綺麗な薔薇にはがある“Nulle rose sans épine


最近彼のキスが上手くなった気がする。
「何だよ、その顔?」
瞼を開けた小西が訝しげに眉を寄せた。途端、先ほどまでの切羽詰った大人の顔は消え、機嫌を損ねた子供の顔に早変わりするのがおかしかった。(どちらにせよ、余裕は無く見えるのに変わりは無かったが)
下仲はそれについ小さく喉を鳴らした後、さらに口を尖らせた小西へ逆に問いかけた。
「どんな顔してましたか?」
キスの直後に、文句を言われるような表情には生憎心当たりが無かった。今、自分が浮かべているであろうは、彼にしか見せない誘惑じみた嬌笑のはずだった。
自らの外見が人を煽るものだと自覚していなければまずやらない行為だというのは分かっていた。
だからもう一度くすりと笑い、下仲は顔に添えられていた左手を右手で包んだ。唇のごく近くに置かれていた彼の親指を素早く食む。
無骨な節に軽く歯を立て、指先を何度か舐めまわされた。唇の薄さに肌の白さと、咥えられたものの浅黒さとのコントラストに眩暈を覚える。
止めれば歯が食い込む(食い込められる)だけ。下手すりゃ刺すほど噛まれる。割と指に噛み付くことが好きらしいというのをやっと学習したので、小西は大人しくその愛撫に耐えることを選んだ。
ただし、ただ黙ってやられっ放しにされるというのとはまた別だ。そこまで従順じゃあないことは、彼もとうに分かっている。
止めることはしないが、悪戯をする舌相手に、こちらも悪戯のように抵抗を始めた。舌から少し離れてみたり、それを慌てずに追ってきたのを押してみたり、それから何もせず指を嬲るのを眺めたりだ。
親指はすでに彼の唾液でまみれているが、今更いちいち気にしなければならない程度の仲ではない。個人的にはもっと違うことを気にしなければならない間柄だった。
つ、と下仲の口端から銀糸が垂れた。わざと音を立てて吸われる。熱に爛れそうなねっとりとした動きに、別の錯覚を覚えた。
「……もういいだろ、顔上げろ」
吐く息が熱くなった頃、下仲もやっと止まる素振りを見せた。それを逃さず声をかけると、名残惜しげに、丹念に舐め取られて口から外された。
そうして、煌々とした甘い輝きを蒼の深く底に湛えながら、下仲は小西を見つめた。もうとっくに溺れきっている小西が、それに逆らえるわけは微塵も無かった。
いつも、いつも惑わされて。それでもそれを望んで止まないのは、自分だ。
一瞬の空白を飛び越えた。縋るような狂おしいキス。このまま溺死寸前になってしまえばいい。(死んだら、二度と溺れられなくなるだろう)
細い身体を抱きこんで潰しそうになる。下仲は苦しそうに顔を歪めるが、むしろやり返す心持で口付けを続けた。お互いに食い尽くそうというのが言葉にならなくとも感じ取れた。
(―――骨も残さずに、か)
結論が出た。こんな風に口づけ合うことが多いのだ。逆に上手くなってもらわなければ困るというものだろう。
身体の奥が沸騰する。温く熱い体温、水音に、酷く焦らされる。数を重ね段々と巧くなる舌遣いに密かに心の中で笑みを漏らした。
今までがろくな女でなくて良かった。―――今までの方に失礼極まりない? 百も承知だ。
誰でもない自分を相手に学んでいく彼が可愛くて仕方がなかった。年上の、見れば見るほど男らしい、オジサンを見て思うことじゃあないだろうさ。
快感よりももどかしさに胸がうずく。それに続いて現れる、滲み染みて広がる、愛しさ。
ぬるりとした互いの液が互いの喉へと絶えず落ちる。薬は、毒と表裏一体であることを無意識の中に思い出した。
下仲はここでふと気づいた。正確に言えば、先ほどから気になっていたのだが、小西の抱きしめる力が強く密着しすぎた所為で、余計あからさまになってしまったのであった。
小西も、下仲が少し身体を動かしたのに勘付いて、長いキスを止めた。そして、濡れた顎を拭い、下仲の金髪を抱え込んだ。
「当たってますけど」
「……るせぇ」
気まずくなると目は見ない。それは双方に共通なようで、今は小西にとって具合の悪いものだったのだ。下仲にとってはおよそ想定内のことだったので、特に目を逸らすこともなく、大人しく小西の照れ隠しに付き合ってやる。
キスだけで…なんて時にはあるのに、偶にこうして没頭し続けた結果の上で起こるのが、小西にとって少し屈辱で格好がつかないことであった。
下仲であればそれはそれでと考えるが、彼の場合、年上の意地というかプライドのようなものが働いているのかもしれない。
しかしかと言って、下仲が意地を張ることが無いのではなく、プライドを常に捨てているのでもなかった。ただ、それぞれに感じること、それによる熱の上げ方や上がり方に違いがあるだけであった。
「いい年して何やってんだか……」
「いい年して子供みたいにキスで興奮したんでしょ?」
「その通りだよ!」
あーくそ……と脱力する小西に、くすくすと下仲はさも可笑しそうに声を立てた。
先ほどまでの、官能的で危ういムードはどこへやら。あっという間に空気が変わってしまっていた。残り香は浅ましい身体の反応のみと言ったところか。
何にせよその反応を残したまま、ここから動くにも動けなかった。どうしたものかと顔を顰めて鼻を鳴らす。が、困り顔をしても、背中に廻した腕が緩まらないことに、下仲はまた口元を緩めた。
そして、その場の香気がまたも澱みを帯びたことを、悟れないほど小西も抜けてはいなかった。
細い金糸を絡ませていた指はそのままに、つい、と仰いだ。
「続き―――しますか?」
その、目。人を飲み込むような、強く激しい情に燃えた色。それでいて厭らしいと一言で言い切れないのは、目も背けられない高雅さがそこにあったから。
恍惚の熱病 不可侵の氷河 宝石の内に閉じ込められ 底なしの上で揺蕩う
「―――しねえ訳ねえだろ、馬鹿」
淫魔の誘惑も二週過ごせば肝が据わるというものだ。煮えつくような情欲は、しょうがない、そのままにしておくとして。
「…ですよね」

