小説 | ナノ

足元の華やかすぎる、豪奢なすそ模様の打掛が視界の殆を埋めていた。

じわ、と汗が滲む。
手元についた白粉を、私はすりすり、と擦り合わせた。
金糸銀糸のあしらわれた白無垢。
懐剣やら筥迫までもが、真白であるのに、それを覆い隠すように打掛だけがきらびやかな色を纏っている。

「……大丈夫か」

すぐ右隣に、黒の紋付き羽織りの端と、袴に包まれた膝がある。
恐らく、このまま視線を上げていけば、不死川さんのお顔が見えるのだろう。

喉がからからに乾いているのだから、ちっとも大丈夫ではないし、顔が熱いから、平気でもない。
不死川さんが私と「一緒に居たい」と仰ってくださってから、色々とあった。

奥様をまた泣かせてしまったし、セツさんはずっと心配そうな顔を私へと向けて下さっていた。
宇髄様に連れてこられた須磨ちゃんと、再会を果たした頃。
須磨ちゃんにも、不死川さんと一緒になる事にする。と、その旨を伝えれば、困惑した顔を作った。

決して、祝福ばかりで今日を迎えたわけでは無かった。

旦那様にも、渋い顔をされた。
ただ一緒に居たい、という、ただそれだけであったのに。
長くは生きる事の出来ないらしい不死川さんに、子を産むことの出来ない私では、不死川さんの子孫を残すことも出来ない。私も、いつかそう遠くないうちに一人になってしまう。

不死川さんも、しきりにそれを気にかけて下さっている。
時折私へと、申し訳ない。とでも言いた気な目を向けるのだ。

ヤス子さんが「名前ちゃんは、私たちの子も同然です。これから・・・・のことなんて気にせず、二人でしっかりやって」と背を叩いてくださった。
ヤス子さんだけが「任せて」と私の背中を叩いてくれた気がする。それを見ていた奥様は、背筋を伸ばしてため息を吐き出した。

「後悔の無いように、おやりなさい」

奥様はもう泣いてはおられなかった。




「ここを出る」と仰られていた不死川さんは、少し、遠くを訪ねるのだという。
「……一緒に来るかァ」そう私に仰って下さったものだから、私は一も二も無く頷いていた。

不死川さんのご実家があったのだ、という長屋の群れを傘の下から眺め、二人並び、近くの無縁仏の墓石たちへと向け、手を合わせた。

「ここに、ご家族が?」と尋ねようとして、やめた。

不死川さんが、あんまりにも優しいお顔をなさっていたからだ。
だから私も、同じようにただ、手を合わせた。
どうか、どうぞ、不死川さんの縁者の方がここへ居られるのでしたら、今日まで彼を見守ってくださっていてありがとうございます。これからも、どうぞ、よろしくお願いします。と。

「ここに、お袋と、……弟妹が居るらしい・・・
「そう、なんですか……」
「俺ァ、後の事も全部放って出ちまって、すぐ下の弟に、結果全部押し付ける形になっちまってなァ」

墓地を前に、そう、静かに語り始めた不死川さんの背中に、私はそろそろと手を乗せる。

「当時、その弟も幼かったもんだからよ、こんなことに、頭もまわりゃしねぇだろォ。三年、……四年ほど経ってからだったか、……あっちこっちに聞きまわったが、その後の事をほとんど誰も知りゃァしねぇ。
そりゃァそうだよな。てめぇの生活で、俺だっていっぱいいっぱいだったんだ。
他人の家の後始末なんざ、誰も進んでしたかねぇよ」

不死川さんの背中を撫でる事で、「あなたは悪くない」と伝えたかった。

「ここの住職が、そのくらいの時期に、ここに合祀して仕舞った身元不明の仏が五つある、ってんで、ここに来ちゃァいるが、どれかも分からねぇから、ってんで、そのまんまだァ。
そもそも、ここに眠ってんのかも、定かじゃねぇ……薄情なもんだろォ」
「いいえ。そんな事は絶対にありません」
「…………そうかィ」
「また、秋ごろに来ましょうか。
今日はここの墓石、全部磨いちゃいましょう! そうしたら、ここの仏様、皆が喜ぶんでしょう? 
ね! そうしましょうよぅ!」

「ね!」と、数十基ある墓石の辺りの雑草を、私はざくざくと引き抜き始めた。
そのうち、不死川さんも手を貸して下さったから、一時間も経つ頃には、すっかりと綺麗になっていた。

「ほとんど不死川さんがなさっちゃいましたねぇ」
「でもねぇだろォ。おい、手、大丈夫かァ」
「平気です! ちょっと桶を借りて来ますね!!」


すっかり磨き上げらた墓石たちを目の前に、私の心は真っ白に晴れていた。
不死川さんも、少しばかりすっきりとした顔をしておられたから、同じような気持ちであれば良いな、と思ったものだ。

「また来ましょうね」
「……次は、…………お布施、持ってくるかァ」
「そうしましょう!」

もう一度手を合わせてから、私たちはその場を離れた。

それから、すぐ下の弟君の、玄弥さんが眠るのだと言う鬼殺隊の共同墓標へと花を手向けた。
傘を外せば、汗がぶわッと噴き出して、そろそろ暑い季節がやってくるのだな、とにわかに感じていたと思う。

近くの宿に一晩泊まり、部屋の端と端で眠った。
それでも、私は不死川さんの存在をありありと意識して、夜深くまで眠る事が叶わなかったのを覚えている。

草引きであちこちに擦り傷の入った手を、優しく手当してくださった不死川さんの手の熱さが、ずっとずっと、残っていた。



翌朝には、早々に宿を出て、玄弥さんが世話になっていたのだという、育手の方へと挨拶へ向かった。
きっと、長らく話したい事もあるのだろうから、と、私は育手の方に代わって洗濯物をずっとしていたように思う。

深い竹林の奥であったから、陰っていて、そこら一体がとても涼やかであった。
玄弥さんも、この風を感じていたのだろうか。
そうだと良いな、と思った。
竹にそぎ落とされた、角の取れた風であるせいか、柔らかく体を撫ぜていくのだ。その手つきが、不死川さんの手つきに、少しばかり似ている。
そう思ったのは、もしかすると贔屓目やら何やらであるのだろうか。

そんなふうに、考えていたと思う。


「帰るかァ」

そう笑った不死川さんは、最後に銀座へと立ち寄った。
乗合馬車に揺られ、いつかの、資生堂の建物を私は見ていた。

資生堂の奥。
カウンタァに置かれたクリィムソォダ。
しゅわしゅわ、ぱちぱちと弾けるソォダに、白くて甘いアイスクリン。真っ赤なサクランボが乗せられたそれは、いつか、私をずっと慰めていたものだ。

「クリィムソォダ」
「要らねぇなら──」
「要る!! い、要ります……」

ストロォに口をつければ、口の中で炭酸がはじけ飛ぶ。

「うめェのかァ? それ」

不死川さんの言葉に、私は開けたまんまであった口を引き結んだ。
ずるい、と思っていたと思う。
ずっと待ち望んでいた。口では何と言おうとも、頭で何度も否定しようと、自分に言い聞かせようとも。不死川さんと、あの日最後にここで飲んだクリィムソォダからの続きを、私はきっと、本当はずっとずっと願っていた。

それを、不死川さんはカウンタァに肘を付き、あんまりにもお優しい目をなさるのだ。
まるで、あの日の続きだ。とでも言うように。

「ここでは、泣くんじゃねぇ……」
「は、はい……」
「……慰めて、やれねぇ」
「………………ぅ、ッふ、」

不死川さんはカウンタァに、置いてあった紙ナフキンを滑らせ、私へと寄越して下さっていたと思う。
私は震える指先で、紙ナフキンへと、顔を押し当てていた。



***

それから程無く。

今日という日を迎えた。

仲人の役を買って出て下さった、宇髄様ご一家に助けられ、私は不死川さんのお屋敷へと向け、足を踏み出したのだ。

不死川さんが元柱、という事も手伝い、両親への別れの唄は、お屋敷が近づくにつれ、花卸しの際に歌われる、祈りの唄へと変わっていく。

黄昏時の空の下。

傘を持ってくださっているヤス子さんの声が、一つ。大きくなった。
箪笥やらを持ってくださっている、荒木のおじさんの声もしている。

あんまりにも立派な、私には勿体なさすぎる程の、里中の家から続くこの花嫁行列は、不死川さんのお屋敷へと、ついに足を踏み入れたのだ。


***


「大丈夫じゃ、ありません」
「……」

私は、先ほど不死川さんからの気遣いの「大丈夫か」との問いかけに、漸く答えた。
たっぷりと間をおいての返事であったからか、不死川さんはとうとう私の方を見ていたらしい、というのが、不死川さんの動く音でなんとなくわかってしまった。
またまっすぐ前を向き、私たちの前で祝いの言葉を下さりながら、食事をしている方たちに、私と不死川さんは幾度目かわからない頭を下げる。

「はやく、……きちんと、お顔が見たい……です」
「そ、うかィ……」

言葉を詰めた不死川さんは、また、私の方を見て下さったのを、視界の端で感じていた。

「明日になりゃァ、……飽きるほど見せてやらァ」
「……はい」

一晩中続いた祝いの宴は、翌朝には子供たちが混じり、開けたのは二日目の夕刻の頃であった。



風習として、私の場合であると、ヤス子さんが所謂"夜"にありつけたかどうかの確認のため、数日、ここへ滞在することになるのだが、宴の跡片付けなどをしながら、私へと問うてくる。

「私は要る?  この後・・・・

私はその言葉に、"この後"を想像して火を噴いてしまいそうであった。

「だ、大丈夫、です…………その、…………は、ハジメテじゃ、ない、…………ですし」

もぞもぞと、手を捏ねながらもごもごとする私を笑い飛ばしたヤス子さんは、「そうよね! しっかりやんなさいね」だのと、背を弾いた。



二日ぶりにありつけた湯に、ひとしきり感動した後、ヤス子さんや、セツさんに敷いて頂けたのであろう布団を見て、私はまた真っ赤になっていたと思う。

________
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隙間も無い程にぴったりとくっついた布団の外。
胡坐をかいて腰を下ろしておられた不死川さんへと、私は声をかけようか逡巡していたが、不死川さんが早かった。

「明日、……明後日」

そう、呟くように、唱えるように言った不死川さんは、ぐる、と体ごと向きを変え、私を正面に捕らえる。
それに倣うよう、私は不死川さんの前に、腰を下ろした。
すぐ右隣りに敷かれた布団に、嫌に緊張した。

「し、不死川さん?」
「こんど、次」

そう言いながら、開け放った扉の外。中庭の方へと視線を向けた不死川さんは、言葉を続ける。

「俺には、……縁のねぇ、言葉だと、どっかで思ってた」
「……」
「今は……出来るだけ長く、お前と、ともに有りてぇと思ってる」
「不死川さ、」

私はそこで、言葉を止めた。
心臓が馬鹿になってしまいそうであった。お医者様に、診てもらった方が良いのかも知れない。
息が止まりそうであった。
また、真っ直ぐに私を捕らえた不死川さんの瞳を遮るものが、今、ここには何一つとして無い。
そうして、その目が、いつか見たことのあるものだ。と、私の頼りの無い頭が言っている。いつか。一つしかない。

あの日だ。

私はゴクッと、唾を飲み込んでいた。

「俺の名前は、忘れちまったかィ」
「いいえ! い、いいえ……」

不死川さんの言葉に、私は大きく首を横へと振った。
あつい。
顔だけではない。
体中。
全部全部が、熱かった。

私はこのあとに起こるのであろうことを想像して、どきどきとしている。

あんなにもが嫌いであったのに。
あんなにも、が来なければ、と願っていたのに。
あんなにも、はやく過ぎ去ってしまえ。と、心が叫んでいたのに。

私はきっと、これから起こることを、喜んでいるのだと思う。 

不死川さんは、浅ましいと笑うだろうか。
はしたないと呆れられるだろうか。
私の目は、熱をきちんと、隠せているだろうか。

歯が、ぎゅ、と下唇へと食い込んでいく。
私はもう一度。
今度は静かに、確かに。首を横へと振った。

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