触れたい。手を繋ぎたい。抱きしめたい。抱きしめてぎゅうってしたい。
それから、それから、キスもしたい。
なんて言ったら、怒るかな?


「陣、いい加減起きろ。飯をかたすぞ」
「ふがっ!? ……あ〜……凍矢、おはよぉー……」
「……おそよう」
凍矢の嫌味にも気づかず、陣はやっと布団から身を起こした。すっぱたかれた頭をさすりながら、大あくびをする。その間の抜けた様子が、人間界の動物に似ていると、凍矢はいつも思っていた。豹変するところも、基本的に穏やかなところも。
猫科の動物のように、しなやかな筋肉がついた長身が、二回り半ほど小さい彼の後を追う。のっそりとした足取りがついてくるのを、凍矢は確認しようともしない。いい天気だと、廊下を歩きながら、青空を飛んでいく小鳥を目で追っていた。
陣はというと、ぽりぽりと頬をかきながら、ほっそりとして見える凍矢の背中に続いていた。目の前を歩く彼の戦闘力は、下手な一流とは比べ物にならないが、やはり周りと比べると小柄な印象を受ける。それでナメられることがないこともないが、大抵は一睨みと一瞬の妖気の放出で黙らせてきた。身の程知らずは触れることすら出来ないくらいには、強くなった。
氷の刃と評されることが多い凍矢である。が、陣はそう思ったことはほとんどなかった。そう言う奴らは、凍矢のそうじゃない面を知らないせいだ。知らないくせに勝手なことを言いやがって、と思う心と、別に知らなくていいんだけど、と思う心はだいたいいつも半々であった。
「いい天気だな」
凍矢がぽつりと口に出す。陣が見たその横顔は、春先の暖かさのように柔らかく綻んでいた。
「……」
緩く弧を描く唇に、自分のそれをくっつけたかった。
「……なんだ、陣。どうかしたか?」
「んにゃ、何でもねえだ」
勘が鋭いんだよなァ、と内心ごちる。やましい、というような気持ちがあるせいか、なんとなく、凍矢と目が合わせづらい。それを凍矢は特に気にすることもせず、小首を傾げて歩を進めた。
信頼されている証だと、思う。けれどそれは、ますます陣を気後れさせる原因の一部であって。やっぱり陣は、後ろ手を組んで、肩をすくめて、凍矢の後に続いていった。

戦友、を通り越している気持ちだというのは、お互いに分かっている。分かってはいるのだけれど、そこからいまいち、どうしたらいいのかは分かっていなかった。
望まぬ一方的な命の搾取から離れ、二人穏やかな時を過ごしていて。血流すら凍りつきそうだった凍矢の“風”は、だんだんと柔らかなものに変わっていった。陣はそれが嬉しかった。
しかし、それでは満足しきれない自分が、そこにはいて。もっと触りたくて、抱きしめたくて。さっきの衝動も、よく分からないけれど「きす」というらしい。幽助達に(面白半分に)教えてもらった。ふぅんと思って、何となく腑に落ちはしたが、それで満足する訳もなく。だが、友人ではない意味で、手を伸ばすことは、どうにもためらわれた。友人としてなら、いくらだって飛びつけたのに。
おかしいなと、捉えどころのない気持ちを持て余しながら、今日も朝飯を共にする。

鎌鼬が分厚い呪氷を深く切りつけた。凄まじい音がするものの、その氷の壁が破られることはなく、木陰から氷刃の如き者が駆け出してきた。
「!」
―――全くの無音であったことを言い訳にするつもりはなかった。凍矢の呪氷剣は、ガードが遅れた陣の頬を掠め、薄皮一枚のところで動きを止めていた。
こめかみを汗が流れる。空間が停止する。生唾を飲んだ。
陣の目玉が、こちらにきろりと動いたのを見た凍矢が、ふっと息をつくと、鋭い氷は瞬時に霧散した。
「どうした、陣。今のは、お前だったら迎え撃つことができたはずだ」
うっすらと眉間に皺を寄せて、右手を軽く振る。呆れているというよりは、訝しがっている表情だった。あー、と頭を掻いて、陣は目線を彷徨わせる。
「ん……悪ィ。ぼっとしてる訳じゃ、ねんだけどな」
「……本当に、どうしたんだ。何かあったのか?」
今度はうって変わって、心配そうな顔で見上げてくる。可愛いなあ美人だなあと胸をときめかせられていることなどちっとも知らず、白い顔を陣の瞳の中に映し込む。
うっかり陣が「凍矢はめんこいだなあ」と洩らしても、「やっぱり何かあったのか」と真面目に返してくる始末で、うーんと唸って苦笑した。
なんて鈍いんだろうと溜息の一つ二つつきたくなった。敵意悪意はともかく、好意に対してはめっぽう鈍い。今までがあったからとはいえ、鈍すぎるだろうとは少し思う。とは言え、一応、陣が抱く諸々が、凍矢にとって負の感情としてとられていないことが幸いだった。若干それももどかしく思うことがあるのだが、今のように。
「あんなあ、凍矢」
「わっ。……重いぞ、陣」
「あんのなあ……」
逞しい腕が凍矢を抱きこんだ。それと同時に体重も半分くらい預けるから、凍矢が一瞬よろめく。しかし難なくとどめると、今度はやや強く、背中に回る腕に力が篭る。
冷水並みの体温が、陣が触れている箇所から、沸騰するように上がっていく。それを自覚しながら、ぎこちなく陣の背中に腕を回した。参ったな…と心中呟いて、「どうした?」と声をかけた。
「凍矢ぁ、オレと、」

オレときす、して?

