一ノ瀬さん引退後の話。
-----------------------------


今日、瑞穂の家に行くから。

端的且つストレートな言葉を受け取って黙り込んだ携帯に向けて、二宮は大きなため息をついた。
お前、もうちょっと早く受け取れよ。
そう文句をこぼしてはみるが、無機物に言ったって聞くわけも従うわけもなく。ただただ役割をこなすだけだ。
「…っジかよ……」
マジ、と呟いた声はかすれて中途半端にしか出てこなかった。

予想外のメール。予定外の訪問者。だのに想定外の―――高揚感。

(部屋の片付け、……間に合うかな)
己の役目に忠実すぎてむかつくくらい忠実なツールを鞄に放り込み、自転車のペダルを思い切り踏み込んだ。
どないしたんー? という関西弁もあっという間に自分の遥か後ろ。あとで侘びのメールでも入れておけば問題はないだろう。
試合ン時だって、ここまで急ぐことは無いっつーのに。疲れた身体に鞭打ちながら、その速度に不似合いな溜息をもう一度吐き出した。

「あ、お邪魔してまーす」
二宮がその場に崩れ落ちそうになったのも無理はなかった。
「……早く、ないスか……」
息も絶え絶えで、座りながらこちらを向いている一ノ瀬に話しかける。一ノ瀬の答えは、それはもうあっさりとしたもので。
「思い立ったが…ってね。と言うより集中力が切れちゃって。お前の顔見に来たんだ」
「……そう、ですか……」
脱力した身体を何とか奮い立たせて、自分の部屋を目だけ動かして見渡す。
腐海というほどではないものの、やはり男子高校生らしく散らかっている。別に意図してやった訳ではないが。
地雷? 墓穴? いや違う空襲か?
恐らく一番最後が一番今の状況に似合った言葉だろう。何で(一応)平和なこのご時勢、突然の襲来に怯えなければいけないのだろうか。
こんなことなら、もう少し片しておくんだった。そう二宮が後悔するのも知らぬ振りで、一ノ瀬は麦茶を片手に二宮に微笑みかけた。(おそらく自分の親が用意したものだ)
「それにしても、残念だな。色々見つかるもんだと思ってたのに」
「探ったんですか!?」
「ちょろっとね」
きっと片付けても意味が無かったとか、プライバシーの侵害だとか、そんなことが脳内を渦巻く中、来訪者は何食わぬ顔でコップの中身を一口飲んだ。
はぁあ、と項垂れながら色々と諦めてバッグを下ろした二宮。そしてそれを鞄掛けへ雑に引っ掛けると、ベッドにもたれるように乱暴に座り込んだ。
ぐてんと首を反らした。大きな手を自分の顔に被せて、拭った。
「もー……マジ無いですよ……」
「アハハ、ごめんごめん。勉強するのも飽きちゃってさ」
「来るのはいいですけど、せめて時間聞いてからにしてください。準備も何も出来やしない」
「連絡したじゃないか。それに、俺とお前の仲なんだから。遠慮なんてしなくていいよ」
華麗なウインク一発に騙される己ではなく(と自分で信じたい)、「いや貴方が遠慮してください」とツッコミは忘れない。
そんな二宮にえぇ?と、わざとらしく視線をやる一ノ瀬。「それだけ?」
「何がですか」
「俺とお前の……ってところには何もナシ?」
「……ナシです」
「ええー?」
急に一ノ瀬はコップを置いて、立ち膝で移動を始めた。突拍子もない行動は、自分がいる時に限って当たり前のことなので、二宮は特にうろたえたりもしない。
ただ、ここまで(憧れの)先輩もとい(愛すべき)恋人と視線が近づいて、狼狽しないごく普通の思春期男子がいるのなら教えてくれ。
「……露骨だなあ、瑞穂」
クスリと笑う顔が近い。もう一度目を覆っていたわずかの間に、一ノ瀬は二宮を上から覗き込むようにして、瑞穂と名前を呼んだ。
何が露骨って自分の反応がに決まっている。己の視点からじゃ、鼻先が触れそうなくらい近くって、そう見える位置に先輩の顔が笑っていて。
下手すると酸欠の金魚になってしまうほどにどぎまぎしていた。脳味噌噴火するんじゃないか、思いながら彼の目を見つめて息を詰めた。
形の良い唇は可愛らしく吊りあがっていて(形容詞がおかしいとか聞かない)、細める目許は猫がにこりと笑ったようで、要するとそういう彼にめちゃくちゃドキドキしてて。
「顔、赤いな。近いから、よく分かるよ」
ふふっと声を立てて、さらにきゅうっと細くなる目。綺麗だと思いながら身動きが取れないでいると、顔と顔との距離は保たれつつ、伸ばしたまんまの脚の上に乗ってきた。
そっと腿に乗られて、身体の距離までもっと近くなる。二宮の身体を長い脚の間に置いた状態で、一ノ瀬は自分の両腕も二宮の肩に置いた。
縛りも何も無い拘束だ。けれど、だから、二宮は動けなかった。
「ドア、開けっぱスよ」
「お母さんが出かけたの、知ってるよ」
「汗臭いですから」
「急いで帰ってきてくれたんだろ」
「……」
言い訳はそれだけ?
お互いに、声に出さなかった。

理由なんてどうでも良かったんだ。
ただ、応えてくれるのが嬉しくて。
ただ、無防備に見せてくれるのが嬉しくて。

(最初の高揚は、きっと一番の真実だった)

- 30 -




しおりを挿む



戻る

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -