小説 | ナノ



意識が不明瞭であった。
起きているのか、それとも、眠っていて夢を見ているのか。それすらもわからない状況に、実弥はひどく苛立っていた。

腹の底がむかむかと沸き上がり、頭の先までカッと熱が走っていく。
けれどそれがなぜなのか。わからない程、実弥は他人に無関心と言うわけでも、自分を省みていない訳でも無かった。
苛立ちに任せ開いた眼は恐らく血走っているであろう事は請け合いではあったが、これ以上を見ていたくはなかった。

ガンガンと迸る頭痛に眉を顰めてみるが、解消されることはない。
眉間の辺りを抑え、ぐる、と首を回し、あたりを見渡す。
何故かはわからない。
己は何がどうあってわざわざ屋根の上に体を横たえていたのだろうか。
もしかすると、任務地が近場であったから、とわざわざやってきた宇髄を見た辺りから記憶が定かではないことと関係があるのだろうか。

暫く、かぁかぁと小うるさい鴉の鳴き声をお囃子に、登り始めた朝日を見ていた。

とんだ夢であった、と思う。


己の欲望のままに、いやいやと涙ながらに訴える女に胸を痛めているにも拘わらず、迸る愚かなまでの欲で貫いたのだ。
あの女はもしかせずとも、里中の家の名前であった。
何度も何度も名を呼び、欲に任せ、汚した事にそこはかとなく興奮していた。
それが、どうしても実弥には許せなかった。

いじらしく笑う名前になんの感情も抱いていなかったのか、と問われればそんな事はない。
妹分か何かのように思っていた、と思うのだ。
それを欲のままにかき抱き、軽蔑しているどこかの親父と同じように乱暴に扱った。
夢の中だの外だの関係ない。
それが許容できずにいた。

悶々と下らない叱責を繰り返す頭を冷やすべく、実弥は屋根から飛び降りる。
まだ朝も早い。
それ故か、今日は誰一人として来た形跡はない。
居間を見渡し、そこまで考えつくと、フッとそんな事よりも、昨夜の任務はどうなったのだろうか、と疑問が過ぎる。

「爽籟」

長らく己に付き従う鴉の名前を呼んだ。
そのうちどこからともなく、ばさばさと翼のはためく音がやってきた。

『サネミ、サネミ』
「……オゥ」

拙い話し方で実弥の名を呼ぶ爽籟は、実弥の頭へと身を落ち着ける。

「悪ィ、昨夜鬼を退治してからの記憶がさっぱりねェ。何か知ってるかィ」
『ウズイ、ココニ運ンダ』
「そうかィ、礼を言っとかねぇとなァ。 任務は?」
『血鬼術ニカカッテタ、休メッテ』
「そうかィ、悪ィことしたなァ」
『サネミ、猫』
「ん? 猫ォ?」

爽籟は、実弥の頭頂部をつんつん突つき、足をぱたぱたとさせたかと思うと、『寝テタ』とだけ告げ、また部屋の外へと出ていった。
慌ただしい奴だな、などとどこかまだぼやけた頭で考えた実弥は、そのまま畳の上へとごろンと寝転がる。

まだ眠いのかもしれない。
いつもなら、恐らく眠っている時間だ。
仕方のない事だ。
ごろ、と寝返りをうち、そッと目を閉じた。

が、数秒と経たずに、実弥は体を起こすことになってしまった。

「マジかよォ……」

思わず頭を抱えこんだ。
出来ることであれば忘れ去ってしまいたい。そう思っているはずの、名前の痴態が、目を閉じればより鮮明に脳裏で思い出されてしまったのだ。

確かに名前には、そこいらの人間とはちょっとばかり違う感情を抱いている。
それは自覚していた。だが、それはあくまでも妹分・・と思っている、という事に過ぎない。
そのはずだ。

有るはずがないのだ。
首筋を舐め上げたときの高らかな声の存在など。
現実ではないのだ。
なだらかな曲線を持つ女特有の尻たぶの柔さなど。
有ってはいけないのだ。
そんな事に、欲情することなど。
夢の中での自分は異常であった。
未だに夢で抱いた、どうしようもないほどの劣情がどれほどのものであったのかを、実弥は覚えている。
そして名前が身に纏っていた、これ以上には無いだろうと思う程の艶めかしい匂いも。
自分の匂いに染め上げたい、とどうしようもなく望んでしまっていた事も。
けれどそれら全ては、無かったことだ。
一切合切、無かったのだ。


実弥は息を深く吐き捨てた。

「……めんどくせェ」

実弥は、物事を深く考えるのは自分の性分ではない、と思っている。
着ていた隊服を脱ぎ散らかし、足袋も脱ぎ捨て去ると庭へ躍り出で、腰に下げていた刀をぶんッと振り下げる。
死ぬまででも振り続ける。
そう思った。




一体どれほどの時間そうしていたのか、実弥にはわからないが、いつの間にか「ごめんください」と表の方から聞き知った女の声が轟いた。
適当に草履をつっかけ、手ぬぐいで乱雑に汗を拭きとりながら表へと出向くと、いつかのヤス子だとか言う荒木の家の女が立っている。

「今日は名前ちゃんが調子悪いらしくって」
「……」

私が代わりと言ってはなんですが、だのと言う女の言葉は、実弥の頭まではやって来なかった。
調子が悪い。
そう聞くと、「何かあったのか? 昨日は来ていたようだが?」そう思うのは別段変わった事でもないのであろうが、如何せん、何か「調子が悪い・・・・・」そう聞いて実弥の頭が思い出したのは、昨日に見ていたのであろう夢の中での名前の痴態であったからだ。
カッと頭の天辺まで血が上ったと思う。

「そうかィ」

とそれだけを吐き捨てるように実弥は玄関口から背を向けた。

***

任務があまりにも立て続けであった。
風屋敷に帰る事が出来たのは、丁度屋敷を五日ほど。空けた頃であった。

鉛のように重い体に、靄のかかる頭を抱え家へと辿り着く頃には、実弥はくたびれ果てていた。
カラカラと音を上げる玄関を開くと、盆を持ち、きょと、とした顔で実弥を見る名前が居る。

「……お、おかえりなさい!」
「……………………おゥ」

なんとかそうとだけ返すが、靄のかかっていたはずの頭の中が、一瞬にして晴れた。
言い直そう。
名前への罪悪感に染まりあがった。

「あ、あのぅ、お客様が、いらしていて……」
「…………そ…………誰だァ?」
「え、と、トミオカ様と名乗っておられましたが、鬼殺隊士の方です」

まさか、だ。
気に食わない奴だ、と顔を合わせる度に思っていた冨岡に感謝する日がこようとは。
なんとか深く息を吸い込み、実弥は大きく一歩を踏み出した。
怒声をつけて。

「おいテメェ!! 誰の許可を得て上がり込んでやがるゥ!!!」

すたぁンと、軽やかな音を立て開いた戸の向こう。
スかした態度を引っ下げた、まるで天敵のような男が能面のような顔を実弥へと向ける。

「……不死川、…………今か」
「……お前、喧嘩なら言い値で買ってやるから表でろォ」
「………………出ない。許可は細君に頂いた」
「さいく…………てんめェ! つくづく俺を苛立たせやがるなァ!!! 居ねぇよンなモンァ!!」

蹴り飛ばしてやろうか、と足を振り上げたところで、冨岡はすっくと立ちあがり、茶を持ち部屋へと入ってきた名前の肩を抱き寄せた。

「触ってンじゃねェ!!」
「………………危ないだろう」
「あぶ、なかねぇよ!!」
「…………今は」

冨岡の一言一言が、実弥の額に筋を立てていく。
いつもの事ではあるのだが、知ってか知らずか発される言葉には、もはや悪意を感じる。
だから嫌なのだ。
実弥は怒鳴りつけるように言葉を投げつけた。

「……………………帰れェ!!」
「赤いぞ」
「帰れェ!!!」

実弥の態度に、小首を傾げ、冨岡は一つ、名前へと一礼をして部屋を出ていった。あの様子だと恐らくそのまま屋敷も出ていったのであろう。
冨岡が結局何をしに来たのか知らない上、興味もない。
最終的に何も言わなかったのだから、用など無かったのだろう。
そう結論付け、実弥はドカッとその場に腰を落ろした。

「……よ、良かったのですか?」
「何も言いやがらねぇんだから、大した用もねぇんだろうよ」
「何か言おうとしていたように見えましたけど……良いなら、良いんですが……」
「放っときゃァ良いンだよ、あんな奴ァ」
「……あの、許可は降りていると言われた、と思っていたので、その……上げてしまったのですが、……その、」
「どうせアイツの口車に乗せられたンだろ」

冨岡を見送ってきたらしい名前の言葉に適当に相槌を打ち、実弥はそのままその場へと寝っ転がった。

「その、……すみませんでした」

名前の謝罪にはひらひらと手を振ってやり、謝罪は不要だ、と草臥れた体で示しておく。

「かけもの、お持ちしますね」
「要らねェ」

サッと名前から背を向け、庭の向こう側を見る。
まだ綺麗であった気のする畳はところどころささくれており、良く目を凝らせば染みまで残っている。
赤黒い気がする。
この部屋で傷口をどうこうしたことはあっただろうか。
水回り以外では無いはずだ。
そこまで不用心になったつもりもない。
ぼう、とした頭で考えてみるが、どうにもあの夜のことが記憶から思い起こせない。

夢の中の名前とのまぐわいがこの部屋であった。目を瞑った事で思い出してしまった、それだけの事実に、実弥はすぐさま体を起こし直す。
事実・・、とは少し違うが、それはもう良い。

とにかく、だ。

実弥は部屋を後にした。


ただの夢の中での痴態であった、というのにも関わらず、とてつもない自責の念が今後暫く付きまとう事になるのを、この時の実弥はまだ知らなかった。
更に言ってしまえば、あの日の夢は夢ではなく、現実であったのだ、と言う事を、実弥は知る由も無かった。

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