―――きす。……鱚(※スズキ目キス科)。
いや違うだろ、と脳内で即座に否定する。そして、すぐさま別の単語を引っ張り出してきて、意味を噛み砕く。
ああ、なんだ、キスって、前に幽助達がにやつきながら話してたやつか。あれか。……アレ、か……?
全身が、発火した。特に顔が。それから一気に吹き出てきた大量の汗。身体が熱い。溶けるのではないだろうか。
言った陣も、耳まで真っ赤に染まりあがって、凍矢の瞳に映りこんでいた。髪の色と見紛う程に、真っ赤だった。
何で言っちまったんだろう、と、今更ものすごい困っているのは陣であった。意味は通じないとは思えない。前に一緒に聞いていたし。こんなにも赤い顔をしているし。しかし、口にしたことで、恥ずかしさというか照れ臭さが大爆発を起こした。陣の冷静さに直撃して、それは見事に吹っ飛ばされた。
凍矢も凍矢で、どうしたらいいかわからない。したいという気持ちを探したことはなかったし、したくないという気持ちはこれっぽっちも見つからない。けれど出口は開かなくて、身体の中で表現されぬままぐるぐると台風のように回っている。
二人とも動けない。しかし目も逸らせない。おかげでどんどん熱は上がり続ける。同じような大爆発が、凍矢の中でも起きるのだろうか。摩擦で焼き切れそうな想いは、陣の内側にも移り始めているのかもしれない。
嫌、かなぁ?
鼓動はいつもの、戦闘中の、数十倍くらい早い。触れ合った肌を伝って、うるさい早鐘はどちらのものか区別がつかなくなった。
、じゃ、ない。
形の良い唇が小さく動く。懸命に耳を澄ましても、息として終わっていた。凍矢も、それは自分で気づいていたらしい。今度は、ゆっくりと口を開いた。
「嫌じゃ、ない」
まっすぐな目。その空色に見える、情けない自分の顔。本当に、なっさけない顔をしていた。何でなのかは、知らない。胸がいっぱいいっぱいになっているだけ。
陣の手が触れる。頬に触れる。大きな手がそっと包む。つめたくない、とぼんやり考えた。あつい、とじんわり感じた。
どうしたらいいかわからない。
どうしたらいいか、わからない。
どうしたら、いいか、わからな、
呪文のように唱えていてもいつの間にやら、ぎくしゃくとして、くちびるが重なった。
なんだか全部、全部、何もかもがめちゃくちゃになって、熱と柔らかさにわーっとなって、涙がなぜかこみ上げてきた。どうしてだろう。
そのまま五分くらい動けなかったような、一瞬で離れていたような、よく覚えていない。強烈に焼き付いたはずの記憶は、だからなのか真っ白な閃光になって瞬きを繰り返していた。よく見えない。
それを惜しいとそこはかとなく思いつつも、陣はまだどこかふわふわとした気持ちでいた。確かに凍矢の顔が視界に映っているのに、どこか頼りない。頼りないのはきっと凍矢の存在ではなく、己の頭の回転であることは明らかだった。
しっかりとそこにいる凍矢はというと、呆けた顔をしている陣を見つつ、自分も同じような顔をしているに違いないと思うも、立て直し方が麻痺しているようだった。熱が引いた気は全くしないが、首が痛くなりそうなくらい、陣を見上げている。
徐々に、呼吸が深くなる。ぼやけているように見えた世界が、現実の重さと共に色づいていく。だんだんとお互いに焦点が合ってゆく。
そうして、完全に一致したところで、陣がへらりと笑って見せた。
ほんの一瞬、凍矢は面食らって、泣きそうな目がはにかんだ。
「とりあえず、……帰ろうか、陣」
「んだな」
陣が凍矢にぎゅっと抱きつく。凍矢はわずかに目を見開くけれど、すぐに笑みを浮かべる。抱きつき返してから、自然と離れた。
当たり前の取り決めのように隣に並ぶと、これまた当たり前のように凍矢が歩き出す。それに、あっ、と声を上げたのは陣だった。
「何だ?」
「え、っと、手、繋ぎたい、デス」
きょとんとする凍矢。二、三回瞬きを繰り返すと、また顔を赤くする。どうしてこんなことで顔が熱くなるのかと自問自答しようとするも、捨てられかけてる子供のような目をして陣がこちらを見ているから、そんな場合じゃないとやめた。
「……ホラ」
「へへっ、あんがとっ」
やっぱり、子供みたいに笑う。さっきよりほんの少しだけ温度が下がった左手を握って、幸せだーと顔中で叫びながら。
なんだか頬の緩みが押さえきれない。そんな凍矢を見ながら、陣はもっと笑顔になった。


だって君は笑うから
(ひとつひとつ、幸せを噛み締めるんだ)

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