ランプの灯りは仄暗く、ベッドに寝転がる二人に薄く陰影を縁取った。何とも絵になるシーンだが、当の本人たちは知る由もない。
「さっき、言ったこと憶えてるか?」
しばらくの静寂の後、小西がふと口を開いた。下仲は虚空を見上げたままの呟きに首を傾げた。
「どれのこと言ってるんですか?」
「……顔だよ」
小西の返答で、下仲も思い当たったようだ。ああ、と小さく声を上げて、うつ伏せに体勢を変える。ベッドのバネが少し軋んだ。
右手で頬杖をついて、仰向けのままこちらを見る小西に微笑みかけた。
「で、僕は結局どんな顔してたんですか?」
…オレが聞いたんだが。そうぼやきながら小西は、よく通るテノールで、
「上手く言えねえけど、何か、得意になった感じだった。優越感に浸る…そんな風か」
と言った。普段では考えられないような、大人しい声で。飼いならされた獣とでも言おうか、本人はそのことに関して、今はもう諦めているようだ。
そして下仲は、小西の言葉に再度口をつぐんだ。掌ではなく、それを返して口元を隠すようにするのは、何か思案している時の下仲の癖だ。
「何考えてたんだ、あの時?」
思い巡らせているのは承知で話しかける。下仲は勿論答えないが、小西もそこで沈黙し、あくびを一つ漏らした。
「……」
そんな、細かいところまで目に入るようになったのか、と、下仲は声に出さず驚いた。人は変わるものだなと溜息をつくと、きっと不満げになるだろうからやらないけれど。
あの時。およそ無意識だったに違いない。口元に浮かべていたのは蠱惑の意味だけではなく、純粋な悦びでもあったのだ。
『だから日本人はキスが下手だなんて言われるんですよ?』
照れ隠し含む文句を言ったのも、無駄にはならなかったかな。そう思うと、目も自然と細まった。
「何笑ってんだよ」
ハッとして頭を動かすと、身体を横にした小西がこちらを見ていた。そして黙って見ていたかと思うと、ぬっと腕を出して下仲の肩を抱えた。
その胸にすっぽりと収まったので、下仲は小西と身体を同じようにして目を合わせた。
「思い出しましたよ、笑った理由」
「何だったんだ?」
下仲は一旦言葉を切り、ふふ、と白い歯をこぼした。自分からもう少し距離を詰めると、小西がちょいちょいと腕を振って合図した。頭を上げれば、空いていたもう片方が腕枕になった。
「嬉しかったんですよ」
何が、と皆まで言わせなかった。
ゆっくり顔から離れながら、彼の唇をそっと指でなぞった。
「秘密です」


綺麗なにはがある“Une belle fleur a poison


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