、「名前さん」と、柔らかな声が背中を叩いた。

「わ! はいッ、奥様!」
「もう奥様・・はおやめなさいな」
「は、はぁい」

何かと機会が訪れず、ご無沙汰であった奥様から、早速にピシャリとお叱りを受けたものだから、思わず肩を持ち上げる。

「名前さん!」
「は、はい!」

改めて奥様のお顔をおずおずと見れば、眉をハの字にやりながら、奥様は笑っておられた。

「元気そうですね」奥様は言った。
「お、お陰様で……」

なんと言って良いのかもわからず、当たり障りのないような返事をすれば、奥様は「仕方がありませんね」と、以前であればおっしゃっていたのだろうな、と思うような表情を作られた。

別段何があった、ということはない。
ただ、奥様は本当は実弥さんと私が婚姻を結ぶことを、ずっと反対しておられたから、気不味いのだ。
勿論、実弥さんがきちんとお願いしてくださったこともあり、最後には許してはくださったが、それも、「許してくださった」というよりも、ヤス子さんや、私の態度が「許させた」ようなものであったから、尚の事、だ。

何分、奥様はずっと奉公人の私なぞを大切にしてくださっていた、というのに、なんだか勝手に裏切ってしまったかのような気持ちになっていたのだ。

俯き気味の私に、奥様は「しゃんとなさい」と、仰った。

「は、はい」
「良く、不死川様がね、毎度お野菜を持ってきてくださるのよ」

そう続いた奥様の言葉に、私は思わず顔を上げた。

「そ、そうなんですか」
「あなたと、私のことを、とても気にかけてくださってね」
「はぁ、」
「良い人ですね」
「…………はい! 実弥さんは、その! ずっと、お優しい方です!」
「ええ」

頷いた奥様は、頬を緩め、私をじ、と見た。
そうして、言う。

「それはそうと、肥えたわね」
「……こ、肥えましたか……?」
「この、腰回り……お腹、かしらね?」

奥様は、ご自身の腰やら腹のあたりを撫でやり、私に「ここ」と示す。
そこは、紛うことなく気になっているところであった。
実弥さんだけならつゆ知らず。
奥様まで言うのだ。
きっと肥えたのに違いない!
思わず両頬をはたき抑えた私は、今日の集会での話が、全部頭の中から吹っ飛んでいきそうな心地であった。

「わあぁぁーんッ! しっかりやってると思うんですけどぉ!」
「まぁ、いっときを思えば、健康的で良いでしょう」
「そ、そうですかねぇー?!」

***

半月ほど経つと、腹のあたりは更に膨れていた。

その頃になると、なにやら病気なのかも知れない。私はこっそりと悩んでいた。

おかしい。
蒸した芋のつまみ食いはとうにやめた。
昼間の握り飯も、一つに減らした。
きちんと家のことはしているし、然程動いていない、とまでは思わない。
だというのに、腹がへっこむどころか、逆に嵩を増しているように思うのだ。

私は唾をゴクッと飲み込んだ。
だって、おかしい。
そんなに大食らいな訳でもなし。
きちんと動いてもいる。何故? もやもやとしたものが膨らむように、私の腹も、膨らんでいくのだ。
 

実弥さんを「いってらっしゃいませ」と見送ったまま、胸と大差の無くなり、すとんとまっすぐ垂直に落ちる着物の線を、私は今一度、撫で付けた。

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